病気と信心 | FMのブログ

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【中務左衛門尉殿御返事(二病抄)】
出筆時期:弘安元年(西暦1278年)六月二十六日 五十七歳 御作。
出筆場所:身延山中 草庵にて。
出筆の経緯:本抄は中務左衛門尉殿つまり四条金吾に当てられたご消息文です。大聖人は医療の心得のある金後に対し「夫れ人に二病あり」と記し、身の病は「方薬をもつて此れを治す」ことができるが、「心の病・所謂(いわゆる)三毒は、仏に有らざれば二天・三仙も治しがたし」と記すとともに、法華経譬喩品を引いて、法華経を毀謗(きぼう)する者の病の重さを示しております。文末では、自身の下り腹が「貴辺の良薬を服してより已来、日日月月に減じて今百分の一となれり」と喜ばれると共に、金吾の薬は「教主釈尊の入りかわり・まいらせて日蓮をたすけ給うか」と強く称えられております。

 

 

 

 

 

[中務左衛門尉殿御返事(二病抄) 本文]

 夫れ人に二病あり。

 一には身の病、所謂・地大百一・水大百一・火大百一・風大百一・已上四百四病。此の病は治水・流水・耆婆(ぎば)・偏鵲(へんじゃく)等の方薬をもつて此れを治す。

 二には心の病。所謂三毒・乃至八万四千の病なり。仏に有らざれば二天・三仙も治しがたし。何に況んや神農・黄帝の力及ぶべしや。又心の病に重重の浅深分かれたり。六道の凡夫の三毒・八万四千の心の病をば小乗の三蔵・倶舎・成実・律宗の仏、此れを治す。
 大乗の華厳・般若・大日経等の経経をそしりて起る三毒八万の病をば、小乗をもつて此れを治すれば、かへりては増長すれども平愈(へいゆ)全くなし。大乗をもつて此れを治すべし。

 又諸大乗経の行者の法華経を背きて起こる三毒・八万の病をば、華厳・般若・大日経・真言・三論等をもつて此れを治すれば・いよいよ増長す。譬へば木石等より出でたる火は水をもつて消しやすし、水より起る火は水をかくれば・いよいよ熾盛(さかん)に炎上りて高くあがる。

 今の日本国・去(こぞ)今年の疫病は、四百四病にあらざれば華陀・偏鵲(かだ・へんじゃく)が治も及ばず。小乗権大乗の八万四千の病にもあらざれば諸宗の人人のいのりも叶はず、かへりて増長するか。設い今年はとどまるとも、年年に止(やみ)がたからむか。いかにも最後に大事出来して後・定まる事も候はんずらむ。

 法華経(譬喩品第三)に云く「若し医道を修して方に順(したが)つて病を治せば、更に他の疾を増し、或は復(また)死を至さん・而も復増劇(また・ぞうぎゃく)せん」
 涅槃経に云く「爾の時に王舎大城の阿闍世王○偏体に瘡(かさ)を生じ乃至是くの如き創(きず)は心に従(より)て生ず、四大より起るに非ず。若し衆生・能く治する者有りと言はば・是の処(ことわり)有ること無けん」云云。
 妙楽の云く「智人は起を知り、蛇は自ら蛇を識る」云云。此の疫病は阿闍世王の瘡(かさ)の如し。彼の仏に非ずんば治し難し、此の法華に非ずんば除き難し。

 将又日蓮下痢(くだりはら)去年(こぞ)十二月卅日事起こり、今年六月三日四日・日日に度(ど)をまし月月に倍増す。定業かと存ずる処に貴辺の良薬を服してより已来(このかた)、日日月月に減じて今百分の一となれり。しらず、教主釈尊の入りかわりまいらせて日蓮をたすけ給うか。地涌の菩薩の妙法蓮華経の良薬をさづけ給えるかと疑い候なり。くはしくは筑後房(日朗)申すべく候。
 

 又追つて申す、きくせん(貴方の使者)は今月二十五日戌(いぬ)の時来りて候。種種の物かず(算)へつくしがたし。ときどのの・かたびらの申し給わるべし。又女房の御ををち(祖父)の御事、なげき入つて候よし申し給ふべし。恐恐。

 

 六月廿六日        日 蓮 花 押

 

 中務左衛門尉殿御返事

 

 

 

大聖人が腹を壊した際に四条金吾が調合したお薬を服用された。思いの外、お薬が効いて下り腹が治ったことを綴られている内容。人心の病、病は心からくるという教えに近いわけですが、医者に診てもらったほうが治療も早く済むのなら医者に診てもらう。ところが、この世の病のほとんどが医者では治せない病が多いです。その時こそ妙法で治すしかありません。