グアム旅行では言語についても思ったことがあり、再確認したことがありました。
グアムでは、グアムの先住民はチャロモ人と言われ、チャロモ人はチャロモ語を使っています。
ハファダイ Hafa Adai という言葉がよく聞かれ、「こんにちは」という意味です。
さようならは 「アディオス Adios 」で、歴史的にスペインの影響を強く受けていることが分かります。
そして公用語は 英語。
アメリカ準州なので、英語が使われているのは当然と言えば、当然。
この旅では、英語と日本語が行ったり来たりしました。
皆で動く旅行だったので、その場その場でそのとき担当に当たる現地の方が、日本語が話せるなら日本語。
そうでないなら英語を使う。
でも自分も含めて、言語で0が100なんてことはないです。
ナッシングではないし、完璧ではない。 全てそうだと思うけど、言葉だってもちろんそうで、むしろ、言葉はいつもそうです。
なのでその場その場に応じて、その時の状況で、わたしは日本語を優先したり英語を使ったりになりました。
そんな中で、やっぱり思いました。
わたしが 英語を話すのは、 ただ、ただ 「コミュニケーションをより豊かにとるため」 だと。
国を超え、人種を超え、人と繋がり、土地をより味わい、深く交流するために、英語を話すのだと。
ガテマラ共和国を一人で旅したときは、ガテマラでは英語はほとんど通じず、英語を話そうとしたわたしに「アメリカーニョ!(アメリカ人)」と言った人さえいました。 ネイティブの英語にはなりえないわたしの英語を聞いて、そう思うくらいだから、よほど英語はここでは通じないのだな、、と思いました。
それでも、英語を話せたことで、他の旅行者(イタリア人の方でした)とも知り合いになれて、その方を介して、現地の子どもたちと時間を共にし、話をすることもできました。
ガテマラはスペイン語なので、イタリア人の方にしたらスペイン語はわりと簡単でその方は現地の方と話をしていました。
なので、英語を話すことや、話せるかどうかはいつもたいしてことではなくって、コミュニケーションがとれるかどうかが、いつもわたしにとって重要でした。
コミュニケーションは、言葉だけでなく、いろんなものを通して行っています。
完璧に話せることと、コミュニケーションを豊かにとることは、少し違います。
英語が話せることよりも、「英語を手段のひとつとして、自分はコミュニケーションが自由にとれる」という 「心持ち」 の方が、わたしの中で自分をいろんな環境、国でも、存分に楽しめたり味わえる 「力」になってるのかなーと思います。
もし、自分がグアムに一人で行っていたならば、もっと英語を使っただろうな~と思います。
それは、グアムの方が日本語を話すとき、それは「観光客のため」だから。
日本の観光客が一番多いので、仕事を通して話す必要があり、日本語が話せる方が多く結構どこでも日本語が使えます。
でもそこで生まれる会話は 「観光客とガイド」という枠にはまる感じがします。
現地で現地の匂いをしっかりかぎたいと思ったならば、一人の人としてコミュニケーションをとろうと思ったならば、きっとそれは英語の方ができただろうな~と思いました!
あまり宣伝してないんですが、わたしは英語も教えてます~!
こちらのキャリアは意外に結構長くって、断続的に10年以上教えてます。
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