踏切が、カンカン鳴り出して、遮断機が閉まる。
それから、電車が通過するまで、かなり待つ。
自分の感覚では、踏切が閉まってる時間が、今の5分の1くらいでも、悠々、安全に渡るコトが出来そう。
子供やったら?
老人やったら?
何かアクシデントがあったら?
あらゆるレアケースを想定して、かなりゆとりを持って設定されての、あの長さ。
イライラするけど、文句はない。
もし、踏切の待ち時間は合理的でないと、今の5分の1になったりしたら「大丈夫なんかなぁ?」って漠然と思う人が多いはず。
それが「放射性物質の暫定基準値」となると、漠然とした不安を持つコトで、何故か攻撃されてしまう。
「根拠は?」
と問い詰められてしまう。
「不安を煽るな!」
とたしなめられてしまう。
今までのルールや常識を、企業の都合や、経済的な理由で、いきなり変更するんやから、疑問や反発がナイ方がおかしい。
放射性物質に怯えることを、責めるのは異常。
ただ
「自分は大丈夫やと思うけどなぁ」
って考えるのは自由。
お化けを怖がる人を
「科学的にありえないだろ!デマ野郎!不安を煽るな!」
トカ、責めまくるのは、明らかに変やろ?
オカルトであってもそう。
100歩譲って、放射性物質がさほど危険でないとしよ。
そしたら
「テロリストがプルトニウムの輸送車を狙って…」
みたいなパニック映画で、ドキドキハラハラせーへんのか?
「この監督は科学リテラシーが低いな」
と思うん?
今までの常識が180度覆っても、シレッとした態度の人々に、深い恐怖を感じる。
クレイジー!
例えば、どんな恨みがあったって、暴力や殺人は、絶対にアカン。
ドコの国でも、幼児でも認識出来る常識。
それが、戦争となると、人殺しても、罪がない。それどころか、英雄になってもーたりする。
よその国がやってたら分かるねん。中に居たら見えにくくなる。
簡単に覆したらアカン常識がある。
自分のなかでは
「放射能はむちゃくちゃ危ない!」
が、ソレ。
混乱時に、多くの人が信じるコトこそ、常識やと信じたらアカン!
歴史が証明してる。
静かな狂気が怖い。
汚染よりも、はるかに。
どう考えても暗い時代に、無理に明るいことを書くのは、何か空しいねん。
新年早々、暗くまとまりのナイ文章でスミマセン!
今年もよろしく。
チョットでもマシな世の中になりますように!