原子力安全委員会の斑目委員長が、停止している原発の再稼動には、ストレステスト一次評価だけでは不十分と発言しています。
(引用開始)
関西電力の原発(11基)で1基だけ稼働していた高浜原発3号機(福井県)が定期点検のために停止した。4月下旬(2012年)までには稼働中の2基も止まり、国内原発すべてが停止する。
そんななかで、原発再稼働に前のめりになっている政府と原子力安全委員会の間で意見の食い違いが表面化した。関電の大飯原発(福井県)3、4号機の再稼働の条件にしているストレステストについて、政府の原子力安全・保安院は「安全」とする審査報告書を原子力安全委に提出した。これに対し、原子力安全委の斑目春樹委員長は「1次評価だけでは不十分だ。2次評価までおこなって詰めなきゃいけない」と発言、待ったをかけた形になった。
斑目委員長は「今回のストレステストと再稼働を結び付けるのは政府の方の話」だとして、再稼働はあくまで政治判断で、原子力安全委の判断ではないと突き放す姿勢も示した。
(引用終わり)
原子力村の中心的住人で、福島第一原発の事故直後から極端に安全側に偏りかつ無責任な問題発言を続け、デタラメ委員長とまで呼ばれたあの方が、今になってこのような発言をするようになったのは、なぜなのでしょうか。(←単純疑問です。)
私は、もし本当に科学的に「正しく」安全性が評価が行われたのであれば、停止している原発の再稼動も認めるべきとの立場を一応取りますが、問題はどうやったら「正しく評価された」と判断できるかであり、そこは十分に慎重に考えなければなりません。
以前の記事もご参照。
http://ameblo.jp/tomamx/entry-11139771919.html
ストレステストとは、三菱重工業のような原発メーカーの社員が600人もの人をかけて業務を行うような検討です。
小さな問題も見逃さない詳細なイベントツリーを元にした詳細な評価が重要で、そこで中立な第三者(科学的議論ができない極端な原発反対派は排除)も含めて、全員が問題ないと判断しない限りは、再稼動は認めるべきではないでしょう。
しかし、政府の要請によりこのような詳細検討がほぼ完了してきた時点で、「一次評価だけで不十分」と今さら発言するとは、この方、やっぱり自分の原子力安全委員会委員長という重要な立場をわかっていないのでしょう。
今まで、時間とお金をかけてストレステストを行ってきたのは何のためか、と非難されるのは当然です。以前と逆側の立場ですが、無責任であることだけは、ある意味、一貫しています。
福井県知事が不快感を表明しているのも、当然と思います。
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120223/fki12022302090001-n1.htm
(引用開始)
国が原発の再稼働条件としているストレステスト(耐性検査)の1次評価で、原子力安全委員会の班目春樹委員長が「安全性の評価として不十分」などと発言したことについて、西川一誠知事は22日の定例会見で、「政府がばらばらで、判断に脈絡がない。立地自治体としては(再稼働問題に)安心して取り組めない」などと不快感を示した。
(引用終わり)
さて、これに先立つ2月15日、第4回の東京電力福島原子力発電所事故調査委員会で、斑目委員長が参考人として招致されて、質疑が行われています。
この際、原発の安全対策の瑕疵についてお詫びを述べるとともに、原子力行政の問題点について、率直に認めています。
ときどき読んでいる「化学業界の話題」というブログサイトに簡潔にまとめられていました。
http://blog.knak.jp/
斑目委員長の発言
(引用開始)
原発の安全対策を示した国の指針について、いろんな意味で瑕疵があった。原子力安全委員会を代表してお詫びする。
・津波に対する十分な記載がなかったり、すべての電源の喪失も「長時間考えなくてもいい」とされていた。
・アメリカでは全電源喪失への対応など安全基準を高める動きがあった。
これに対し、日本では、対策をやらなくてもいいという言い訳づくりばかりやっていた。
抵抗があってもやるという意思決定ができにくいシステムになっている。
・官僚制度の問題
任期(2年)の問題、減点主義から大きな改革が出来ない。やらない言い訳だけを考える。
・事業者の責任を強く求めるべき。事業者と規制当局の間にオープンなコミュニケーションが必要。
実際には護送船団方式で、低い安全基準を事業者が提案し、規制当局がのんでしまう。
国がお墨付きを与えたから安全だとなり、事業者が安全性を向上させる努力をしなくなる悪循環に陥っていた。
一義的には事業者に責任。指針を超えてでも安全性を求めるべし。
斑目委員長は、浜岡原発訴訟の中部電力側の証人として証言、複数の非常用発電機が起動しない可能性を問われ、以下の通り答えた。
「非常用ディーゼルが二台同時に壊れて、いろいろな問題が起こるためには、そのほかにもあれも起こる、これも起こる、あれも起こる、これも起こると、仮定の上に何個も重ねて初めて大事故に至るわけです。[・・・]何でもかんでも、これも可能性ちょっとある、これはちょっと可能性がある、そういうものを全部組み合わせていったら、ものなんて絶対造れません。だからどっかでは割り切るんです。」
事故後の3月22日の参院予算委員会で社民党の福島瑞穂党首がこの発言を追及したのに対し、班目氏は「割り切らなければ(原発の)設計ができないことは事実。割り切り方が正しくなかったことも、十分反省している」と述べた。
今回、これについて質問を受けたが、記憶にないと述べた。
・津波が想定を超えても、それを超えた防御がなされているべきだった。
福島沖で大きな津波の可能性の知見があった。これへの対応がなかったのは残念。
・国際安全基準に全く追いついていない。30年前の技術で安全審査をしている。早急に直さないといけない。
IAEAでは五重の防御が必要とし、シビアアクシデント対策、防災対策も求めているが、日本にはない。
放射性物質の拡散を予測するSPEED1のデータのが迅速に公開されていたらもっとうまく避難できたというのは、全くの誤解だ。
SPEED1の予測結果に頼った避難計画にしていること自体が問題で、直ちに避難するようなルールにしておくべきだった。
(引用終わり)
ようやく問題を認めたと評価するべきか、今さら他人事のように何を言っているの、と非難するべきか。原子力村の住人の論理が、当事者の口から出たことはよいことと考えましょう。
解任されずに今までこの立場に居座っているのは、ずい分な心臓をお持ちなのでしょうか。
しかし、単に後任のなり手がいないだけなのかもしれません。
もうすぐ原子力安全保安院と安全委員会とが統合されます。名称を原子力安全庁にするか原子力規制庁にするか議論があるようですが、何よりも人選こそが最も大事で、いくら東大教授でもこのような無責任男をまたトップに据えることがないように願いたいものです。