あの親父が休んでいるのに、人員の補充がないから、毎日べらぼうに忙しい。
日曜日の〇〇dayなんて、きちがいじみていた!
とにかく目の前のパンを、並べるそれのみで、開店時間5分前でも品出ししていた。
今日はそれに比べたらまだ落ち着いている。
平台に並べられたパンの種類を確認する余裕もある。
ふと社員さん2人が話しているのが聞こえる。
「ねえ、ここにあった新商品のパンは?」
「あぁ~あれ死んだんじゃね、日付入っていたし」
「そっか~」
えっ何です?
パンが死んだ?
どういうことだろう~
想像すると、賞味期限ぎりぎりになって、製造元に返されたとか?
そのパンは、値引きのワゴンにはないらしい~
う~んわからない
大体膨大な値引きシールのパンが、最終的にどうなってしまうのすら知らない。
あまり聞いてはいけない気がして、聞けないでいる。
でもパンが死んだんじゃね。。。
の言葉が、いつまでも残ってしまう。
毎日仕事だから、大量のパンを指定された棚に並べていく。
でも翌日にまた新しいパンが来ると、自分が並べたパンは全部出されて、一番前に並べられて、2日後にはワゴンに移っていく。
それまでに売れたらいいけど、全部が全部売れるはずもない。
だんだん感覚もマヒしていくんだろうか。
どんな商品もそうだけど、生産した人がいて、まさか販売先のスーパーで、値引きシールが張られ、ワゴンのなかで漁られる光景は想像していないだろう。
仕事が終わると、今度は自分の働いているスーパーで買い物をする。
さっきまで自分が品出ししていたパンを手にした人を見ると、なんかうれしくなる
棚の奥に手を突っ込んで新しいパンを取ったのか、あっという間にぐちゃぐちゃになった、棚は、こっそり並べ替えてしまう。
働いてみて見えてくることも多いな。
自分は、パンが死んだなんて言葉を使うくらい慣れてしまいたくない。
その一言だけで、その人の見え方も変わってしまうから、
言葉は、本当に怖い。
学ぶことばかりだ