全日本女子バレー 歴代最強のV6! | デトロイトヒットマンのブログ

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東京五輪終了以来4カ月間ずっと過去40年前に遡り映像を漁りまくっていた 全日本女子バレーの歴史変換を想い出していた

 

今頃何故って?それはこの人に興味を持ったからに他ならない

 

女子バレーボール 迫田さおり選手 引退 | in the final event 自分の ...

 

2012ロンドン五輪銅メダリスト バックアタッカー 迫田さおり

 

とにかく煌めくような美人であり過去映像を見ても眩いばかり

ここぞという時バックアタックの迫力は凄まじく選手としても素晴らしい

 

 

そういえば 私は昔女子バレーボールの大ファンだった と言っても さすがに東京五輪の頃の東洋の魔女の頃はわからないが(苦笑)

 

ミュンヘン五輪は確か銀メダル 金の期待が髙かった分失望も大きかった また当時は皆あまりルックスのいい女性選手は少なく(;失礼!)

唯一美人だったのは生沼スミエ選手だけだった(;^_^A

 

次のモントリオール五輪では日本女子は圧倒的に強く1セットも失うことなく完全優勝の金メダル 時のエースは”ビッグ”白井貴子

 

白井の強烈なスパイクに外国人選手たちが吹っ飛ばされるのは想い出しても爽快だった ただ当時の女子バレーは日ソ対抗戦に近かった

 

モスクワ五輪の不参加を経て1981に日本で開催されたワールドカップの盛り上がりはハンパ無かった 当時の日本は強かったからね 

 

バイト先の居酒屋でも試合中継が始まったら客もみんなTVに釘付けだった(笑) 人気ナンバーワンは三屋裕子 広瀬美代子も人気があった

 

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ロス五輪は残念ながら銅メダルに終ったが その後長い低迷期が・・・

 

またその時代の春高バレーは1984は益子直美 1985は大林素子

アイドルばりのルックスの高校選手の登場に大盛り上がり

 

当時は決勝戦がゴールデンタイムで放送される程の人気だった

 

フジテレビの放送はやや人気選手びいきで 解説の生沼さんは完全にファン目線だったけど(苦笑)

 

 

この頃から女子バレーの世界勢力図は大きく変わり キューバ 中国 アメリカ ブラジルが参戦 日本はなかなか世界で勝てなくなってきた

 

結果は4位に終わったが日本が金メダルに最も近づいたのは88年のソウル五輪 今想い出しても準決勝のペルー戦の敗戦は悪夢でしかなかった 勝利目前 江上 大林 廣のスパイクが拾われてしまった・・・

 

あの試合の動画を見返しても 何故あんな展開になってしまったのか まあ真剣勝負だから仕方ない それにしてもペルーへの大声援の凄さには驚くばかり 韓国人の反日感情の根の深さに改めて!

 

次のバルセロナ五輪は5位 いよいよ世界で勝つのは難しくなってきた

 

しかし日本リーグの人気は凄く テレビ中継で試合をバンバンやっていた 最強チームは日立 特に中田~大林のツートップは強力だった

 

 

チャレンジャーチーム益子 斎藤のイトーヨーカドー 山内のダイエー

中西 佐伯のユニチカ 何れも善戦及ばず日立の壁にはね返された

 

そんな最強チーム日立も総監督のセクハラ疑惑での解任 プロ化を求めた選手たちからの辞表提出があり 最後はあまりにも衝撃的だった大林の解雇追放を経て2000年過ぎに崩壊した

 

全日本は苦しみながら出場したアトランタ五輪では予選リーグで敗退 次のシドニー五輪ではついに出場が叶わず涙を呑んだ

 

しかし冬の時代を乗り越えやってきたニューヒロインたちの登場

 

人気者のメグカナ  ミラクルサオリンらの出現で再び強い全日本が復活してきたのだ そして28年ぶりのオリンピックメダルの獲得

 

2012年ロンドン五輪での銅メダル獲得で再び栄光の瞬間が

 

木村沙織が公開した夫との“ピザの食リポ”姿に「仲睦まじいお二人に ...

 

さあ ここで歴代の全日本女子最強のメンバーV6を選出したい

 

まあ これは完全なお遊び(笑) この選手たちが同時代で活躍していたら? もしかすると金メダルも夢じゃなかったかもしれないという妄想

 

今回の選手選考においては現代ルールのリベロ制度は使わず また現代名称のミドルブロッカー ウイングスパイカー オポジットではなく センター レフト ライト(セッター対角)表記とする

 

極私的な印象として現代のラリーポイント制より90年代半ばまで適用されていたサイドアウト制ルールの方が思い入れが強いので

 

現代プロボクシングの12R制より80年代前半までの15R制の方の印象が強いのと同じである 

 

現代の選手に全く非は無いのだが より厳しい環境で戦い勝ち抜いてきた選手の方がどう見ても逞しく見えてしまう

 

事実 完全分業化となり試合時間も短くなった現代の選手の方が選手寿命も長くなり結婚しても現役プレーの選手が今はたくさん居るのだ

 

昔は20代半ばで肉体のピークは過ぎ精神状態の維持も難しく五輪も1回出るのがやっと 多くても2回出るので精一杯だった時代だ

 

80~90年代は”鉄のハンマー”郎平 ”跳人”ミレーヤ・ルイス ソ連のオギエンコ 米国のケムナー等々 化け物たちが犇めいていた時代

 

そんな時代に活躍した選手が中心となってしまうのは仕方ない

 

 

それでは最強メンバーの発表 先発メンバーの6名(カッコ内は控え)

選出は80年代以降の選手 それ以前の名選手はチームスタッフで

 

総監督 白井貴子  コーチ 生沼スミエ 荒木田裕子

 

セッター 中田久美 (竹下佳江)

 

ライト 大林素子  (山内美加)

 

センター 江上由美 (三屋裕子)

       廣 紀江 (吉原知子)

 

レフト 木村沙織 (大友愛)

     高橋みゆき(大懸郁久美)

 

監督はビッグ白井 迫力あるメンチで相手チームをビビらしてもらおう

コーチは的確なアドバイスをしてくれそうなメダリスト 生沼 荒木田

 

セッターは変幻自在のトスを操る 天才 中田久美

控えは竹下 やはり攻撃的セッターと言う点で中田に決定した

 

ライトはオールラウンドプレーヤー サウスポーの大林素子  控えはパワーなら大林以上の山内 しかし決定力は大林が圧倒的上

 

センターは圧倒的なブロックの高さとテクニックを併せ持った江上由美

そしてパワフルなアタックが魅力の廣 紀江で決定

控えは これまた強力な決定力とキャプテンシーを持った三屋と吉原

 

レフトは2000年代のスター木村沙織と元気娘の高橋みゆき

控えは大友に大懸と盤石の体制 高橋と大懸はリベロでも対応できるが攻撃的な力も捨てがたくレフトでの選出となった

 

 

この選抜を見てオリンピックに4度も出場した鉄腕エリカと呼ばれた名選手 荒木絵里香の名前が無いではないか!と怒る人もいるだろう

 

確かに荒木を入れないのはおかしいかもしれない しかしセンターポジションで選出の4名を絶対に外すわけにはいかないのだ

 

荒木以外にも 横山樹里 広瀬美代子 杉山加代子 斎藤真由美 

佐藤伊知子 中西千枝子 福田記代子 佐々木みき 多治見麻子

中村和美 栗原恵 佐野優子 菅山かおる 新鍋理沙 迫田さおり

 

素晴らしい名選手たちが全日本女子に居たことは間違いない

 

それでも このバレー史上に名を残すこのV6の選手たちは特別な存在

 

1~2年 またはひとつの大会で大活躍する選手は確かに居る 

 

しかし 世界の他チームにマークされてしまったら次の大会では通用しなくなってしまうのも事実だ 長年に亘り全日本のトップで居られる選手は極々僅か一握り 本当にハンパ無い まさに“人外”レベル

 

 

最後になってしまったが東京五輪における中田ジャパンの予選リーグ敗退は本当に残念だった 中田久美の采配は批判の元となった 監督とはそういうもの ただ名セッター中田久美の過去の栄光を想うと・・・

 

中田は現役時代から時に冷静さを失くした熱さを見せることがあった

良く言えば”強気” 悪く言えば“意固地”ともいえるプレーが目立った

 

90年代前半の全日本の大きな大会では最後の最後に勝ち切れず負ける試合が良くあった マッチポイントでは日立の盟友でありエースの 大林素子にトスアップすることが多かったが大林は決めきれない

 

センスは抜群だが勝負弱さのあった大林は最後はいつもダメだった

それでも中田は大林にトスを上げた 最後に決めるのが本物のエース

それが中田久美の拘りだったのかもしれない

 

 

90年代前半に数多く残る当時の試合動画を見るたびに残念な気持ちにさせられるのだが 見ていて興奮するのもまたこの時代の試合だ

 

勝っても負けてもエースに命運を託す 大試合に負けて肩を落としコートを去っていった中田と大林の姿を今も懐かしく想い出してしまうのだ

 

 

バレー】中田久美監督への期待、早く「中田JAPAN」という戦う ...

 

結局 監督として結果を残せなかったのも最後まで非情になれなかった中田久美の勝負師としての甘さだったのかもしれない

 

 

 

1995年ワールドカップバレーの公式サポーターはV6

大会のイメージソング「MUSIC FOR THE PEOPLE」

 

 

今日はデトロイトヒットマンが初めて書いたバレーボールの話題でした 

 

それではこの辺で おやすみなさいぐぅぐぅ