中で気になる用語が…。
『テグス』
ビーズアクセサリーを通す糸のことです。しかし、いったい何語?
→Wikipediaで「テグス」を検索したところ、「釣り糸」に転送されました。
(引用開始)
現在でもテグスは釣り糸のことを指して使われることがある。転じて、染織の分野ではナイロンラインのことをテグスともいう。
(引用終わり)
しかしさらに調べると、Wikipediaには「天蚕子」という記事もありました。
(引用開始)
天蚕糸(てんさんし)は、天蚕の繭からとった天然の繊維。萌黄色の独特の光沢を持ち、絹に比べて軽くて柔らかいのが特徴である。糸の中に空気が入っているために保温性が高い。また、染料が吸着しにくいために濃く染まらない性質を利用して、家蚕糸と混織し後染めすることで濃淡をつけることも行われている。
天蚕は日本・台湾・朝鮮半島・中国に分布する絹糸虫である。鱗翅目ヤママユガ科に属する蛾の幼虫で、和名をヤママユと呼ぶ。
釣り糸や医療用縫合糸などに用いられるテグスは、漢字では天蚕糸と書くが、これはテグスサン(台湾の楓蚕(ふうさん)、日本の樟蚕(しょうさん、クスサン))のことをいう。
(引用終わり)
「テグス」はこちらに転送されるべきではないのでしょうか、ね。とにかく、テグスは日本語のようです。
さて、徳島県立博物館の記事にテグスが釣り糸として見出され、世間に広まった経緯が記されていました。なかなか面白いです。
http://www.museum.tokushima-ec.ed.jp/cc/73.htm
(引用開始)
『一本づりはむろん、古代からあった。しかしそれを技術として高度に発達させたのは、徳島県の堂ノ浦の漁師である、と書かれている。』これは司馬遼太郎氏の「街道をゆく」シリーズの、「明石海峡と淡路みち」の一節で、民俗学者として有名な宮本常一氏の「海をひらいた人びと」の中に書かれた一本釣りの項目を紹介された文章です。
また、同じシリーズの「阿波紀行」では、『江戸初期、 堂浦の漁師某ー名は伝わっていないーが、大坂見物に出かけたとき、薬問屋の町である道修町で奇妙なものを見た。(中略)そこでは薬用の草根木皮を中国(清国)から輸入(長崎経由で)していた。
それらの生薬は油紙で梱包されていて、半透明の糸でからげられている。堂浦の某がテグスをひろい、ひっぱって靱度をみるとじつによい。半透明だから、水中でも、糸とは見えないはずで、これで一本釣りをすれば大いに魚がつれると思った。店の主人にこの糸についてきくと、「これは天蚕子というのやが」どうせ捨てるものだからいくらでも持って行っていいが、いったい何に使うのだ、というので、某は目的を話した。
主人は乗り気になって、そういうことなら今後はこの糸だけを輸入してもいい、ついてはこのテグスを瀬戸内海沿岸の浦々を回って実地に使って見せ、需要を高めてもらえまいかといった。
漁師某は普及販売員になったのである。』
(引用終わり)
そしてその作り方。
(引用開始)
中国で楓蚕とよばれ日本でテグス蚕とよばれる虫からつくるという。要するに、イモムシである。(中略)つくり方は、いつの時代なのか、ともかくも中国人が発見した。右の百科事典によれば、そのテグス蚕を水槽に入れて殺す。ついで虫の体内から絹糸腺をとりだし、薄い酢酸溶液(中国の古くは、おそらくすであったろう)にひたし、さらにこれを展糸板の上でひきのばして、陰干しにする。それでもう、粗テグスができ、それをさらに精製して商品化する。
(引用終わり)
テグスサンの成虫の画像がこちら。

また、こちらのサイト(「秋田 ふるさとの残照」)では、マンガ『釣りキチ三平』で有名な漫画家の矢口高雄氏が、子どもの頃、自分で蛾の繭からテグスを作ったとのエピソードが紹介されていました。
http://www15.plala.or.jp/jacaranda2006/newpage125.html
私は釣りはやらないのですが(魚や餌のムシを触るのが苦手(笑))、釣りキチ三平の絵は美しくて好きでしたね。

ここに紹介されていたクスサンの幼虫の写真がこちら。

さて、そんなテグスが使われていた釣り糸ですが、現在ではポリエチレン製やフルオロカーボン製もありますが、ナイロン製が一般的なようです。そして、ビーズアクセサリー用にもよく使われます。
釣り糸としてはテグスという言葉よりも、ライン(太目)とかハリス(細目)とか呼ばれるのがふつうで、一方でビーズアクセサリー用では今でもテグスと呼ばれているようですね。
さて、ちょっとは化学関係者らしく「ナイロン」について説明します。
ナイロンはデュポン社(現在は分社化されたインビスタ社)が開発した世界初の合成繊維で、同社の商標です。一般名としてはポリアミドと呼ばれる高分子です。
デュポン社が開発したのは「ナイロン6,6」で、二つの原料モノマー(アジピン酸とヘキサメチレンジアミン)を重合して製造されます。これに対し東レが開発したのが、ひとつの原料(ε-カプロラクタム)から製造される「ナイロン6」です。
原料はこのように異なるのに、高分子の分子構造は非常によく似ています。
(Wikipediaより)

性質もほぼ一緒(わずかに耐熱性やフィルムにしやすさが異なる)だそうです。
ナイロン(ポリアミド)は自動車・電気電子・機械の部品などとしても使われますが、何と言っても一般になじみがあるのは、繊維として、特にパンティーストッキングやスポーツウェアとしての用途でしょう。
東レ・東洋紡・ユニチカはナイロン6を、旭化成はナイロン66を製造しています。(東レは66も。)
…どうでもいい情報でしょうか(笑)
※薄くて透明な樹脂の袋のことを「ナイロン袋」と呼ぶ人がいます(昔の人?)。あるいは「ビニール袋」と呼ぶ人も多いです。このような用途で使われるプラスチックは、ナイロンでもビニール(塩化ビニル)でもなく、たいていはポリエチレンです。したがって「ポリエチ袋」と呼ぶのが正しいのですがこれは一般的ではないので、「ポリ袋」なら(意味不明ですが)OKでしょう。
「これは、ポリエチレン製のビニール袋だ」と強弁する人もいましたが(笑)。
参考までに、英語では「プラスチックバッグ plastic bag」です。
さて、最後にナイロン(NYLON)という商品名の由来について、確か高校生のときに最初に聞いた逸話。
アメリカのデュポン社がこの新しい化学繊維の商品化に成功したのが1938年。太平洋戦争の直前です。当時、日本の絹が世界市場を支配していました。
この新しい化学繊維は、目の敵であった日本の農林省をひっくり返すことができるという意味で、「NOLYN」の文字を逆から並べて「NYLON」としたとか。
どうもこの逸話は真実ではないようなのですが、よくできた話です。
しかし、東レ(東洋レーヨン)がナイロン6を開発したのが1941年(昭和16年)=太平洋戦争開始の年だそうで、日本の「化学」技術は当時から本当にたいしたものだと改めて思います。