四国地方のニュースを見ていたら、5月11日で紫雲丸事故から57年が経ったと書かれていた。
紫雲丸と言っても知らない方が多いと思うが、四国の高松と本州岡山の宇野を結ぶ、旧国鉄の連絡船名で有る。
その紫雲丸が濃霧の中、高松沖で同じ国鉄の貨物船の第3宇高丸と衝突沈没し、160数名の方が亡くなった事故で有る。
その内100名が修学旅行中の、小中学生で当時小学生だった自分には強烈に印象に残っている。
4月の春休みに九州に帰省する際、往復たまたまこの紫雲丸に乗り、この船は何度か沈み死運丸と言われているとか、更には瀬戸内海は霧が多く、欠航したり事故が有ったりして大変だと親から聞き、事故がその1ヶ月後だっただけに印象が強いのだろう。
紫雲丸はそれまでに4回事故を起し、その内一回は沈没、死者まで出したが引き上げて使われていたらしい。
5回目の事故後は流石に船名を瀬戸丸と変更し、それ以降は事故が無くなったようだ。
この瀬戸丸にも何度か乗船している。
子供のころから、何度か乗船した事のある紫雲丸と言う船名を、美しく奇麗というイメージを抱いていた。
他に眉山丸、鷲羽丸と言う船が有ったが、なぜかこの船名が好きだった。
高松に有る山の名前のようだが、そもそも紫雲とは臨終の時、仏が迎えに乗ってくる雲の事らしい。
美しいと感じたのと、意味は全く違っていた。
やはり因縁が有ったのかともつくづく感じてしまう。
当時の連絡船には良さも有った。
紫雲丸始め連絡船は同じ作りで、大きさは1500トン程の船で、船内に線路が引かれ船尾から貨車を積み込んでいた。
デッキは前から特別室、2等、3等になっており、全て椅子席だったように思う。
特別室は展望室になっており、給仕がお茶を出して呉れチップを払っていた。
船は今の船とは違い、石炭を燃やし蒸気による推進の為、ディーゼルエンジンとは違い振動も無く、波の音以外何も聞こえない。
船内にいると、出発から到着まで気が付かない事も有り、所要時間は1時間程度だった。
子供心には連絡船に乗ったり、列車に乗り換えたりするのが、大変だった思い出が有る。
乗り換えでは常に父親が席取りのため走り、母親と共に後を追っかけたものだ。
他の人たちも座席を取るために皆一目散に船や列車を目指し、死者も出る危険なものだった。
その後、讃岐丸と言う少し大きな船が出来、最終的には3千トンクラスに大型近代化した伊予丸、阿波丸、土佐丸といった船が就航した。
列車も指定席が出来、走る事もいつしか無くなっていた。
そして、これらの船で思い出されるのは、甲板に有ったうどん店である。
この味を再現したうどん店が高松駅にあるとか。
今は瀬戸大橋を通過し宇多津に入るため、この味を楽しめる事も無く高松在住以外の人にとっては残念なことである。
昔、うどんを駅の売店で買い車内にも持ち込めたもので、車内販売で対応出来れば良いのにと思うが難しいか。
四国はこの紫雲丸事故、北海道は洞爺丸事故でそれぞれ橋やトンネルの必要性が叫ばれ、日本列島は橋やトンネルで全て結ばれた。
安全や時間と引き換えに、旅情は少なくビジネスライクになって来たとつくづく感じてしまう。
記事を見ていて、ふと昔の連絡船を思い出してしまった。
