東京電力福島第1原発事故の重い教訓を顧みず、安全に対する意識が大幅に後退した司法判断と言わざる得ない。
関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)を巡り、周辺住民らが起こした訴訟の控訴審判決で、名古屋高裁金沢支部は地震対策に欠陥があるとして運転差し止めを命じた4年前の一審判決を取り消した。
原子力規制委員会の新規制基準や、関電が設定した基準地震動に理解を示し「安全」と結論づけた。原発の潜在的な危険性をくみ取り、安全技術や設備を脆弱(ぜいじゃく)とまで言い切っていた一審判決とはあまりにもかけ離れている。住民の不安を置き去りにした判断であり、原発の危険性に正面から向き合わない姿勢を強く危惧する。
控訴審でも耐震設計の目安となる基準地震動の妥当性が争点となり、元規制委員で大飯原発の地震対策の審査を指揮した島崎邦彦氏が「地震想定が過小評価の可能性がある」と訴えた。
判決は規制委の新規制基準に不合理はなく、その基準に適合した関電の基準地震動は「過小ではない」との論理で退けた。規制委は正しく、その基準を満たしさえすれば「問題ない」とは言えない。規制委自体が「新規制基準を満たしても絶対的な安全が確保されているわけではない」と認めている。適合だけでは安全性への担保にはなり得ないはずだ。
島崎氏の証言は2年前に発生した熊本地震を受けて得られた観測結果が基になっており、審査の当事者が誤りを認めて証言した事実は重い。熊本地震は震度7の激しい揺れが短期間に連続する前例のないものだった。最新の科学的知見として反映を求めるのは、原発に不安を持つ多くの国民にとっても当然の感情であり、島崎氏の主張を退けたことは納得しがたい。
そもそも判決は「2基の危険性は社会通念上無視し得る程度にまで管理・統制されている」としており「万が一」に備えるという使命感が欠如している。福島原発事故は、自然の脅威に対し、人間の能力の限界を示した。あらゆる事態を想定しても「想定外」は起こる。安全の追求を放棄し、現状を追認するばかりでは司法に対する信頼は揺らぐ。
福島県では、事故から7年が過ぎてもなお5万人が避難生活を続け、多くがまだ帰還のめどが立っていない。復興は途上で「いまだ有事の状態」(内堀雅雄知事)であることを忘れてはいけない。
電力会社や国は、今回の決定を再稼働への「お墨付き」と捉えるべきではない。先月には関電管内の大阪府北部で震度6弱の地震も起きた。大飯原発の14㌔西では高浜原発も稼働しており、同時に過酷事故が起きた場合の避難体制は整っていない。地震大国での原発のリスクは大きく、限られた知見を頼りに再稼働を進めることは厳に慎まなければならない。