今日は

今年始めた新しいことのひとつ、

調理補助のお仕事の日でした。

 

週に1回の勤務

開店前は開店準備

営業時間中はホール担当

 

なので

実際に調理補助をするのは

ランチタイムが終わってからの1.5時間。

 

 

限られた時間だけど

勉強になることが多くてとても楽しい。

 

好きなことを仕事にするって

こういう感覚なんだなあと

毎回食材たちの下処理をしながら

噛みしめています。

 

 

初めて任された補助の仕事は

オクラのガク取り。

 

ちょうど数日前の美容院で

担当のお兄さんとオクラのガク取りについて

盛り上がったばかりだったから

(なんて平和な会話笑)

 

こんなピンポイントでタイムリーなことある?

ってひとりでほっこりしてしまった。

 

そんなゆるゆると作業していたのも束の間、

呑気にガク取りをしてる姿を見ていた料理長から

初めての教えを受けまして、

 

調理場での立ち姿勢を、直していただきました。

 

恥ずかしいことに

テーブルにお腹をもたれて作業していたようで

こぶし一個分あけて立つといいよ、と。

 

テーブルの汚れがついちゃうのもあるけど

もたれてるとだらしなく見えるから、と。

 

 

これを教えてもらったときのわたし、

か、かっこいい……!!!!の感動で

全身吹き荒れていました。

 

 

そもそもテーブルにもたれて仕事するのが

だらしないっていうのは普通のことなんだけど。

 

そういうことではなく、

 

はじめに指摘されるの、

手際の悪さとかじゃないんだなって。

 

ただのわたしの姿勢の悪さを

指摘したわけでもなく

調理場に立つ人間として、

基礎として教えてくれたことに

なんだか感動してしまった。

 

調理人たるやのあり方が

全てそこに詰まっている気がした。

 

 

今回こそ無意識でもたれてたけど

今まで他の職場とか日常でも

立ち作業中に脚で立ってられなくて

お腹で支えてる瞬間に気づくことはあって。

 

反り腰の影響なのか、ついやっちゃうみたい。

 

 

常々自分のだらしなさを直したいと

口にしているけど

こういうとこだな、って

すごく胸に刺さった出来事でした。

 

 

それからは

こぶし一個分あけるとこを意識して

常に丹田にクッと力を入れて作業してるのだけど

 

そうしていると

面白いことに気持ちもキリッとするもので、

集中して丁寧に作業ができる気がしています。

 

最近は仕事以外のふとした瞬間にも

体幹が安定してきた気がする、、、?って

変化を感じることがぽつぽつと。

 

 

姿勢って、人柄が表れるから面白い。

 

姿勢だけで言うと、個人的には

曲がった腰も、猫背も、内向きの肩も

その人の生きてきた体って感じで好きだけど

 

今目指すのは

軸がまっすぐで誠実な仕事をすることだから

そんな心が表れる立ち姿を身につけていきます。

 

 

 

 

料理は小さいころから好きで

 

NHKの子ども向け料理番組を

見るのが好きだったり

スーパーにおいてるレシピを

いつか作るんだってコレクションしてたり

 

なんだけど、

 

いざ作るとなると

自分で食材を買えない年齢のころは

母の手伝いをするのが

唯一料理に触れるチャンスで

 

ただ、性格上、

アバウトが大の苦手だったものだから

「食べやすい大きさに切って」が

もうどうにも無理で。笑

 

一回見本を見せてもらわないと不安で切れず。

 

食材が変わるたびに

じゃがいもはどれくらい?にんじんじは?と

毎回お伺いを立ててると

 

当然聞かれる側は面倒くさくなって

「適当でいいよ!」だけ返ってくるようになり

 

適当が分からない!!!ってなる私は

手伝うことをやめてしまうのであった。笑

 

 

この頃から完璧主義というか、

失敗したくない主義というか、

 

じゃがいもが大きかろうが小さかろうが

別になにも、本当になにも

恐ろしいことなんて起こらないのに

 

やってみちゃえばいいのに、

それができない性格だったんだよね。

 

 

 

今の調理補助の仕事では

味付けをさせてくれることもあるんだけど

 

「このだし汁に自分の感覚で味噌を入れて」

 

って言われたとき

その母とのやり取りが

走馬灯のように思い出され。

 

せめてヒントをと、

大体どれくらいですか?って聞いたんだけど

 

 

自分がおいしいと思う味にしてみて。

正解はないから、まずは

自分がおいしいと思う味を作ることが大事。

 

自分がおいしいと思わないものは

人に出さないでしょ?

 

 

って言っていただいて、

 

 

また、はい。

脳内は感動の嵐で荒れ狂ってました。

 

 

自分の感覚で味噌を入れて

味見して

なんだか物足りなくてもう少し足して

自分の舌がおいしいと思う味を完成させて。

それを料理長にも味見してもらって。

 

ただそれだけのことにドキドキして

すごく特別な体験をした気持ちになった。

 

 

自炊でレシピ通りに作ってイマイチなとき、

なにか工程を間違えたかな?とか

レシピの味が合わなかったかな?とか

正解を探したり

違うレシピを試したりしてきたけど

 

そうじゃなくて

自分の舌が喜ぶことを考えればよかったのか

って

 

言われてみれば当たり前なんだけど

目から鱗だった。

 

料理の技術とかではなく、

考え方での学びだけでも

料理の楽しさがぐんと広がるのが面白い。

 

 

それに、なんだか料理を通して

自分自身の内面を見つめることも多いから

料理って奥深い。

 

 

今はまだつま先くらいしか踏み入れてないけど

これからも料理に携わる仕事は続けたいなと

密かな夢が芽生えているのでした。

 

 

副業を始める第一歩が

文字数の感覚を掴むこととあったので

今日から2000文字以上の

文章を書く練習を始めてみる。


ここまでで54文字、

思ったよりもゴールが遠くて

早くも気が遠くなっている(早すぎるな)


向いてるか向いてないかの見極めも

目的の一つだけど

明日には更新が止まっているかも

わからない。。


でもこれもやってみて知り得る感覚なので

一歩を踏み出すって本当にダイジですね。



いつぞやのオーラ鑑定士さんに

「石橋を叩いて渡らない」と言われたのが

あまりにも的確でずっと頭に残っていたけど


少しずつ概念が変わってきて、

橋が壊れてもなんとかなるし

なんとかならなくてもそれもまた人生だと

渡る一歩を踏み出す回数が増えてきた。



少し前の自分からしたら

教習所に向かってる今の自分にも

びっくりするんじゃないだろうか。




今日で3回目の教習。


 果たして無事に路上デビューできるのか。



今のところ運転センスは未知数で

道端をブイブイ走らせてる自分の姿は

まったく想像がついていない。


乗ってる人たちは

口を揃えて慣れだよ慣れって言うけれど

今のわたしにとっては

免許取得者はもれなく全員

スペシャルな操縦者に見える今日この頃。


運転苦じゃないから、とか

これくらいの距離平気だよ、とか


今までそうなの?そんなものなの?

って言葉通りに受け取ってたけど


いやいや

運転任せてスヤスヤ寝てごめんなさい

とか


ガソリン代払わず

のうのうと乗せてもらってごめんなさい

とか


歩行者としても

狭い道歩きスマホしてごめんなさい

とか


すれ違うとき

立ち止まって待たなくてごめんなさい

とか


溢れんばかりに反省が沸いてくる沸いてくる。


経験がないと想像力が不足してしまうのを

思い知るばかりだけど


同じくらい感謝も尊敬の念も沸いてくるから

それだけでも勉強になる経験だ。



自分が慣れの境地にたどりついても

この気持ちを、

初心を忘れずにいたいものです。




30年近く無縁だった運転席は

座ってみて初めて知ることも多くて


一番最初の衝撃は

ブレーキを踏み続けなきゃ

車は止まっていてくれないこと。


知ったときの心の第一声が

スネ疲れそ〜〜だったのが

我ながらセラピスト脳で笑った。


幸いなことに(?)スペシャリストたちは

サイドブレーキとかギアチェンジとか

慣れの技を使うらしいから

右スネだけムキムキになることはなさそう。



操作を覚えると今度は

ブレーキとサイドブレーキとで

内部の動きはどう違うんだろうとか

車の構造にも興味がわいて


初めて出会う好奇心がとても新鮮。




さて

900文字を超えたところで

教習の時間になったので

一旦ブイブイさせてきます。







教習終わりました。


ブイブイできず

半分心折れて帰ってきました。



車体の感覚がなかなか掴めず

ふらついたり乗り上げたり散々の結果に。



目標は5回で仮免なんだけど

ちょっと厳しい予感がしてきた。


焦らずいこう。


だがしかし気を引き締めよう。



学科に至っては教本を開いた5分後に

睡魔に襲われるのがルーティン化してるので

こっちもなんとかしなくては。



とりあえず今はスタバの甘々の

何かしらのフラペチーノを飲みたい。

運転はかなりのHPを持っていかれるようだ。





最近、

自分の感情と向き合ってる中で

ふと思い出したことがある。



元々、新しいことを始めたときは

予習復習をするタイプの

子どもだったのだけど


それは時間をかけないと理解できないから

っていう自覚と


きちんと準備をしておくと

自分にとっても周りにとってもスムーズだから

っていう心構えからそうしていて。



でも学校や職場で

いろんな生き方や考えに触れて

案外周りの人たちは適当なことを知って


それはいい意味の「適当さ」で


社会人に慣れてきた頃だったか、

頑張りすぎて疲れてた頃だったか、

適当でもみんな問題なく生きていて

こんなに時間も頭も使わないことが

羨ましく思えてきて


そっちの生き方をやってみようって

きちんと準備する習慣を

意図的にやめてみたことがある。



やめてみたら

思った通り大体のことはなんとかなって

失敗することもあるけど不便はなくて

その生き方を続けてきた。


そっちに切り替えてからもう何年も経つけど


ふと

そんな風に切り替えた背景を思い出して

振り返って、向き合って考えていたら


今までやってきた「適当」は

手を抜いてただけってことに

気づいてしまった。



無意識下で

手を抜いた罪悪感や背徳感があるから

人から指摘や注意を受けたとき、

自分を正当化しようとムキになったり

傲慢になるんだと。


わたしが羨ましいと思った「適当な人」は

手を抜いてる人じゃなくて

肩の力を抜いてる人だ。


本質を履き違えちゃ大変だ。



そんなことに気付いてからは

改めて、真面目にコツコツ生きる自分を

愛してあげることにしている。


幼き頃の自分には真面目って

呪いの言葉でコンプレックスだったから

あえて不真面目な自分をやってた

っていうのもあって。


でも、どうあがいても

真面目な人は真面目でしかなくて

「真面目に不真面目をやってる人」にしか

ならなくて。



そういうわけなので、少し前の自分なら

なんとかなるっしょのノリだけで

この先の教習に挑んでいるところですが


必要だとわかってることや

大切だと思うことに対してのできる準備は

しっかりやろうと思う。


そして疲れたら休む。

ご褒美を与えてもよし。

(肩の力を抜くってこういうことであってるのか?なんかやっぱ力抜くの下手そう)




ちなみに帰りがけには

ちゃっかりダークモカチップフラペチーノを

買いました。


HPなくなりかけのときに飲む

フラペチーノは格別!




心身ともに回復したので

明日のお仕事の準備をしてきます。



いやーーーー2000文字って大変。


書き始める前に想像してた景色と

書き終えた今の景色が全然違う。


小さくも大きな一歩でした。


今日も一日お疲れさま。



迷ってる時間がもったいない気がする。

元々、迷って迷って調べて選んで、
とことん悩んで決めたことじゃないと
行動にうつせない性格で

それが私であり
それも駄目じゃないんだけど。

タイムイズマネー。

今はとにかく迷う前にやってみる、
やりながら考える、
にシフトチェンジしていく。


好きなことも
やってみたいことも全部やってやる!