こんにちは、メンズナースのとみおです。

今日のテーマは『死について考える』です














            
             死








というと皆さんはどんなイメージを持たれますか?
あまりポジティブなイメージを持つ方は少ないのではないでしょうか?

昨日の記事で本の紹介をさせてもらいましたが、何故僕がこのことをお話しするかというと自分の経験が関係しています。
18歳でこの業界に入り、18歳でターミナルケアの病院で看護助手として勤務しその時から人の死というものを近くで見てきました。
また、昨年自分の母親を亡くし看取る看護師側、看取った家族側両方の立場を経験したからこそ伝えられることがあるのではないかと思い記事にしてみました。

本題ですが、自分や身近な人の死について
そのことに1時間でも時間を要して考えたことはありますか?
特に自分と同世代の10代から20代の人はあまり考えないでしょう。




何故なら今自分が健康だから、今の自分には関係ないから
などの理由があるかと思います。
ただ忘れてほしくないのは、必ず死は誰にでも訪れることで自然の中の一つであることです。

最期の迎え方はたくさんあります。
一人で静かに迎える方。家族や親戚に見守られて迎える方。ギリギリまで自分らしくして迎える方。

不思議なことに健康に気を遣って生活していても若くして亡くなられる方
逆に、タバコやお酒や好きなものだけ食べていても長生きしている方
本当に一人ひとりの寿命と生命力というものは様々です。

僕の母親の時は、末期の肺癌でした。抗がん剤や放射線治療なども色々行いましたが効かず、最期はターミナル病棟で迎えました。
うちの母親は人に自分の病気をあまり知られたくない性格で、ギリギリまで周りの人に黙っていました。また、遺言も残っておらず金銭の行方やどこまで周りの人に伝えていいか不明なままです。
いつかは亡くなるとわかっていてもいざ亡くなったら頭は真っ白でこの先の人生をどうして過ごすか考えられませんでした。
そんな時周りにいる方々や看護師さんが強い味方になってくれます。
時には強く当たりたいこともあります。
『なんで、俺(私)だけこんな目に合わないといけないの?まだやりたいこといっぱいあるのに...』
そんな気持ちにもなるでしょう
強く当たっていいんです。
だってそこにしか当たる場所がないから

逆にそれを聞く側の人は肯定も否定もせずちゃんと聞いてあげてください。

人は必ず一人では生きていけません。最期は誰かの手を借りて亡くなります。
立場、性格などがありますが
最期の時は日常ができなくなってきます。
お風呂に入る、歯を磨く、トイレ行くなど自分で当たり前にできていたことを他者にやってもらいます。
仮に自分が一日の大半をベッドで過ごし、上のこれらを他人にやってもらう状況になった時に誰にならお願いできますか?

今日はこの記事で皆さんにそんなことを一度考えていただきたいです。

明日は、『死について考える(現実問題)』について書いていきます。

これを観て少しでも今の考え方が変わったりきっかけ作りにできたら幸いです🙇‍♂️