2日目

朝5時にまたトイレへ。その後もう2回トイレへ行く。固形物はかすかにあるが今日の大腸検査までには綺麗な腸内になるであろう。

 

今日も食事は当然抜きである。

 

朝、点滴の輸液が繋がれる。(夜中は2回目の輸液が終わった時点で、点滴は外された)

 

血圧の薬ニフェジピン30mg1錠を9時前に飲む。

今日の午前中は浣腸があるとのこと、もう随分綺麗になっているのに病院側は徹底している。本当は、浣腸することで、腸が過剰反応して、恥ずかしいお漏らしがないか少し不安なのだ。

 

ベッドの上からクライアントさんへ新しい見積書を送る。どうせ安い方しか選ばないことは分かっているが、あれこれ思いつきでオーダーすると、この様に経費が嵩むことを覚えて貰わねば付き合っておれん。

 

MacBookのiTunesでカラヤンのアダージョ特集をBGMに聴く。このあと偉大な数学者岡潔さんの「春宵十話」を読む。数学者であるが、この方には偉大な哲学を感じる。若い頃にこの方の著作に出会っていたら、人生への考え方が変わっていたかもしれない。

 

10時15分くらいから手術前の歯科のクリーニングを行う。歯のクリーニングが浣腸前に済んで、一安心。

 

10時40分に病室に戻ってカラヤンの続きを聴いている。タイスの瞑想曲は穏やかになれる好きな曲。

 

さ、続けて「春宵十話」を読もう!

 

・・・と言っても、やはり、入院中は集中力がもたない。十数分で読書は頓挫する。

 

午後からは、内視鏡で直腸、大腸の切除する部分に刺青をする。30分ほどでその作業は完了した。

 

夜になっても、相部屋の野生の老人たちのパワーは衰えない。時代劇をイヤフォンをせずに聞く爺さん。自分は浪曲には興味があるが、時代劇には興味がないので、大変迷惑な爺様である。この爺様は注射が嫌いで、看護師さんに腕を触られただけで、痛い!と言い看護師さんをいつも困らせる。定時に配られる食事を早い時間から「食事はまだか」といつも催促する。自分がケアしてもらっている状況を一切認識していない我儘爺さん。この爺さんが私の対角線に位置する。

 

私の向かいの爺さんは、盛大な咳と痰切りを連続する超人的な技と体力を持っている。あんな大げさなガラガラ〜〜〜ペッは、体力を奪われること甚だしいはずだが、若い頃からの癖であろう、他人への気遣いや遠慮はまったくない大音量のガラガラを繰り返す。後々私も我慢ならず「うるせ〜〜なぁ」とボソッと呟いたのが聞こえたのであろうそれからは、トイレでたまには痰切りをするようになった。たまにだけどそれでも進化だ。

 

そして、横の爺さんは、譫妄の気があり、昼間はまともだが、夜になると「助けて〜〜〜、助けて〜〜〜」や、「誰かいませんかぁ〜〜〜、誰かいませんかぁ〜〜〜」、「ここはどこですか〜〜〜?」とか細い掠れた声でリピートし続ける。このお爺さんは気の毒なので、身体的に必要な訴えであれば、代わりに私がナースコールを押すことになる。このお爺さんは手術も無事終えて、死ぬはずないのだが死ぬのが怖いという。私よりも20歳近く上の方だが、誰でも死ぬものだということが自覚できないのだ。

 

これらのワイルド爺さんに囲まれて、始末に悪いのが私自身である。留五郎は、父親譲りの無呼吸症候群があり、夜になるとプッチーニの遺作オペラ「トゥーランドット」のクライマックスの曲の「誰も寝てはいかん」の如く誰も寝かせない大音量のいびきを朗々とかく。自分は寝ているのだから他人様への配慮も、罪の意識も一切ない。一番たちの悪い迷惑行為だ。

 

手術の前日であるが、何もすることはないので、早めに寝る。いびきをかかないことを祈る。

 

いつもの通り夜中に何回もトイレに起きる。

 

月並みだがこの歌は、やはりパヴァロッティに限る!