留五郎は、ブルースも、ジャズも、カントリーも、クラシックも好きですが、日本の話芸も大好きでありまして、浪曲なら二代目広沢虎造、落語なら、江戸の古今亭志ん生と関西の桂枝雀のファンであります。

 

さて、その浪曲師の広沢虎造をwikiで調べますと・・・。

 

二代目広沢 虎造(ひろさわ とらぞう、1899年〈明治32年〉5月18日 - 1964年〈昭和39年〉12月29日)は昭和時代の浪曲師、俳優。東京府東京市芝区白金(現東京都港区白金)

 

十代から浪曲好きで、腕自慢の素人として天狗連で15-16歳ごろには「東川春燕」の名で人気を取っていたーーーとあります。

 

共立電気電線(現在のアンリツ)に就職していたが、それを辞めて、当時関西浪曲界の巨頭であった浪曲師2代目広沢虎吉に弟子入りする。1922年23歳で2代目広沢虎造を襲名。

 

その後、麻布第三連隊に入営したのを機会に帰京し、語り口を関西節からオリジナルの虎造節を作り出す。

 

よく知られる「清水次郎長伝」は、講談師の神田伯山を追いかけ回して習得したとありますが、実際はその弟子、神田ろ山から習ったそうです。

 

江戸前の滑舌で、テンポよく話を展開するその話芸は、没後55年を経ても非常に魅力的。

 

お若い方は、虎造節をお聴きになったことはないかもしれません。が、しかし、「日本三大話芸」(落語・講談・浪曲)の一つを是非、一度試しにお聴きください。

 

石松金比羅代参の14分10秒から、

 

七五調の名文句「またぐ敷居が 死出の山 雨だれ落ちが 三途の川 そよと吹く風 無常の風~」をお聴きいただくことができます。

 

当時の日本人ならこの名文句を聴けば、石松の旅の途中での惨劇を想像できたはず・・・。

 

この名文句のインスピレーションには、俳句、短歌作りにも役立つ「発想の飛躍」があるように思います。

 

 

ちょうど時間となりましたぁ〜、ちょっと一息願います。また口演つかまつるぅ〜〜