著者は高倉健の養女の小田貴月(おだたか)

 
1996年で交際が始まり8年後の2014年5月に正式に高倉健の養女として入籍したという。
 
健さんが2014年11月10日に83歳で亡くなった時に著者は49歳だった。
 
ちなみに健さん最晩年8年間のフィルモグラフィーはこんなラインナップ
 
あなたへ(2012)
単騎、千里を走る。(2005)
ホタル(2001)
鉄道員〈ぽっぽや〉(1999)
 
 
前半は健さんとの馴れ初めから始まり、著者による手料理の詳細を中心に、私生活のあれこれについて書かれ、後半は著者がインタビュアーとして健さんが今まで出演した作品について語るといった構成。
 
本を読んでいると、著者は家政婦かヘルパーさん、トレーニングパートナー、はたまたインタビュアーのようにも見え、あまり夫婦という感じがしない。

年齢差もあってかあまりベタベタしている様子がないのは健さんのイメージ崩さないためだろうか。
 
食へのこだわりとか、健さんのストイックな私生活ぶりが伺え、「門限午後5時」とか、モーニングコールが少し遅れただけでたしなめられたりとか、毎日が緊張の連続って感じで、ちょっとやそっとじゃ務まらないと思えた。
 
 食へのこだわりと言えば、「幸せの黄色いハンカチ」冒頭、刑務所を出所したばかりの健さん扮する主人公がビールの入ったコップを両手で挟んで一気飲みするシーンは映画史に残る名シーンでしょう。あとラーメンとカツ丼を食べるとこも。



 
栄養療法的に面白いと思った部分を引用します。
 

p61

「朝は、自分で珈琲を淹れる。スポーツジムに行って、フルーツジュースにしてもらって飲んだり、腹が減って我慢できなければ、カロリーメイトをつまむ。」

あとは、プロテインとサプリメント。食事らしいのは、夕食だけ。

中華は好き。他には、ステーキを食べに行くことが多いかな。ジムで猛烈に鍛えてるときは、肉だけで300グラム以上。夕食で1日分のカロリーを摂ってたね」

 

これが、私が出逢ったときに聞かされた、高倉の食生活でした。自宅のキッチンの棚や化粧室の薬棚には、サプリメントや薬瓶がまるで調剤薬局のように整然とならべられていて、高倉の几帳面な性格があらわれていました。

 

「僕は、フリーになってから、一時期サプリメントに凝って凝って、店を出そうかと真剣に動いたことがあったんだ。しょっちゅうロスを行き来してた時、向こうのジムで勧められたサプリメントを、自分でも運動しながら試してみて、持久力というか、疲労感の違いがわかったんで、これからの日本を変えられるかもって、具体的に出店場所を絞りこむところまで進めたよ。もしあの時始めてたら、あの業界じゃかなりの先駆けだったね。」

サプリメント以外に、医薬品にも詳しく、「鉄道員」のスタッフが熱を出したらアドビル(解熱鎮痛薬)を出してあげたそうだ。


 

ぽっぽやといえば、劇中に与勇輝の人形が登場するのだが、与勇輝の個展のチケットをもらったから、銀座三越まで見に行くと、ものすごい行列で入るのを諦めたのを思い出す。

p62

ロケ前に持参する薬リストには、花粉症には抗ヒスタミン剤ベナドリル、切り傷、火傷は軟膏ネオスポリン、うがい薬、鼻洗浄剤、水が使えない時に備えてトリゾンフォームやウエルパス(速乾性擦式手指消毒剤)などが含まれていた

 

 

 

他に、フランス製のエクストラクターという、蜂に刺された時に毒を吸い出す簡易キットはアウトドア雑誌で見つけてすぐに取り寄せたという。

 

 

 

 

 


 高倉健にとって、パンのイーストは「海の向こう」の匂いであり、パン屋から漂うイーストの匂いは平和のイメージだという。


 p71

別荘を持つなら、近くに美味しいパン屋さんがあったらいいな。そこに毎日焼き立てを買いに行けるって夢見るんだよ。

高倉がこだわったラッセルホブスのポップアップ式トースターで、ほんのり焼き色のついたトーストに仕上げ、オリーブオイルや蜂蜜、数種類のフルーツジャムを添えました。

 

食パンは齧ったときにあまりもちもちせず、サクッと音がする食感が好み。

 

  

 

 ちなみに健さんは上野毛にあるキャッスルというパン屋さんに通っていたらしい。

キャッスル (CASTLE) - 上野毛/パン [食べログ] 




リドリー・スコットが健さんが亡くなった時にこんなコメントを寄せたそうな。


 p266

「ブラックレインの撮影中、疲労困憊の時、ケンが差し入れてくれた小さな小さな黒い薬がとっても効いたので、名前は覚えてないんだけど、帰国するときまとめ買いしたら、とても高価でびっくりした」

 

どうやら黒い薬の正体は”求心”らしい。

 

”薬屋健さん”らしいエピソードだ。

 

 

  

 

 p67

肉食第一主義で、魚類はなくてもかまわない

(外食の寿司は例外)

 p81

週7日の肉の内訳は、鶏、鴨、豚、牛、ラム、牛、豚と、できるだけ偏らないよう、かつ他の献立との相性も考えました。

晩年はステーキを100〜150グラムほど用意することが増えました。

 

長年加熱調理した料理や、夏でも常温や温かい飲み物にこだわったのは、腸のバランスを保ち体調を維持するためであったという。

 

 

他にはこんなエピソードも。

 

ドイツのヴィッテンベルグという町で泊まった宿の階段踊り場にかかっていた、レンブラント工房作の「黄金の兜の男」をひと目で気に入り、画家の到津伸子氏にすすめられてウィルヘルム・コーバーという模写専門の画家に描いてもらったという。

 

 

 
 
洗面室やクローゼットの棚には数十年かけて集めたフレグランスのボトルが30本以上並んでいたという。

 p139
「ここにあるいくつかは古すぎてもう買えないと思うよ。籐で編んであるこれ(Antonio  Puig  Aqua Lavendo)とかこれ(St.Johns Indian Gold)きれいでしょ。見てるだけでもいい。」
 
ぐぐったらこんなの↓があった
 
本には書いてなかったが、京都は北区にある喫茶店「花の木」は健さんがよく一人でお忍びで通っていたらしく、私はかつて京都に1年半ほど住んでいたことがあって、毎日のようにそこの喫茶店の前を自転車で通過していたから、私に喫茶店巡りの趣味があったら生健さんに会えたかもしれないと思うと残念でならない。