三田誠広著「パパは塾長さん」 | 娘がやっている栄養療法を父と母もやってみるブログ

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娘が2026年中受予定。娘のチックを治そうと4年前から栄養療法に取り組んでます。

芥川賞作家の三田誠広さんと次男の受験体験記で、勉強のほとんどを三田さんが教えたという。

とはいってもこの息子さんはもともと算数が神童レベルに得意だったので、我が家にはなんの参考にもならなかった・・・。

受験した年が1986〜87年ぐらいと思われるので、私が中学受験した1987年とかぶるわけで、その頃の四谷大塚の様子が少しわかって興味深いです。(ちなみに私が通っていたのは千葉にあった東大セミナーというなんとも微妙な名前の集団塾でした。植島幹六といえばわかるのかな)

そんなわけで、合格までの様子を四谷大塚のシステムを絡めながらダイジェストにして貼り付けてみる。

p32
たまたま以前住んでいた住宅地の知り合いの家庭で、うちの長男と同学年の少年が、毎週日曜日の早朝に、都心の会場まで模擬テストを受けに出かけていくという話を聞いたことがあった。その少年は、日曜テストを受けるだけで塾には行かずに、大学生の家庭教師のアドバイスを受けながら、ほとんど独力で「武蔵」に合格したのだという。

中略

問い合わせてみると、その日曜テストを受けるには、「会員」か「準会員」にならなければならず、そのための入会テストがあるというのだ。すでにテストは四年の三学期から始まっているのだが、学期の初めごとに、「会員」と「準会員」を入れ替えるテストがあるのだそうだ。次男は五年生になったばかりだったが、一学期初めのテストはまだ間に合うというので、さっそく受けさせてみることにした。

中略

結果は見事にアウト。準会員にもなれはなかった。

p68
夏休みは国語の勉強を中心に、算数は面積の問題などを少し教え、理科と社会は教科書をよく読むように、とだけ言って、あとは本人の自主性に任せた。本人はコツコツと暗記ものの勉強をしたようで、二学期のテストでは「準会員」に合格することができた。「準会員」になったくらいで喜んではいられない(その理由は次に説明する)のだが、とにかくそれを機に、いよいよ親子二人三脚の本格的な受験勉強が始まることになる。

p72
次男が受けたのは「四谷大塚」という進学塾のテストなのだが、四谷大塚には「準会員」と「会員」の区別があり、さらに「会員」の中にも「C会員」と称する特別クラスがある。この三つはテストの問題も異なるので、別々に偏差値が出る。従って、合格ライン(80%の可能性を指標にしている)のリストも、「C会員用」「会員用」「準会員用」の三種類が配布される。

中略

「四谷大塚」の「C会員」というのは、御三家」を狙う特別クラスである。ここに入っていれば、麻布や武蔵でも、50前後の偏差値で合格圏になる。つまり、クラスの平均なら「御三家」が狙えるわけだ。逆に「準会員」のテストでは、「御三家」合格の偏差値は出ない。準会員用リストを見ると超一流校の偏差値は75を突破してしまっている。偏差値というものは、満点をとっても75を超えることはないから、準会員のテストを受けていたのでは、いつまでたっても「御三家」合格の保証は出ないということだ。「準会員」になったくらいで喜んではいられないというのは、そういう仕組みになっているからで、ぎりぎりで「準会員」になるような実力では、超一流校への希望はほとんどないと考えるしかないのだ。

中略

先に記したように、「日能研」は受験者が多いから、偏差値の信頼性は高いのだが、全体のレベルが低いから、早稲田、海城、巣鴨などの中堅校でも、60以上の偏差値になっている。「御三家」になると70前後の数字だ。そうなると、目盛りの粗いモノサシを使うのと同じで、微妙な誤差が測定できなくなる。「御三家」を狙うのなら、四谷大塚の「C会員」のテストの方が、正確な数字が出るのではないかと思われる。もっとも私が四谷大塚を選んだのは、「御三家」を狙ったためではない。この塾が、各地に教室を開設して生徒を集めているふつうの進学塾とは違って、自習を前提とした「日曜テスト」に重点を置いているところが気に入ったのである。
四谷大塚は、自前の教室は中野と御茶ノ水の二ヵ所にしかない。ここは日曜にはC会員のテスト会場になるのだが、ふだんの日は、ふつうの塾と同じような進学教室を開いている。しかし、会員・準会員の大部分は、教室には通わず、日曜テスト(各地の短大や専門学校に分散された会場で実施される)だけを受ける。ふだんの日は、渡された教材を自習して週末のテストに備える、というのが建前になっているのだ。もっともそれはあくまでも建前で、実際には、「四谷大塚」準拠という看板を出した小規模な塾が各地にあって(経営的にはつながりがない)、日曜テストに備えた指導を行なっている。会員・準会員の多くは、そういった近くの塾に通っているのだろう。しかし私のように、親が個人指導することも可能なのだ。そのために四谷大塚では、週に一度、親のための講習会を開いているほどだ(私は一度も参加しなかったが)。ともかく、ようやく「準会員」になることができた。次男は毎週、日曜テストに通うようになった。そして、私も、一種のノルマとして課せられる毎週のテスト範囲に追いたてられながら、家庭教師の本格的な業務を開始することになったのだった。準会員のための会場は都内の各地にあるので、自宅に近い会場を選ぶことができる(ただし入れ替えテストの成績順に選んでいくから、成績が下位だと希望する会場が満員になっていることもある。)

p164
二学期の初めにも、入れ替えテストがあった。もしかしたら「C会員」になれるのではと淡い期待を抱いたのだが、残念ながら次男は「会員」のままだった。これが最終の入れ替えテストである。ついに次男は「ヒラ会員」のままで入試の本番を迎えるのだ。しかし次男の成績は、徐々に上昇しつつあった。夏休みに、理科と社会の特訓をやった成果だ。私は基本的には、子供を塾にやりたくないと考えていたのだが、休暇中は仕方がない。私も仕事があるから、朝から晩まで子供の相手をしているわけにはいかない。夏体みの六週間のうち、半分だけ塾に通わせることにした。一週間が単位になっているので、算数の最上級コースと、国語の基礎、それから「理科実験教室」というのに参加させることにした。残りの三週間私は付きっきりで理科と社会の特訓をした。得意な算数はもともと成績がよかったので、それ以上は上がりようがない。どうしても50点以上とれない国語は、塾へ行ったくらいでは焼け石に水であった。だが、理科と社会の特訓は、覿面の効果があった。

p186
冬休みは、毎日塾に行かせた。もはや私が教えることは何もなかった。ひたすらベーパーテストをこなすしかない。市販の問題集は、基礎学力をつけるためには有効だが、入試直前の練習問題としては、適当ではない。入試問題には一種の流行がある。中学の出題者と塾とのイタチゴッコみたいな関係になっているから、古い問題は役に立たない。そこへいくと塾は入試の実績に企業としての存続をかけている。出そうな問題を予測して準備しているはずだ。塾で問題をもらってきて、帰ってから、わからなかったことを私が指導する、というかたちで、冬休みを過ごした。

p198
そのようにして、私たちの「奮闘物語」は終わった。序章に書いたとおり、次男は第一志望の私立中学(駒場東邦)に合格した。

そんなわけで
\(^o^)/オメデトウ‼


ところで、私が貼り付けたかったのは上記の内容ではなく、以下である。(なら最初からそうしろといわれそうだが)

さすが芥川賞作家、中学受験の本質を見事についており、今後私が娘の受験に伴走するにあたって、イライラした時、やっぱり諦めようか迷った時など、時々読み返したいと思った。


p178
いったい、中学受験とは何なのだろうか。なぜ私たちは、これほどムキになり組まなければならないのか。これは簡単に答えの出る問題ではない。人生とは何なのかとか、人は何のために生きるのかといった、深遠な問題に発展する要素をもった、根本的な問題である。あるいは、なぜ山に登るのかと問われて、そこに山があるからだ、と答えたアルピニストのように、そこに私立中学があるからだ、と答えておけばいいのだろうか。はたから見ている人の目には、愚かなことをしていると映るかもしれない。確かに、まだ人生について何のヴィジョンももっていない幼い子供をつかまえて、親が付きっきりで勉強を教えるというのは、子供にとっては過酷なことだ。そして、親の姿は、滑稽なものであったろう。
だが私は読者に向かって、次のことは言っておきたいと思う。すっかり忘れていた地理や歴史を勉強しなおしたり、私自身小学校の時には習った憶えのない難しい算数の問題に取り組むことは、負担ではあったが、同時に、喜びでもあった。受験者の「深く考える」能力を引き出すように工夫された巧みな設問に出会う度に、私は芸術品に接したような感動を覚えた。そのような問題を、息子と二人で考えるうちに、父と子の間に、深い絆が結ばれるようにも感じた。いっしょに苦しみ、問題が解けた時の喜びを、二人で共有する。受験という契機がなければ、このようなかたちで父と子が結ばれることは、なかったのではないだろうか。確かに、天気のよい日曜日、息子を模擬テストに送った帰りに、車でターミナル駅の前を通ると、郊外の行楽地に出かける家族連れの姿を目にすることもあった。こんないい天気に、どこへも出かけずに、模擬テストの問題に苦しめられている息子のことを思うと、胸が痛んだ。親と子の絆を深めたいのなら、いっしょに釣りにでも行けばいいのだ。あるいはディズニーランドでもいい。そうでなければ、家に閉じこもって、親子でコンピュータ・ゲームに興じてもいい。親と子がいっしょに楽しむ手段は、いくらでもある。だが、楽しみばかりの人生というのは、かえって味気ないものではないだろうか。時には苦しみや、適度の厳しさがあってもいい。その苦しみを乗り越えることによって、人は本当に深い喜びをかちとることができる。そして、その喜びを共有することによって、父と子の絆は、さらに深まるのだ。それに、受験勉強というものは、子供にとって、はだから見ているほどつらいものではない。ある程度のトレーニングを積めば、より厳しく、高いハードルを越えることが、喜びになる。私は息子の目の輝きを、かたわらで見守ってきた。この息子の目の輝きと接することができただけでも、私は、息子とともに受験勉強に取り組むことにしてよかったと思った。

p226
インタビュアーの中には、子供がせっかく努力しても良い結果が出ず、志望校に入れなかった場合、子供はかえって、努力の空しさを痛感して、人生に絶望するのではないか、といった、意地のわるい質問をする人もいた。
これは確かに、重要な問題である。私立中学の入試の場合は、一流中学の試験日がほぼ二月一日(東京および神奈川の場合)に集中しているため、ダメでもともと、といった賭けに出る受験生(およびその親)は少ない。模擬テストの結果を見て、合格の可能性があると判断したところを受験するというのが、ふつうだろう。それでも、一流中学の倍率は、四倍くらいはある。いいかえれば、かなり自信をもっている受験者のうち、四人に三人は不合格になるということなのだ。そうしたインタビュアーに対して、私は、こんなふうに答えることにしている。中学入試は、言ってみれば、「甲子園」みたいなものだ。あの「甲子園」の高校野球で、半分のチームは、一回戦で負ける。そして、優勝するただ一校を除いては、どのチームも、いつか必ず負ける時がくる。負けたチームの選手は、涙を流す。ガックリとして、地面にしゃがみこむ選手もいる。また、最終回に逆転のビンチをむかえた選手は、悲壮な顔つきになる。チャンスをむかえた側も、責任感から、いまにも泣きそうな顔つきになっている。そんな選手たちの顔を見ていると、気の毒になって、野球なんかしなければいいのに、と思ったりもするのだが、しかし、選手に質問したって、あんなつらい思いをするくらいなら「甲子園」に出なければよかった、と答える者は、おそらく一人もいないだろう。負けた直後には涙を流しても、あとから振り返れば、「甲子園」の思い出は、その選手にとって、人生の最も輝かしい一瞬と感じられるのではないだろうか。中学受験も同様である。入試も、一種の「勝負」だから、時の選がある。その日の体調もあるし、たまたま知っている問題が出たり、逆に苦手にしている分野が出題されたり、といったこともあるだろう。だから、どんなに能力のある生徒でも落ちることはある(その反対に、能力のない生徒が何かの間違いで合格するということは、まずないだろう。それくらいに問題は充分に練られている)。私がくりかえし語ってきたように、合格するかどうか、という結果を見るのではなく、目標に努力する過程に、中学受験のボイントを置く。模擬テストの成績が向上し、志望校の「合格圏」に入って、二月一日に希望の中学の入試会場に参加できたというそのことを「甲子園」のマウンドに立って全力投球が出来た、といった輝かしい思い出とすればいいのだ。ここでは、親の姿勢が大切である。親が勝ち負けにこだわってしまっては、子供の精神を傷つけてしまうことになる。不合格になったという結果だけを責めて、だからもっと頑張らないといけないと言っただろう、などと叱責する親は、最低である。勝ち負けは問題ではない。結果を気にせずに、試験を受けられただけで、よく頑張ったね、と褒めてやりたい。くりかえしになるが、たとえ結果が出なくても、充分に努力した予供はセルフコントロールの能力をしっかりと身につけている。次のステップでは自発的に頑張れるはずなのだ。