(前編より続く)
宿泊しているパリには、メイン会場であるサンドニの他に、パリ・サンジェルマンのフランチャイズであるパルク・デ・プランススタジアムがある。

ツアーの中では、観戦予定ではない日にパルク・デ・プランスでベルギーvs韓国が行われる事を知って、ダフチケで観戦しようとスタジアムへ向かった。

キックオフからまだ大分時間がある頃は、チケットの値段は有り得ないくらい高かったが、キックオフの時間が近づく頃は、大分値段が落ちて、定価まではいかなかったが、それなりの値段でチケットを買った。

フランスとベルギーは国境が面していて、パリもベルギーから近いところに位置しているので、スタジアム周辺は多くのベルギーサポーターの姿が見られた。

チケットを確保したと同時に売店でベルギーのT-シャツを買って着て歩いていた。

ベルギー人から「コリア?」と尋ねられて「ノー ジャパニーズ」と答えた事はあったが、ベルギーサポーターは、フレンドリーな人が多かった。

キャプテン翼でフランス国際Jr.ユース大会の舞台となったパルク・デ・プランススタジアムで観戦機会に恵まれて幸運だった。



ベルギーサポーター一色で行われたベルギーvs韓国の一戦は、1-1ドローに終わった。

韓国は元々この試合の前にグループリーグ敗退が決まっていたが、この試合のドローでグループリーグ敗退となったベルギーイレブンは、グランドに倒れこんでいた。

しかし、両チーム共に死力を尽くした戦いで、スタンドからは温かい拍手が送られていた。


W杯観戦も、いよいよ日本戦を残すのみとなった。

試合前日にショッピングモールのレストラン街を歩いていると、店からスキンヘッドの店員さんが出てきて、手を振りながら「ナカータ、ナカータ」と我々を呼ぶようにして言ってきた。

何処で食事しようかと考えていた我々は、「ナカータ」に導かれて店に入った。

料理をオーダーすると、スキンヘッドの店員さんは、厨房に向かって「ナカータ、○○(注文した料理名)」という感じでメニューを告げていた。

食事が終わって、店を出る時に、スキンヘッドの店員さんは、「ジャパン」と言って指を三本立てると、今度は、「ジャマイカ」と言って指でゼロを作っていた。

日本代表がジャマイカに、3-0で勝つと言ってくれている。

ゴールを決めるのは、「ナカータ」「ジョー」「ヒラノ」と言っていた。


少し話は逸れるが、この時期のヨーロッパは日が長く、23時頃までは大分明るさが残っている。

21時キックオフのナイトゲームも、日中帯と変わらない中で行われた。

それだけ、日が長ければ本当に便利だった。

夜の犯罪も減って良いと思った。


日本代表戦当日、パリからバスで7時間ほどかけて会場であるリヨンに移動した。

両チーム共に既にグループリーグ敗退が決まっているが、W杯での1勝は重みがあるだけに、W杯初勝利を手にして帰りたい。

日本有利という前評判に加えて、まるで日本で試合を行っているかのように、スタジアム一周埋めつくす日本サポーター。

日本代表が負ける要素など無いと思っていたが、結果は知っての通り。



試合終了後、井原が手で顔を覆って涙にくれている。

対称的に日本の司令塔中田は、悔しさの欠片もないみたいに笑顔を振り撒いていた。

後にペルージャへの移籍を決めただけに彼自身、全力を尽くしたとは思うが、この頃は尖っていたり、大人ではない所があった。


後にジャマイカ代表の奴等は、グループリーグ敗退が決まった後でディズニーランドで遊んでいたと聞いて、更にショッキングだった。


この海外遠征は、チケットを確保しないまま日本を出発すると言った前代未聞のスタートとなったが、災い転じて福となしたところもあった。

ツアーを申し込んでいた人の中にはキャンセルした人も居て、二人部屋を一人で使えたり、チケットも予定よりもランクアップで観れたりもした。

ワールドカップを経験出来て、サッカーファンとして良い時を過ごせた。