最高裁が裁判員制度で死刑判決を下した判断を、無期懲役に覆した。

過去の量刑を重視して、判断を下すよう求めたのだ。

裁判員制度は、庶民感覚で判断を求めようとしたのが、出だしでは無かったのか。


過去の量刑を基準にして判決を下すという事であれば、裁判員制度そのものの必要性に疑問を感じる。

従来通りの裁判官だけの裁判で良いのではないか。

極論すれば裁判官さえいらないという事も意味するかも知れない。

犯罪内容と量刑をデーターベース化し、コンピューターで判決を下せば良い事。


裁判官でもチンプンカンプンな判断をする。

諫早干拓の堰の開門でも、開門すべきと、してはならないと両方の判断で、開門賛成派と反対派両方に国は税金で、違約金を支払い続ければならない。

給料をもらいながら無責任な判断だ。


この様な結果からすれば、今後無駄な金を掛けて裁判員制度をやる必要性は全く感じない。

一般庶民が仕事を休み、多くの時間を割き、現場写真を見てDVになる人もいる中、庶民感覚で公正さを訴えようとして頑張ったのではないかと思う。

過去の量刑が基準という事は、裁判員制度が崩れたのと同じだと思う。


今回この判断が出たという事は、過去の裁判との公平性も有ったようだ。

確かに裁判員裁判の量刑は重い気もする。


今回の判断、裁判員制度で確定した過去の判決も見直す必要が出て来るかも知れない。

死刑判決だけでなく、全ての裁判員裁判の判決を見直さなければならない。

そのままと言うのは、今回公平性を理由としている以上、裁判官の言葉に矛盾が出て来ると思う。

結果から言えば、犯罪者とは言えども人の命に係わる大誤審をやったと、高裁が判断したわけだ。

無期懲役は名ばかりで数十年たてば、出所できる可能性も有ると言うだけに、死刑とは大違い。


確かに裁判員裁判での判決は重くなる傾向が有る。

それが事なかれ主義の裁判官と違う。

一票の格差の判決を見ても、明らかに事なかれ主義。

そのせいなのか、裁判官は何となく検察と弁護そして被告の公平の立場にいる気がする。

裁判員は公正の立場を持っていると思っていたのだが、今回それを否定されてしまった。