トーマスの初海外遠征は1997年10月、イタリア・ローマで行われたフランスW杯予選イタリアvsイングランドで始まった。
トーマスが10代後半に、テレビで観戦したセリエAがきっかけでイタリアへ行きたいと思うようになった。
それから、海を渡るまでには長い年月を要した。
入社してから2年目の頃、当時の上司に「イタリアへ行くのが夢」とお話した事があった。
その当時はイタリアは、まだ遠い遠い存在で夢でしかなかった。
しかし、それから、その上司が夏休みの予定シートのトーマスの欄に『セリエA観戦ツアーに参加』(特例で10月まで夏期休暇取得が認められた)と記載してしまい、それを見た先輩や同僚から「イタリアへ行くのか?」と言う問い合わせが殺到して引くに引けない状況になった事が世界への扉となったような気がする。
そのような事がなければ、その年にイタリアへ行く事はなかっただろうし、そうなれば現在の海外遠征のキャリアは存在しなかっただろう。
以前に勤めていた会社の上司だが、その上司と出会わなければ、現在も海外へ出る事はなかったかもしれない。
そう思うと本当に運命や歴史は不思議な感じがする。
初の海外遠征は、初めてパスポートを取得する事から始まった。

初の海外遠征の出発前は、楽しみな反面、色々な意味で不安も入り交じっていた。
そんな中で成田空港へ向かって、遂に重かった世界の扉を開いた。

記念すべき最初の渡航スタンプ。
添乗員なしの団体ツアーだった。
一緒だったツアー客の方々は、皆共通の趣味なので話題も合って、すぐに仲良くなれた。
関西から東海にかけての方が多かった。
エールフランスでパリ経由にてローマへと向かった。
翌年には、フランスW杯が行われ、一足先にフランスへプチ上陸。
イングランド代表とのW杯出場を賭けた戦いに臨むアズーリとW杯初出場目指して奮闘している日本代表の吉兆になれば...と思っていた。
ローマ・フィウミチーノ空港には夜遅くに到着して、現地係員に迎えられて、シャトルバスで宿泊ホテルへと向かった。
初めて迎えたローマの朝は、中々起きれなかった。
長旅と時差による疲労が抜けなかったのだろう。
経験を重ねてくうちに、問題無くなってくるが、当時は何もかもが初めてだった事が影響した。
メイドが入ってきて、ようやく起きた感じだった。
長く寝過ぎたせいか、髪の毛は寝癖が立ってたらしく、年輩女性のメイドが笑顔で何か喋りながらトーマスの髪の毛に手をやっていたが、疲れが抜けきれずボーとしていた事を記憶している。
それが、初めて迎えた海外遠征、ローマの朝だった。
それから、ホテルを出発して適当に歩いていると見た事がある建造物を目にした。
それは、コロッセオだった。

更に適当に歩いていると、ヴェネツィア広場へと出た。
ローマの玄関口であるテルミニでは、若い男性に英語で「ドゥー ユウ ノウ アダム・・・(人物は聞き取れなかった)」と尋ねられたので、「アイ ドント ノウ」と答えると、その者は引き下がった。
一体、何だったのかな!?と言った感じだった。
初の海外遠征は、カルチョ観戦以外は、これと言って予定を立ててなく、暇を持て余した。
夜にカンツォーネを聴きながらディナーを楽しむオプショナルツアーに参加した。
兵士の衣装に身をまとったリストランテの店員がパスタを皿に盛る時に「オオモリ」と言いながらよそっていた。
カンツォーネの生合唱を聴いたのも、後にも先にも、その日の夜しかない。
翌日は半日観光のオプショナルツアーに参加した。
トレビの泉やサンピエトロ広場と言った代表的な名所を巡った。
後に何度も訪れる場所ばかりだった。
半日観光の後で目当てだったラツィオポイントで買い物をした。
現在はオリジナルファンズラツィオと言う名前に変わっているラツィオのオフィシャルショップも後に何度も訪れる事になる。
ホテルへ戻りロビーでオリンピコ出発を待機していた。
結構、長い時間待たされた。
やっと来たバスの中で、係員によってウズベキスタンとのW杯最終予選に臨んでいる日本が引き分けた事を知った。
16時頃、ホテルを出発する時も本日観戦するイタリアvsイングランドのキックオフ時刻が分からないという。

観戦チケットにもキックオフ時刻は記載されてない。
イタリアはイングランドに勝たなければならないだけに心理戦に持ち込もうとしているのだろうか?
キックオフ時刻も分からないままオリンピコへ到着した。

トーマスの海外デビュー戦は、イタリア中が注目するビッグマッチと言うべき試合だった。
超満員のオリンピコの雰囲気に圧倒された。
イングランドサポーターが歌声を挙げた時のイタリアサポーターの指笛のブーイングが凄かった。
試合はスコアレスドローでイングランドがW杯出場を決めて、イタリアがプレーオフに回る事になった。
最後、デルピエーロのクロスをビエリがヘッドで合わせたシュートが惜しかった。
ピッチ内の戦いも白熱していたが、スタンドも同じくらいヒートアップしていて、ピッチ外にも目が行ってしまうほどだった。
イタリアサポーターとイングランドサポーターの間をペットボトルが行ったり来たりしていた。
恐らく、コインも行き来していたと思う。
試合中にイングランドサポーターエリアにストレッチャーが運ばれて、サポーターの一人が運び出された。
イタリアサポーター全員がイングランドサポーターエリアを向いて「アウト インギルテッラー(出て行け イングランド)」の大合唱が凄かった。
試合よりもスタンドの方が印象に残るほど、ド派手にやり合っていた。
あまり分からなかったが、イングランドのフーリガンだって来ていたと思う。
初めての海外遠征は、全てにおいて右も左も分からず、カルチョの空気を吸ってきただけでもあった。
でも海外デビューを果たした事で重かった世界への扉が開かれて海外への道が、どんどん切り開かれていった事もあった。
海外デビューから十数年経って海外遠征は18回(グァム島含む)を数え、海外での試合観戦は40試合を超えるまでになった。
その原点が、海外デビューにあったと言える。
トーマスが10代後半に、テレビで観戦したセリエAがきっかけでイタリアへ行きたいと思うようになった。
それから、海を渡るまでには長い年月を要した。
入社してから2年目の頃、当時の上司に「イタリアへ行くのが夢」とお話した事があった。
その当時はイタリアは、まだ遠い遠い存在で夢でしかなかった。
しかし、それから、その上司が夏休みの予定シートのトーマスの欄に『セリエA観戦ツアーに参加』(特例で10月まで夏期休暇取得が認められた)と記載してしまい、それを見た先輩や同僚から「イタリアへ行くのか?」と言う問い合わせが殺到して引くに引けない状況になった事が世界への扉となったような気がする。
そのような事がなければ、その年にイタリアへ行く事はなかっただろうし、そうなれば現在の海外遠征のキャリアは存在しなかっただろう。
以前に勤めていた会社の上司だが、その上司と出会わなければ、現在も海外へ出る事はなかったかもしれない。
そう思うと本当に運命や歴史は不思議な感じがする。
初の海外遠征は、初めてパスポートを取得する事から始まった。

初の海外遠征の出発前は、楽しみな反面、色々な意味で不安も入り交じっていた。
そんな中で成田空港へ向かって、遂に重かった世界の扉を開いた。

記念すべき最初の渡航スタンプ。
添乗員なしの団体ツアーだった。
一緒だったツアー客の方々は、皆共通の趣味なので話題も合って、すぐに仲良くなれた。
関西から東海にかけての方が多かった。
エールフランスでパリ経由にてローマへと向かった。
翌年には、フランスW杯が行われ、一足先にフランスへプチ上陸。
イングランド代表とのW杯出場を賭けた戦いに臨むアズーリとW杯初出場目指して奮闘している日本代表の吉兆になれば...と思っていた。
ローマ・フィウミチーノ空港には夜遅くに到着して、現地係員に迎えられて、シャトルバスで宿泊ホテルへと向かった。
初めて迎えたローマの朝は、中々起きれなかった。
長旅と時差による疲労が抜けなかったのだろう。
経験を重ねてくうちに、問題無くなってくるが、当時は何もかもが初めてだった事が影響した。
メイドが入ってきて、ようやく起きた感じだった。
長く寝過ぎたせいか、髪の毛は寝癖が立ってたらしく、年輩女性のメイドが笑顔で何か喋りながらトーマスの髪の毛に手をやっていたが、疲れが抜けきれずボーとしていた事を記憶している。
それが、初めて迎えた海外遠征、ローマの朝だった。
それから、ホテルを出発して適当に歩いていると見た事がある建造物を目にした。
それは、コロッセオだった。

更に適当に歩いていると、ヴェネツィア広場へと出た。
ローマの玄関口であるテルミニでは、若い男性に英語で「ドゥー ユウ ノウ アダム・・・(人物は聞き取れなかった)」と尋ねられたので、「アイ ドント ノウ」と答えると、その者は引き下がった。
一体、何だったのかな!?と言った感じだった。
初の海外遠征は、カルチョ観戦以外は、これと言って予定を立ててなく、暇を持て余した。
夜にカンツォーネを聴きながらディナーを楽しむオプショナルツアーに参加した。
兵士の衣装に身をまとったリストランテの店員がパスタを皿に盛る時に「オオモリ」と言いながらよそっていた。
カンツォーネの生合唱を聴いたのも、後にも先にも、その日の夜しかない。
翌日は半日観光のオプショナルツアーに参加した。
トレビの泉やサンピエトロ広場と言った代表的な名所を巡った。
後に何度も訪れる場所ばかりだった。
半日観光の後で目当てだったラツィオポイントで買い物をした。
現在はオリジナルファンズラツィオと言う名前に変わっているラツィオのオフィシャルショップも後に何度も訪れる事になる。
ホテルへ戻りロビーでオリンピコ出発を待機していた。
結構、長い時間待たされた。
やっと来たバスの中で、係員によってウズベキスタンとのW杯最終予選に臨んでいる日本が引き分けた事を知った。
16時頃、ホテルを出発する時も本日観戦するイタリアvsイングランドのキックオフ時刻が分からないという。

観戦チケットにもキックオフ時刻は記載されてない。
イタリアはイングランドに勝たなければならないだけに心理戦に持ち込もうとしているのだろうか?
キックオフ時刻も分からないままオリンピコへ到着した。

トーマスの海外デビュー戦は、イタリア中が注目するビッグマッチと言うべき試合だった。
超満員のオリンピコの雰囲気に圧倒された。
イングランドサポーターが歌声を挙げた時のイタリアサポーターの指笛のブーイングが凄かった。
試合はスコアレスドローでイングランドがW杯出場を決めて、イタリアがプレーオフに回る事になった。
最後、デルピエーロのクロスをビエリがヘッドで合わせたシュートが惜しかった。
ピッチ内の戦いも白熱していたが、スタンドも同じくらいヒートアップしていて、ピッチ外にも目が行ってしまうほどだった。
イタリアサポーターとイングランドサポーターの間をペットボトルが行ったり来たりしていた。
恐らく、コインも行き来していたと思う。
試合中にイングランドサポーターエリアにストレッチャーが運ばれて、サポーターの一人が運び出された。
イタリアサポーター全員がイングランドサポーターエリアを向いて「アウト インギルテッラー(出て行け イングランド)」の大合唱が凄かった。
試合よりもスタンドの方が印象に残るほど、ド派手にやり合っていた。
あまり分からなかったが、イングランドのフーリガンだって来ていたと思う。
初めての海外遠征は、全てにおいて右も左も分からず、カルチョの空気を吸ってきただけでもあった。
でも海外デビューを果たした事で重かった世界への扉が開かれて海外への道が、どんどん切り開かれていった事もあった。
海外デビューから十数年経って海外遠征は18回(グァム島含む)を数え、海外での試合観戦は40試合を超えるまでになった。
その原点が、海外デビューにあったと言える。