12月12日、認知症や物忘れに特化した病院の初診日。
前もって「この日は健康診断に行こうね」と言ってあったが、全く支度をしない。
私が烈火のごとく怒り、やっとしぶしぶ支度を始める有様。
本当にこの人おかしいのでは?と思うほどだった。
何とかギリギリで予約時間に間に合い、受付を済ませる。
臨床心理士のSさんと電話で話をし、その場で予約を取った後、今までの主人の状況を書面にまとめていた。
(その書面がこのブログの回顧録の元にもなっている)
仕事柄というか会社員の性というか、報告を口頭でダラダラと話すのは好きではなく、要点を書面にまとめて読んでもらった方が早いと思ったからだ。
それを病院の受付に提出をして、診察に臨んだ。
その書面に書かれた内容に関しての私への質疑応答、本人の身体検査や長谷川式、MMSE、問診、CTを経て医師から告げられた病名は、
「前頭側頭型認知症」だった。
心のどこかで否定しながらも、「認知症かも」という思いもあったため、
「やはり認知症だったんだ・・・」と意外にも冷静に受け止められた気がする。
いや、本当は受け止めていたのではなく、今までの不可解な行動や空気を読まない振る舞いは病気のせいだったんだ、と納得できただけだったかもしれない。
認知症=アルツハイマーしか知らなかったので、前頭側頭型認知症なんて聞くのも初めて、症状もよく分からない。
実際、主人の母はアルツハイマーで施設にいるので、同じ認知症でもそれとは違う、そんなにひどくならないのでは?と妙に安心したりもしていた。
ところがその後で臨床心理士のSさんにいろいろとアドバイスをもらった際に、
前頭側頭型認知症は有効な薬もなく、難病指定になっていることを聞いて驚いた。
アルツハイマーも有効な治療法はないことは知っていたが、進行を遅らせる薬があるし、早期発見できていればかなり抑えることができる、と見聞きしていたからだ。
しかし前頭側頭型認知症は患者そのものが少なく、今だ解明されていることも多くはない。
つまり未知の認知症の部類なのである。
頭の中で「これから何をすべきなのか、プライオリティはどうやってつける?」とまるで仕事の段取りを考えるように問題と課題を整理する。
主人はまだまだ「まだら」という状況で、まともな人格におかしい行動が少し混じっているレベルだ。
だけど症状が進んだときに慌てないように、やるべきことを前もってやっておく必要がある。
とりあえずSさんにアドバイスをいただいたことでできることは全て早めに動こう。
年末になる前に、地域包括センターに連絡してケアマネージャーを探してもらい、
介護認定を受けよう。
難病指定の申請をして医療費の助成を受けよう・・・。
そう思いながら病院を後にした。