トーマスが初めて(テレビ観戦だが)リアルにW杯を観戦したのが1994年アメリカW杯だった。

セリエAの影響もあって当時からアズーリファンだったが、中でも少年だったトーマスの憧れ的な存在だったのがロベルト・バッジョだった。




まだ、小遣いで生活していて金銭的に裕福ではないながらも無理をして買ったのが上画像のユニホームである。

アメリカW杯では、活躍が期待されながらもグループリーグ3試合では結果が残せなかった。

何とかグループリーグを3位で通過したアズーリは、決勝トーナメント1回戦でナイジェリアと対戦した。

初出場ながら、未知の強豪国ナイジェリアに大苦戦していたアズーリだが、ロベルト・バッジョの起死回生の同点ゴールが敗退寸前だったアズーリを救った。

この大会不調だったロベルト・バッジョ自身も、このゴールをきっかけに復活を遂げたのだった。

延長戦に縺れたナイジェリア戦で、この試合2点目となるPKを決めて勝ち越すと、準々決勝のスペイン戦では試合終了間際に勝ち越しゴールを決めてアズーリを4強へ導いた。

準決勝のブルガリア戦でもロベルト・バッジョの勢いは衰えず前半だけで2ゴールを決めた。

しかし、足に故障を抱えていたロベルト・バッジョは故障が悪化して途中交替した。

これが悲劇へのプロローグでもあった。

決勝進出を果たしたアズーリはブラジルとの対戦に臨んだが、延長戦も含めた120分間で決着が着かず史上初のW杯決勝PK戦へと突入した。

満身創痍の状態で戦っていたロベルト・バッジョの足は限界を超えていた。

それでも、アズーリの5人目のキッカーとして出てきたロベルト・バッジョのPKは、ゴールバーを越えた。



ロベルト・バッジョのPK失敗と同時にアメリカW杯が幕を下ろした。

決勝戦では悲劇のヒーローとなったロベルト・バッジョだが、世界中に深い感動を与えた事も確かだった。