今日6日は広島に原爆が落とされた日だ。
67年の月日が経ったが、未だに原発を持ち続ける国や、開発しようとする国がある事は嘆かわしい。
防御の為の核兵器と思っているのだろうが、持っても使用は国際法違反とも言わる。
しかしこの国際法、残念ながら何の意味も持たないかもしれない。
そもそも一般住民まで巻き込む、殺戮はどんな方法で有っても、違反だろう。


両親は戦争当時、東京の板橋に住み東京大空襲を経験している。
借家は大丈夫だったようだが、姉の遺骨を預けていた寺は焼け、跡形も無くなった。
そして、自分も上京後父と一緒に寺を探したが、結局分らずじまいである。
このとき使われたのが焼夷弾。
TOMのブログ これとて、焼き殺すつもりで作った爆弾で有る。
化学兵器や、原爆と一緒の大量殺戮手段だと思う。


父が東京にいる間、出身地の長崎は原爆が投下された。
直ぐに写真機を持って長崎に戻ったようで、家に焼け野原になった長崎の写真が昔有った。
数年前、長崎に行ったが平和公園に戦中の爆心地の地図が有り、実家も記載されていた。
原爆投下後、従姉妹たちは実家を探したが、結局見つからなかったと言っていた。
全く分らなくなるほど、町を変える威力が有った訳だ。

そして祖父の遺骨を納めていた寺も無くなり、結局今の墓には祖父は入っていない。


母の叔母から聞いた話では、長崎駅で列車を待っていた時、原爆が爆発。
叔母は駅舎におり難を免れたが、目前で線路工夫の身体が、熱線で溶けて無くなって行くのを見たそうだ。


幸いにも親類には誰一人、戦争や原爆による犠牲者はいなかった。
姉や祖父が守って呉れたのかもしれない。
投下を指揮したトルーマン大統領や、エノラ・ゲイ号の搭乗員の孫達が、今
その責を感じているようだ。
原爆を使用した者も、使用された者も、末代に渡って苦しむものだ。
核兵器廃絶は、みんなの思いとは違い、残念ながらまだまだ夢のようだ。