カットは10分で設定。
右サイドから始まり正面に回り一周して帰ってくる。これで見落としを防ぐ。ベースカット命。これで全てが決まる。フロントのカットラインは最後にミストを振ってからまた切るので、あまり時間を割かない。
セニング。
全体に均一に入れつつ、毛が集まる部分は多めに入れる。動かないかも、と怖くなってセニングを入れすぎると、スカスカで迫力が出ない。
勇気が必要。

カット終了。多分8分経過した所。すぐにでもセットに入りたい所。
ここに本番の落とし穴がある。
焦ってすぐにセットに入ると、いつものセット練習とは違うタイムでやる事になる。
つまりやった事がない事をやる事になる。必ず途中で違う事をしてしまう。

モデルさんの顔の毛を払い、クロスをずらして全体の毛を払う。
髪にごく少量の水分を与え、ワックスを手につけて、静かに時間が過ぎるのを待った。たぶん40秒。

その間が果てしなく感じられた。

10分経過のアナウンス。

20日間で100回以上やったセットを開始した。
選手控え室が騒がしい。

控え室の責任者が、全ての電子機器の電源を切れと叫んでいる。

モデルさんや関係者と連絡を取ってはいけない。それはルールとしてある。音楽もダメ。俺は徐々に耳が聞こえてきた。集中やリラックスできる音楽を選手はいつも聞いている。

「何でダメなんだ!」「こんなのは聞いた事がない!」怒号が飛び交った。
お互い譲らない。

エネルギーを使ってもったいないなー。とぼんやり考えていた。
選手入場の準備が始まった。

ここから競技までが、1番記憶がない。
今でも全く思い出せない。
気付くと競技開始30秒前のアナウンス。
「今日で終わっちまうんだな。」
「俺は練習通りの事をこれからやって、間違いなくその通りできるんだろうなぁ。」と思った。

そして最後の競技が始まった。
工藤さんは東京都組合の公式コーチ。プライベートなレッスンは禁止。
何も言わなかったけど、お互いそれを守り抜いた。
兄貴に頼りたかったけど、兄貴には立場があった。俺にもプライドがあった。「いいよな」とか「ズルい」とか後で言われたくなかった。合同練習でしか会わない。メールもしない。
でも信じてた。俺を信じてくれてるって信じてた。
ジョージ先生は父親のように、チーフは母親のように見守ってくれて、岩楯先生は鏡として俺を重ねて頂いて、工藤さんは本当の兄貴で、たくさんの先輩がたは厳しい指導の中、そこには愛があった。
同期や後輩、仲間は俺を信じてくれてた。生涯の仲間だった。一生大切にすると今でも思っている。

そして俺には家族がいた。
立場や成績、そんなの関係無くずっとずっと応援してくれていた家族がいた。両親、妹達、親戚、そして家族になった人達、陽さんのご両親、御兄弟の家族親戚。

昔からの友達。

1番大切な、自分の命より大切な、陽さんとマナワ。

みんなのために何をすべきか考えた。答えは1つで、「今の自分に一生懸命になる」だった。自分の為=みんなの為が繋がった。

そして香川県入りした。陽さんのご両親の故郷。家族も親戚も来てくれる。ちーちゃんもゆりさんも来てくれる。仲間が来てくれる。
でも不思議とプレッシャーは無かった。
カラーを強調させる補正をしてからは、落ち着いていた。
当日まであれ程願っていた日本一。その為に全てを捧げてきた日本一。
サッさんと仲間達に約束した日本一。

日本一の父ちゃんになると誓った日本一。

それが、どうでもよくなっちゃった。

俺は自分の全てを出し切りたい。それで大好きな皆さんに「よくやった!」と言って笑顔になって欲しい。

陽さんに「愛している」と作品を通して伝えたい。

それしか考えられなかった。

本番直前の選手控え室。

ずーっと耳鳴りがしていて何も聞こえなかったけど、「このままでいい」って思った。