ネットニュースとかで目にする若者の肉体離脱を・・・まだかけないかけないから
ず~~~っと人ごとに感じていて、ただ、勿体ないな~ってだけ思っていたら、
まさかの近親者から肉体離脱が
ちょうど友引にあたったせいか、お別れまで当日入れて4日。
お通夜がまさか自分の誕生日になるとは思わなかった
誕生日が来る度に19才で離脱した彼奴の事を思い出すのだろう。
人って誰かの為に無償で何かをしてあげたいと思える力が無いと、何の為に生きているのかがわからなくなるから離脱者が生まれるんだと言う人がいた。
生きる目的?
昔は貧乏のどん底でも、親に恩返しをするためにと教えられていなくても親や家族のために生きる事が当たり前に備わっていたのかも。
せめて、自分がいなくなると親もおばちゃんも従姉妹達も悲しいんだと想像できたら良かったんだけど。
いなくなってからあっちこっちで足跡・・・・イヤイヤ足はもう無いから、気配やらを残して回っているが
コラ~~と怒りが滾っていた。
妹とも共通の友達のところには、口寄せの状態で
「ごめんなさい、ごめんなさい。本当にごめんなさい。こうなってみて間違った事をしたと思いました。お父さん、お母さんをお願いします。Kちゃん(妹)、お母さんをお願いします。頭が割れるように痛いです。やっと伝えられました」
別の日、妹の夢に出て来て、最高の笑顔だったと。
その夜、うちの長女の家で本棚を漁る音、家の中を歩き回る足音がしばらく続いていた。
別日、眠りに落ちそうなときに夢で孫太郎を相手していると向こうから近づいてくる甥っ子1号と思ったら目の前で甥っ子2号のアップになって触ってイイ?って抱き寄せようと満面の笑顔を見せてくれたが、コイツ誰だ?もういないじゃない?孫太郎を連れていくつもりか?と笑顔の後ろの思いにドキッとして目が覚めた。気持ちが悪かった。甥っ子なのに
全部のお別れが済んで、もう一泊した末っ子、母はいつも通りの朝仕事に出ていて、帰ると
「お母さん、6時過ぎにドア開けてうちのことみてた?」って聞く。
え~~、お母さん6時過ぎは畑に行ってるからそれは母じゃないわ~~と
朝からえ~~~な話し。
5月末の出来事から喉ちんこが伸びて扁桃腺も腫れが引けなくて、微熱と咳が止まらなくてダルダルの生活をしています。
精神的ショック。
若い生仏はもう見たくないよ。
事が事だけに家族葬も叔父叔母が3人に従姉妹達もうちの子達と向こうの子どもさん3人。
お別れの日は、長女家族が急性胃腸炎で全滅して甥っ子の不の思いに完全に負けて欠席。
私も一週間以上のこの体調で腹筋がもう少しで六パックになりそう・・・誇大表現でした。
食欲は普通にあるけど、咳き込み半端ないためか、顔がコケまくって、マスクの上からも人相が変わったと言われるほど。
今朝、末っ子に「生きていてくれてありがとう」って言ったら「お母さんもありがとう」って
「お母さんよりも長生きするから」って、そうなるといいな~。
母はせっかく生きているんだから、夫から切り離される前にと北海道での研修会旅行を仲間と計画し始めているw
10月の末だが、いつもは仕事が終わっていない時期。
躊躇していたが、何が起こるかわからないから、やりたいことをやってから離脱できるように、全力前進。
あ~、すぐしたの妹も一緒で、安心な旅になる予定です。
早く体調回復させて稼ぐぞ~~
一般焼香にはロビーいっぱいの人。
お別れができてどう思ったんだろう?
おばちゃんは、まだ悔しくて出会えたことが情けないのと、生まれて来てくれたことが凄かったんだから命大切にと教えてあげられなかったことを詫びる日々を送っている。
今更なんだけど。
妹と2人で線香をあげて来ました。
妹家族が癒える日まで見守って行く覚悟です。