ミレニアムイヤーが終わり、21世紀に突入した2001年のゴールデンウィークでセリエAデビューを迎えた。

セリエAデビュー戦は、運命のローマダービーだった。

2000-01シーズン終盤戦に入り、ローマ、ユベントス、ラツィオが三つ巴の優勝争いを演じていた中でのローマダービー激突。

両チーム共にスクデット争いのローマダービーは初めてで物凄い試合がセリエAデビュー戦でもあった。

この遠征では、初めて団体ツアー参加ではなく、友人4人で旅をした。

20世紀までは団体ツアー参加だったが、21世紀からは団体ツアーを卒業してフリープランの旅をするようになった。

初めてのフリープランの旅は、いきなりアリタリア航空のストのトラブルに巻き込まれ、ローマ到着予定が、経由地であるミラノで1泊する事になった。

アリタリア航空が用意したミラノの4つ星ホテルで一夜を明かした後でローマへと向かった。

海外デビュー以来、凡そ3年半ぶりのローマ・オリンピコだった。

思えば、この時からラツィオのフランチャイズであるスタディオ・オリンピコがトーマスの海外での主戦場にもなった。




国内では、もちろん甲子園である。

ローマダービーとは言ってもローマ主催なのでロマニスタが多く詰め掛けている。



世界最強リーグと言われていた当時のセリエA。

ローマダービーはイタリアのみならず、世界中が注目する一戦だった。

ラツィオ・スタメン
ペルッツィ
ネグロ
ネスタ
ミハイロビッチ
パンカロ
ポボルスキー
シメオネ
バローニオ
ディノ・バッジョ
ネドベド
クレスポ


ローマ・スタメン
アントニオーリ
アウダイール
サムエル
ギグー
ザネッティ
トンマージ
カフー
カンデラ
トッティ
バティストゥータ
デル・ヴェッキオ


ラツィオは、司令塔ベロンがアルゼンチン航空のストで到着が遅れて、この大事な大一番に欠場となった。

ローマは、この頃は外国人枠で中田が欠場している。

我々が観戦していたのはメインスタンドのラツィオ側のゴール裏の隣だった。

ローマ主催の試合では、両チームのファンが交わる所で危険なエリアでもあった。



前半は、スコアレスで終了。

後半に入ると、立て続けにバティストゥータとデル・ヴェッキオがゴールを決めてローマが2点リードを奪った。

2点目が決まってから、ラツィオのゴール裏からペットボトルやらコインやらが沢山飛んできて、両チームサポーターの間で小競り合いが始まった。

警官隊が出動して大事にはならなかったが、これがセリエAなのだと思った。

ただでさえ、セリエAで最も熱いローマダービーだけに、シーズン終盤で両チーム共にスクデット争いに絡んでいるともなれば、平和に終わる訳などなかった。

スタンドには無数の硬貨が落ちていた。

日本円では凡そ5円程度の硬貨だが、投げれば石と同じで武器にもなる。

女性の顔に直撃したみたいで泣いてる方も居られた。

スタンドに落ちている硬貨を拾い集めていたら、最終的に4000リラ程になった。

ジュース1本が買えるほどの金額である。

試合は、ラツィオが2点を追いかける展開。

負ければ、優勝争いからは脱落してしまう。

首位ローマを追いかける為には勝たなければならない試合だった。

後半の中盤に、ラツィオはコーナーキックのクリアボールをネドベドが左足のボレーで決めて1点を返した。

2-1ローマリードのまま後半ロスタイムに突入した。

5分取ったロスタイムの最後の最後で、1点目の時と同じくコーナーキックのクリアボールをカストロマンがシュートを決めて劇的な同点ゴールとなった

そして同時に試合が終わった。

勝たなければならなかったラツィオだが、選手もサポーターも勝ったみたいに喜んでいた。

負けなかった事でスクデット争いから脱落せず、可能性を残したから、それで良い。

ローマは引き分けでも十分だが、あと一歩で勝てる試合を逃して悔しそうだった。

翌日のコリエレ・デロ・スポルトでは、【GRANDE Derby】との見出しが躍っていた。

トーマスのセリエAデビューは、【GRANDE derby】だった。

今回の遠征は長かったが、サッカーは、この1試合だけ。

次記事では、観光編の話をする。