☆Last adventure 最後の試練 Vol. 3◇
《グランデ・トリノに祈りを...》
トリノへ来てから、2日目の朝を迎えた。
時刻は、午前6:00。
長旅の疲れも、時差ぼけも無く、コンディションは全く問題無い。
本日は、ナイトゲームでユベントススタジアムのユベントスvsミランを観戦する日である。
その前の日中には、ここトリノで、どうしてもやっておきたい事がある。
それは、スペルガ聖堂へ行ってグランデ・トリノへ祈りを捧げる事だった。
ホテルで朝食を取った後で7:50頃、出発した。
スペルガ聖堂へのアクセスは、先ずホテルから7~8分ほど歩いた所にあるカステッロ広場から15番トラムへ乗って、サッシ駅まで向かう。(所要25分)
そして、サッシ駅から登山電車でスペルガ駅まで向かう。(所要20分)
登山電車は、10:00から1時間に1本と調べてあるが、サッシ駅まで行くトラムの本数は、どのくらいか分からなかった。
でも、日曜日で20分待てば来るくらいなら当日は土曜日なので問題無いだろうとは思っていた。
心配された天気も初日の朝は問題無かった。
寒いだけなら全くノープロブレム。
12年前の今頃は、とにかく傘が手放せなかったので、傘を差さずに歩ければ良いと、軽い足取りでカステッロ広場へ到着した。

15番のトラム乗り場も、直ぐに見つかった。
8:52に到着するらしい。

時刻表が無いのは不便だが、次の便がいつ来るか知らせてくれれば、ありがたい。
後は正確かどうか...。
しかし、停留所の案内板を良く見ると、今来たところは逆方面である事が分かった。
停車する停留所が表示されているのに対して、矢印が逆方向に伸びている事に気がついた。
これは、危なかった。
そうとも知らずに乗っていたら、トラブルとなっていた。
向かい側の正しい方向のトラム乗り場へ辿り着いた。

8:55ほぼ定刻通りトラムは、やって来た。
向かい側の逆方面のトラムも8:52頃、到着していた。
時間にルーズなイメージが強いイタリア社会だけに、暫く来ないうちに変わったような一味違う印象を受けた。
車窓から見えたポー川。

イタリアで最も長い川で全長652㎞もあるらしい。
トラム車内には停留所に停まる度に案内放送が流れるので、順調に目的地に来てる事も把握出来て安心だった。
凡そ20分程度でサッシ駅へ到着した。

早く来すぎてしまったために、駅は開門していなかった。
トーマスの行動とイタリアの公共交通機関に順調さを欠く事も想定して早めに行動したが、ここまでは順調に来たので登山電車10:00の始発まで待つ事になるが、それで良い。
駅が開門したのは、9:40過ぎだった。
それから、馴れない券売機で登山電車の切符を買って、10:00始発の登山電車に乗った。

昨年9月に六甲山で乗って以来の登山電車。
もちろん、イタリアでは初めてだった。
六甲山の登山電車よりも近代的な感じだった。
カルチョは、日本よりも先を行くイタリアだが、電車、バス等公共交通機関は全て日本の遅れを取っているだけに仕方ない。
スペルガ駅までは、案内通り20分ほどで到着した。
スペルガ駅から道なりに山を登って行くと、スペルガ聖堂に到着した。

御用があったのはスペルガ聖堂というよりも、スペルガ聖堂の真裏に有るグランデ・トリノの墓碑だった。

1949年5月4日に、ここでスペルガの悲劇が起こった。
セリエA5連覇を目前に控えた、当時イタリア国内では無敵の強さを誇っていたグランデ・トリノの選手とスタッフを乗せた飛行機がスペルガ聖堂へ激突して乗客全員が命を落とした。
トリノのみならず、イタリアサッカー界全体に大きな損失を与えるショッキングな事故だった。
トリノは、そのシーズンの残りをユースチームで戦って5連覇を達成したものの、翌シーズン以降は低迷期に入った。
グランデ・トリノが主軸だったアズーリも、その後のワールドカップでは早期敗退を繰り返していた。
それほど、イタリアサッカーの中心に属していた彼等グランデ・トリノに祈りを捧げに来るサッカーファンが、あの悲劇から66年経った今でも絶えないという。
トリノのマフラーが多いが中には、フィオレンティーナやアベリーゼと言った違うクラブのサポーターもマフラーを手に祈りを捧げに来ているようだった。

トーマスが、ここトリノでどうしてもやりたかった事。
それは、ラツィアーレと虎党の顔を持つトーマスからグランデ・トリノへラツィオのマフラーと虎公式ファンクラブのユニフォームと9年前にトリノで買ったトリノ冬期オリンピックの帽子を納めて、偉大なレジェンドに祈りを捧げる事だった。

トリノの象徴であるトーロ。

グランデ・トリノについて書かれた掲示板には、サッカーが盛んな欧州各国の言葉で記されている。

カルチョファンとして、最後の海外遠征でサッカー観戦以外では最もやっておきたかった事が出来て本当に良かった。
Ciao Grande Torino.
《グランデ・トリノに祈りを...》
トリノへ来てから、2日目の朝を迎えた。
時刻は、午前6:00。
長旅の疲れも、時差ぼけも無く、コンディションは全く問題無い。
本日は、ナイトゲームでユベントススタジアムのユベントスvsミランを観戦する日である。
その前の日中には、ここトリノで、どうしてもやっておきたい事がある。
それは、スペルガ聖堂へ行ってグランデ・トリノへ祈りを捧げる事だった。
ホテルで朝食を取った後で7:50頃、出発した。
スペルガ聖堂へのアクセスは、先ずホテルから7~8分ほど歩いた所にあるカステッロ広場から15番トラムへ乗って、サッシ駅まで向かう。(所要25分)
そして、サッシ駅から登山電車でスペルガ駅まで向かう。(所要20分)
登山電車は、10:00から1時間に1本と調べてあるが、サッシ駅まで行くトラムの本数は、どのくらいか分からなかった。
でも、日曜日で20分待てば来るくらいなら当日は土曜日なので問題無いだろうとは思っていた。
心配された天気も初日の朝は問題無かった。
寒いだけなら全くノープロブレム。
12年前の今頃は、とにかく傘が手放せなかったので、傘を差さずに歩ければ良いと、軽い足取りでカステッロ広場へ到着した。

15番のトラム乗り場も、直ぐに見つかった。
8:52に到着するらしい。

時刻表が無いのは不便だが、次の便がいつ来るか知らせてくれれば、ありがたい。
後は正確かどうか...。
しかし、停留所の案内板を良く見ると、今来たところは逆方面である事が分かった。
停車する停留所が表示されているのに対して、矢印が逆方向に伸びている事に気がついた。
これは、危なかった。
そうとも知らずに乗っていたら、トラブルとなっていた。
向かい側の正しい方向のトラム乗り場へ辿り着いた。

8:55ほぼ定刻通りトラムは、やって来た。
向かい側の逆方面のトラムも8:52頃、到着していた。
時間にルーズなイメージが強いイタリア社会だけに、暫く来ないうちに変わったような一味違う印象を受けた。
車窓から見えたポー川。

イタリアで最も長い川で全長652㎞もあるらしい。
トラム車内には停留所に停まる度に案内放送が流れるので、順調に目的地に来てる事も把握出来て安心だった。
凡そ20分程度でサッシ駅へ到着した。

早く来すぎてしまったために、駅は開門していなかった。
トーマスの行動とイタリアの公共交通機関に順調さを欠く事も想定して早めに行動したが、ここまでは順調に来たので登山電車10:00の始発まで待つ事になるが、それで良い。
駅が開門したのは、9:40過ぎだった。
それから、馴れない券売機で登山電車の切符を買って、10:00始発の登山電車に乗った。

昨年9月に六甲山で乗って以来の登山電車。
もちろん、イタリアでは初めてだった。
六甲山の登山電車よりも近代的な感じだった。
カルチョは、日本よりも先を行くイタリアだが、電車、バス等公共交通機関は全て日本の遅れを取っているだけに仕方ない。
スペルガ駅までは、案内通り20分ほどで到着した。
スペルガ駅から道なりに山を登って行くと、スペルガ聖堂に到着した。

御用があったのはスペルガ聖堂というよりも、スペルガ聖堂の真裏に有るグランデ・トリノの墓碑だった。

1949年5月4日に、ここでスペルガの悲劇が起こった。
セリエA5連覇を目前に控えた、当時イタリア国内では無敵の強さを誇っていたグランデ・トリノの選手とスタッフを乗せた飛行機がスペルガ聖堂へ激突して乗客全員が命を落とした。
トリノのみならず、イタリアサッカー界全体に大きな損失を与えるショッキングな事故だった。
トリノは、そのシーズンの残りをユースチームで戦って5連覇を達成したものの、翌シーズン以降は低迷期に入った。
グランデ・トリノが主軸だったアズーリも、その後のワールドカップでは早期敗退を繰り返していた。
それほど、イタリアサッカーの中心に属していた彼等グランデ・トリノに祈りを捧げに来るサッカーファンが、あの悲劇から66年経った今でも絶えないという。
トリノのマフラーが多いが中には、フィオレンティーナやアベリーゼと言った違うクラブのサポーターもマフラーを手に祈りを捧げに来ているようだった。

トーマスが、ここトリノでどうしてもやりたかった事。
それは、ラツィアーレと虎党の顔を持つトーマスからグランデ・トリノへラツィオのマフラーと虎公式ファンクラブのユニフォームと9年前にトリノで買ったトリノ冬期オリンピックの帽子を納めて、偉大なレジェンドに祈りを捧げる事だった。

トリノの象徴であるトーロ。

グランデ・トリノについて書かれた掲示板には、サッカーが盛んな欧州各国の言葉で記されている。

カルチョファンとして、最後の海外遠征でサッカー観戦以外では最もやっておきたかった事が出来て本当に良かった。
Ciao Grande Torino.
To be continued.