ども、三男ですがなにか?

ども、三男ですがなにか?

チョコラブ文太日記

 

2012年12月16日からこのブログを初めて

11年7ヶ月の間

『チョコラブ文太日記』として

文太さんとのお出掛け、日々の出来事を書かせていただきました

 

たくさんの方に訪問していただけて大変うれしく思っています

 

 

当初は文太さんが1歳2ヶ月

元気いっぱいでした

12歳9ヶ月までとても楽しく過ごせました

 

 

このブログを通してたくさんの方と繋がり、仲良くさせていただけた事は本当に宝物です

文太さんに感謝です

 

 

 

今回の投稿を最後に

『ども、三男ですがなにか? -チョコラブ文太日記-』

完結となります

 

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ひまわり2 Nちん

ひまわり2らんちーずの皆んな

ひまわり2Mホスピタルの皆さん

お花ありがとうございました

 

ももT子ちゃん

メロンココナノママさん

フルーツありがとうございました

 

 

 

 

文太さんはお空組で楽しんでいると思います

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皆さん

ありがとうございました肉球 茶色

 

文太 & momo-j

 

 

- 完 -

 

 

 

2024年7月14日

19時08分28秒

 文太さん永眠

 

文太さんが亡くなったことを

親しくしてくれた方々にお知らせしました

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次の日

文太さんの幼馴染の椛くん

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& 樂っくん

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ちくわちゃん

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お花を持って文太さんに会いに来てくれました

みんな今年で13歳 (樂っくんは不明、もう少し上なんじゃないかと)

 

すっかりおじぃちゃんの動きでした

1歳の頃にドッグランで知り合った同級生

あの頃はみんなイケイケだったよね

 

 

プルートちゃんのパパさん、ママさん

ノンちゃんのママさんも

文太さんに手を合わせに来てくれました

 

 

 

7月16日

文太さんをお見送りする日です

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お気に入りでよく着せていた

文太さんの名前入りTシャツを着せてあげました

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セレモニーホールへ向かう時間になりました

喪服を着るつもりにしていたのですが

のっぽさんが

 

「喪服やめよう!

文太さんが『何で皆そんな格好してるの?』って思うわ。

いつものお出掛けと同じにしよう!」

 

そして

「ぶんちゃんお出掛けするよ

お兄たちも一緒にみんなでお出掛けよ」

 

いつもなら、そう言うと『お出掛け』と言う言葉がわかっている文太さんは置いて行かれないように私たちの後を付きまとうのですが

もちろんこの日は・・・

 

 

 

セレモニーホールに到着すると

急に大雨が

通り雨みたいなので少し車で待機

 

5分ほどで雨は止み青空が

ね、やっぱり文太さん晴れ男

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ペット専用セレモニーホール

 

個別の家族葬です

 

文太さんは棺(やなぎ籠)のなか

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ひまわりに囲まれてひまわり2

 

棺の中に

足跡パピーの頃からずっと好きだった熊ちゃんのぬいぐるみ

足跡のっぽさんの靴下(いつも指の先をちょび噛みして靴下をひっぱって脱がすのがお気に入りだった)

足跡よだれタラタラなので、よだれ拭きタオル(D&L家からのプレゼント)

足跡文太さんが大好きな九十九里で4月に皆で撮った集合写真と私たちとの思い出の写真3枚

 

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を入れました

 

 

いよいよ文太さんの身体とお別れ

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お兄たちもしっかりお別れしてました

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ぶんちゃん、お空でお友達と遊んで待っててね

 

ありがとう、大好きハート

 

 

 

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そして文太さんはお空に逝きました

 

 

 

 

7月20日

初七日

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これまでにたくさんの方からお花をいただきました

 

ひまわり2椛くん、樂くん、パパさん、ママさん

ひまわり2ちくわちゃん、パパさん、yuさん

ひまわり2プルートちゃんパパさん、ママさん

ひまわり2ノンちゃんママさん

ひまわり2麦ちゃんママさん

ひまわり2リエコサさん

ひまわり2チワラブさん

ひまわり2D&L家の皆さん

ひまわり2アコちゃんママさん

ひまわり2ちゃおさん

ひまわり2クエレさん

ひまわり2タルトパパさん

ひまわり2ニコちゃんママさん

ひまわり2レスサラパパさん、ママさん

ひまわり2斎藤トレーナー

 

(順序不同)


ありがとうございます

 

そして、LINE、DM、ブログ、メールでもあたたかいメッセージありがとうございました

 

 

 

急性悪性間葉系腫瘍(肝臓肉腫) で

余命1ヶ月を宣告され

「(西洋)医学では手の施しようがない」と言われた文太さん

免疫療法始めました

 

 

リエコサさんに相談したら

ホリスティック療法、丸山ワクチンや高濃度ビタミンC点滴などをしてくれる、我が家から通える病院

「“M”ホスピタル」を教えてくれました

 

 

高度医療病院から帰宅してすぐに“M”ホスピタルに電話

状況を説明すると、院長先生は丁寧に次々と免疫療法の手段を話して下さいました

 

 

 

次の日

7月4日

早速“M”ホスピタルへ

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すぐに丸山ワクチン

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2日おきに家でも丸山ワクチンを皮下注射しなければいけないので

のっぽさんが指導を受けました

 

そして免疫力を上げるには体(尿)をアルカリ性に変えなければならないそうで

食べ物を鶏肉から魚メインに変え、乳製品も禁止

文太さんの今までの食生活をガラリと変えることになりました

 

 

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サプリもたくさん

 

 

 

7月5日

毎日、尿検査でpHを調べます

 

この頃、文太さんは食べ物を残すようになっていて

後ろ足が少しもつれるようにもなっていました

(魚メインが嫌なのではなく食欲はあるのに気持ち悪くて食べようとしない感じでした)

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手であげると食べてくれたりもしてました

 

 

 

7月6日

丸山ワクチン2回目

家でのっぽさんが皮下注射しました

この日は比較的元気で魚メインの手作りご飯を食べてくれました

 

 

 

7月7日

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今までの文太さんは真水を好まなくてプレーンヨーグルト水をいつも飲んでいたのですが

乳製品禁止になって豆乳水に変えました

 

しかし、この日からそれも飲まなくなって、

真水をガブガブ飲み始めました

(先生が言うには、水分をとろうとしている訳ではなく

気持ち悪さをごまかすために飲んでいるんでしょうと)

 

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フルーツは割と食べてくれていたので

のっぽさんがどんどん買って来た

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しかし、それもほとんど食べなくなって

ねっとりした焼き芋を好んで食べてくれていました

(焼き芋の中にこっそりサプリを入れて食べさせていました)

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魚メインのご飯も少ししか食べません

と言うか、相変わらず食べたくても食べれない感じでした

 

 

 

7月8日

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朝からご飯を食べません

丸山ワクチン3回目

 

あまりにもご飯を食べないので病院へ行きました

 

やはり食べないと体力がなくなるので

静脈点滴(栄養補給)

本当は尿がアルカリ性になってからの方が効果があるのですが

待っていられないので高濃度ビタミンC点滴も始めました

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7月9日

ご飯と言うご飯は食べません

 

魚メインのご飯がチワラブさんから届きました

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チワラブさんには色々相談していて、

ほぼ毎日ラインをしたり、電話で教えてくれたり、

心の支えでした

 

文太さんはしんどそう

ご飯を食べないので体力がなくなってきている感じ

 

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7月10日

丸山ワクチン4回目

変わらずご飯を食べません

 

今日は病院の日

静脈点滴(栄養補給)、高濃度ビタミンC点滴2回目

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文太さん頑張っています

 

 

ご飯を食べない日が続いているので

家でも皮下点滴をすることになりました

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夜中に発熱

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夜間救急病院へ行こうと電話をしました

末期ガンであることを伝えると

「来られても点滴くらいしか出来ないと思いますよ」と言われました

しかも外は暴風、豪雨

そんな中、点滴くらいしかやってもらえないのに文太さんを連れ出すほうがかわいそう

アイスノン、保冷剤などで体を冷やしました

 

 

 

7月11日

朝からとにかく皮下点滴

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生理食塩液をどんどん入れないと

ビリルビン脳症になる可能性があるそうで

すでに文太さんの尿からビリルビンが検出されていました

ビリルビン脳症は黄疸が出て、ひどいと痙攣するそうです

 

 

熱は下がりません

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“M”ホスピタルは夕方にならないと電話もつながりません

 

仕方がないのでかかりつけ医に電話をして状況を話しました

 

皮下点滴、皮下注射を家でしてることを伝えると

非ステロイド性消炎鎮痛薬の皮下注射を渡してもらえることになり、

休診日にもかかわらず、のっぽさんが病院に受け取りに行きました

(わんこの解熱剤と言うものはないみたいです)

 

そしてバスタオルを濡らして体を覆って扇風機などで冷やしてあげてと指示を受けました

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こうなっては「アルカリ性にするとかどうでもいい!」と

文太さんが今まで食べていた、鶏肉の私の手作りご飯をあげました

そうするとなんと!

いつもの量よりは少ないですが完食してくれました

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ぶんちゃ~んハート

 

 

「焼き芋を好んで食べてくれる」と言うのを知って

D&L家から焼き芋がたくさん届きました

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感謝、感謝です

 

 

 

7月12日

消炎鎮痛薬が効いたのか、熱が少し下がり落ち着いた様子

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“M”ホスピタルに電話をして発熱の一連を話すと

24時間効果が持続する消炎鎮痛薬(皮下注射)と、

生理食塩液に入れる抗生剤を出してくれるというので

のっぽさんが受け取りに行きました

 

「とにかく脳症にならないように、生理食塩液を多く注入して体内の悪い体液?を薄めて」と言われ

朝晩、皮下点滴しました

 

 

「体力をつけるために、食べてくれるのなら何でも良いので鶏肉系に戻した」とチワラブさんに話したら、

すぐに鶏肉系のご飯を送ってくれました

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ありがた過ぎて言葉が出ませんでした

 

 

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7月13日

後ろ足に力が入らなくなっていた文太さんは自力で歩くことが出来ません

少し前に「寝ている時間が増えると床ずれが心配」とチワラブさんに相談したら

「ウォーターベッドが良いよ」と教えてくれて、

ネットで買えるサイトを送ってくれてました

ポチッた次の日に届いていたのを用意しました

 

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水を入れると、これがかなり重い

 

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頑張ってスタンバイすると

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文太さん、気持ちが良いのかスヤスヤ寝てくれました

微熱が続いていたのでひんやり気持ちが良かったのでしょう

 

 

何か口にしてくれるうちにと

文太さんの大好物のミニストップのソフトクリームをのっぽさんが買って来て、

手であげるとぺろぺろっと舐めてくれました

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朝晩の皮下点滴、消炎鎮痛薬など、

1日5本くらい針を文太さんに刺さなければいけません

のっぽさんもつらいのを我慢してやってくれてました

 

 

 

7月14日

朝からまた熱が出ました

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とにかく皮下点滴

 

午前中はウォーターベッドでのんびりしていた文太さん

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お昼過ぎにのっぽさんが

「今すぐいつもの公園行こう!

お出掛け大好き文太さんの最後のお出掛けが病院なのは嫌や!

暑いし少し無理させるけど、今すぐ行こう!!」

 

梅雨明けしていないのでどんより曇り空

でも雨は降っていなかったので文太さんを車に乗せいつもの公園へ(車で10分)

 

公園の駐車場のゲートをくぐると

文太さんはいつものように『ん?ここはどこ?』と頭を上げました

カートに乗せて(体の下には保冷剤を敷き)いつもの散歩道

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少しガタガタして文太さんは2度ほど振り返る

(振り返る力が残っていた)

 

 

季節ごとのお花が咲いてる円形花壇へ

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ひまわり

私が大好きなひまわり

 

「ぶんちゃん、ひまわり咲いてるよ!」

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あまり長くは居られません

すぐに駐車場へ

 

途中、しばらく水が出ていなかったはずの噴水が

文太さんが通るタイミングで噴出した

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「ぶんちゃん、水出てるよ!」

 

 

 

急いで帰宅し、ベッドに横になったとたんにわか雨

すごい!やっぱり文太さん晴れ男

 

 

そうしてると

文太さんに黄疸が出始めました

夜の皮下点滴の時間です

しかし、私ものっぽさんも何かを感じて

 

「もう点滴やめよう。

これ以上今の文に針を刺すのは俺無理や・・・」

 

こうして二人が見守る中

文太さんの目がうつろになってきました

 

「ぶんちゃん!!」

 

私の呼び声で二度意識が戻ったのですが

その後、はっきりといつものくりくりお目目になって私たちを見て

尻尾がピーンと上に上がり息を引き取りました

すぐに脈も止まりました

 

「もういいよ。もう頑張らんでもいいよ」

 

 

 

19時08分28秒

文太さん永眠

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前回の投稿

驚かれた方も多いでしょう

 

私たち自身、大変驚き、

ゆっくり考える時間もないほどの

怒涛の11日間でした

 

文字が多くなりますが

経緯をここに綴りたいと思います

 

 

 

遡ること4月3日

狂犬病予防注射、フィラリア予防検査の採血と一緒に血液検査をかかりつけ医院でしました

 

血液検査の結果

肝臓数値が3年前から高めだった文太さんですが

今回はそれを上回る高さ

1ヶ月間は「油抜き」生活を指示されました

 

 

     ちゃっかり

     

 

 

     犬旅2024春 -九十九里-

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     いちご?

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約1ヶ月後5月15日 再検査

やはり下がらず

エコーでも診てもらい異常なし

お薬を2週間分処方されました

 

 

     犬旅2024春Ⅱ -滋賀-

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さらに2週間後5月29日の血液検査

やはり下がらず、薬を変え4週間後再検査

少し痩せてきている事も伝える

しかし年齢からして筋肉が落ちてきているのではないか?と

 

 

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       山と海

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4週間後

初めの血液検査から2ヶ月23日後6月26日の血液検査

肝臓数値まさかの爆上がり

急いでエコー

肝臓の中に多数の腫瘍があることが判明

年齢的に全身麻酔は危険なのでCT、MRIは出来ない

腫瘍が良性か悪性か?

良性でも数が多すぎて肝機能は低下する

すでに低下しているから数値が高い

 

「年齢が年齢だしね・・・

   検査も危険が伴うし・・・」

かかりつけ医院ではここで診察終了

 

え?!

 

私とのっぽさんの判断で二次診療専門の高度医療の病院の紹介をかかりつけ医に依頼

 

麻酔なしの細胞診が出来るならお願いしたくて

やはり良性か悪性か知りたい

 

ちょうど去年、家から20分ほどの所に某有名大学の高度医療病院の大阪病院が出来たのはチェック済

 

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文太さん、こんなにかわいい笑顔

 

 

 

7月3日 高度医療病院へ

かかりつけ医院で初めに血液検査をしてから3ヶ月経過

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かかりつけ医院での診察結果はデータで送付済

初めましての先生

文太さんのお顔、動きを見て

 

「年齢より若く見えるね~」

 

若く見えても12歳

文太さんの年齢を考えて出来る範囲の検査すべてお願いしました

もちろん全身麻酔のCT、MRIは出来ません

 

血液検査、尿検査、レントゲン、エコー、細胞診

 

検査よりも私たちと離れる事が文太さんにとって一番恐怖

心が痛むけど仕方がない

「少し我慢してね」

 

3時間後、検査結果を見ながら先生の説明

文太さんの呼び声が別室から聞こえてきます

 

診察室に入るや否や

「思っていたより かなり悪いです」

 

私は言ってる意味が良くわかりませんでした

ドラマでよくある『これって夢?』と現実じゃないと否定する感覚を初めて経験しました

 

肝臓内にたくさんある腫瘍は悪性

 

肝臓由来の肉腫(悪性腫瘍)

急性悪性間葉系腫瘍だそうです

 

肝臓ガンはほとんどが別に原発巣があって

転移で肝臓ガンになるのに

文太さんの場合は希少ガンで原発巣が肝臓以外に見当たらない

 

それなので数年前からの血液検査の結果が肝臓の数値だけ高めだったようで

そのことが最悪にも肝臓の腫瘍を疑われなかった原因です

 

肝臓は『沈黙の臓器』

 

文太さんも不調や痛みなどは感じていなかったみたいなのが救いですが

かなりだるかったと思います

 

かかりつけ医には疲れやすくなっていたのも、痩せてきていたのも年齢からにされていました

 

放射線治療は範囲が広すぎて不可能

抗がん剤も、ここまでくると効くのがないし、飲んでみてもかなりの副作用もあって辛いでしょう

 

『医学的には何も出来ない』と言われました

 

 

「先生、実際あとどのくらいですか?

かかりつけ医には『こんな感じで肝臓にたくさん腫瘍があっても2,3年生きた子もいるしね』と言われたんですが (かかりつけ医は悪性だと思っていなかった)と尋ねると

 

 

「う~ん、あと1ヶ月・・・

もし行きたい所があるならすぐに行って!!」

 

先生もかなり言葉を選んでいました

 

その様子から、かなり緊急性があると感じました

 

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(西洋)医学的に治療法がないのなら

免疫療法しかない!

 

 

ホリスティックケア始めます

 

怒涛の11日間が始まります

 

 

 

2024年7月14日(日)

19時08分

文太さん永眠しましたimage

12歳9ヶ月9日