秋篠宮殿下が、天皇の定年制と「女性宮家」創設に関連する発言をされてニュースになっています。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20111129-OYT1T01293.htm
(引用開始)
秋篠宮さまは30日、46歳の誕生日を迎えられた。
これに先だち22日に開かれた記者会見で、「皇室を維持していくためには、一定の数(の皇族)は当然必要」との考えを示されたほか、天皇陛下の公務の負担に関連して「(天皇の定年制も)必要になると思う」と述べられた。
また、皇室典範の見直しは国会の議論に委ねられるとした上で、「今後の皇室の在り方を考えるときには、私、もしくは皇太子殿下の意見を聞いてもらうことがあってよいと思います」と述べられた。
皇族の確保、次世代の皇族の意見反映についての発言は、天皇陛下のお考えとも合致している。政府は25日、皇族女子が結婚後も皇室にとどまることを可能にする「女性宮家」の創設に向け検討することを明らかにしている。長女、眞子さま(20)、次女、佳子さま(16)、長男で皇位継承順位3位の悠仁さま(5)の父、秋篠宮さまが自ら一定数の皇族確保の必要性に言及されたことで、政府の検討が加速する可能性がある。
秋篠宮さまは、陛下の健康状態と公務についての問いに、今年は東日本大震災のお見舞いなどで公務が特別に多かったと指摘、両陛下とも77歳の喜寿を迎えており、宮内庁と医師が連携し健康を維持できる柔軟な対応が必要と訴えられた。
(引用終わり)
もし今上天皇が退位されると、皇太子殿下が天皇に、雅子様が皇后になられるのですね。
雅子様が皇后になっていいのか、大丈夫か、国民の敬愛を受けられるのか、ということは前に少し前に書いたばかりですが、それが近いうちに天皇のご退位(譲位)という形で現実になるのかもしれません。皇室典範の改正などの手続きはもちろん必要ですが。(関連した内容は最後にもう一度。)
ところで、女性宮家の方に関してですがちょっと調べてみました。(実は昨日このテーマで調べて書きかけたのですが、完成しませんでした…。)
皇室典範では女性皇族は結婚後、皇族の身分を離れることになっていますが、このままでは皇族の数が少なくなる一方なので、女性皇族も結婚しても宮家(女性宮家)を創設できるようにしてはどうか、という議論です。
ただし、女性天皇・女系天皇については、より慎重な声も強いです。
女性天皇は女性が天皇になること、女系天皇とは母親のみが皇族である天皇のことです。
過去に女性天皇はいましたが、女系天皇はひとりもいません。
日本の皇統は「万世一系」といわれるように、初代神武天皇から現在の第125代今上天皇まで男系の血筋のみで続いてきたとされています。
とは言え、欠史八代(第2代綏靖天皇から第9代開化天皇までの8人の天皇)は常識的には架空と考えられますし、実在するのはせいぜい第10代崇神天皇からと考えられるようです。
それに、第26代継体天皇は「応神天皇五世の孫」が越前から連れられてきたということで、本当に男系でつながっていたのかどうか確かではないと言えます。
継体天皇の在位は507-531年(西暦450年頃の生まれ)であり、少なくとも日本の皇室は6世紀から連綿とその血筋が男系で続いてきたとは言えるようです。
Wikipediaによると、
(引用開始)
2011年現在、同君連合による重複を除き、世界の独立国家には27の王室が存在している。現存する王室で最も長い歴史を持つのは、少なくとも6世紀以前まで遡る日本の皇室であり、これに次ぐのは、10世紀まで遡るとされているデンマークの王室である。
(引用終わり)
とのことです。
私はイデオロギー的に女系天皇は許せない、とは全く思いませんが、せっかくこんなに長く続いてきた伝統なので、この伝統が途切れたら惜しいなぁ、とは思います。
性染色体を考えると、男性はXY、女性はXXを持っており、男の子は確実に父親のY染色体を受け継いでいます。そうすると、歴代天皇は1500年にわたって同じY染色体を受け継いでるということになる、ということを、女系天皇を認めない理由にする人たちがいます。私も、これに気づいたときは「面白い!」と思いました。ただ遺伝子は変異するので、同じ遺伝情報を受け継いでいるとは言い難いようです。
私は天皇家のY染色体が「尊い」と考えているわけではありません。もし将来、宮家から男性がいなくなったら、どこかから天皇家の男系の子孫を探し出してきて天皇に据えるべき、などという考えには反対します。
ただ単純に、途切れたら惜しいなぁ、できたら続いて欲しいなぁ、と。白鵬の連勝記録やイチローの年間200本安打記録がストップする残念さと似たレベルです。(←さすがに、もうちょっと重いか。)
さて、女性天皇はいたのに女系天皇はいなかったとのことですが、女性天皇の子孫が天皇になっていないのか、確かめてみました。
過去に女性天皇は8人存在します。それぞれの子孫を調べてみました。
推古天皇(第33代、在位592年~628年)(第29代欽明天皇の皇女、第30代敏達天皇の皇后)
→敏達天皇との間に二男五女をもうけたが、子孫に天皇なし
皇極天皇(第35代、在位642年~645年)・斉明天皇(第37代、在位655年~661年、重祚)
→舒明天皇との間に中大兄皇子(天智天皇)・大海人皇子(天武天皇)
持統天皇(第41代、在位686年~697年)
→天武天皇との間に草壁皇子、その子が文武天皇
元明天皇(第43代、在位707年~715年)
→天武天皇の子である草壁皇子との間に文武天皇
元正天皇(第44代、在位715年~724年)
→生涯独身
孝謙天皇(第46代、在位749年~758年)・称徳天皇(第48代、在位764年~770年、重祚)
→生涯独身
明正天皇(第109代、在位1629年~1643年)
→生涯独身
後桜町天皇(第117代、在位1762年~1770年)
→生涯独身
この中で、天武天皇については、天智天皇の弟という日本書紀の記述はかなり疑わしいです。一説には斉明天皇が舒明天皇と結婚する前に高向王という人との間にもうけた漢皇子が、天武天皇の正体ではないかと言われ、私もその説を支持しています。
高向王は用明天皇の孫で、記録が少ないのではっきりはしませんが、用明天皇-田目皇子-高向王-漢皇子という親子関係のようで、そうだとすると漢皇子が天武天皇としても、天皇家の男系の血筋は繋がっています。
(天武天皇の話はたいへん面白いのですが、脱線しすぎるのでいずれまた。)
こうして、「女性天皇が皇族男子以外と結婚して誕生した子が践祚したことは一度としてないとされている。」ということが確かめられました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Emperor_family_tree38-50.png
さて、ではなぜ、天皇家は男系だけで少なくとも1500年も続くことができたのでしょうか?
その大きな理由のひとつは、伝統的に天皇家の男子が正妃以外に多数の妻(側室)を持ったことが大きいでしょう。明治天皇は7人の側室を持ち、大正天皇は側室の子です。(←という事実、私は今回初めて知りました。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%92%E7%A5%A5%E5%AD%90
(引用開始)
明治天皇の皇后は一条美子(後の昭憲皇太后)であるが、皇后は懐妊の兆候がなく、明治天皇はこのまま行くと皇統断絶になってしまうと考え、7人の側室を置くことを決めた。
(引用終わり)
大正天皇は側室を置かず、昭和天皇からは一夫一婦制になったようです。
その結果…、皇族の数の減少に悩まされることになったのですね。とは言っても、今さら天皇家・宮家は側室を持ってもいい、なんてことにはならないでしょうが。
欧州王室との比較としてWikipediaに興味深い説明がありました。
(引用開始)
・かつてヨーロッパの多くの国では、王位を男系男子のみに継承させていた(男系女子を排除する点で日本と異なる)。これは、サリカ法典やその影響を受けた部族法などにおける男子のみ土地を相続するという規定が、後世に王位継承法として援用されたためである。キリスト教圏は一夫一妻制なので、どの国でも歴史上、男系男子の断絶により女系の王族が即位し、新たに王朝を開くということがしばしばあった。そのため、少なく見積もってもほぼ1500年は確実に系譜を辿り得る日本の皇室のような王朝は、約800年にもわたってフランスを統治し、現在もスペインを統治しているカペー朝の男系一族を例外として存在しない。
・キリスト教の影響で側室を認められていなかった。さらに王の妾の子供は私生児であるため王位継承権は存在しない。このため男系男子のみに継承させる制度自体がキリスト教国においては不可能に近い。日本においては側室が認められていたので叔父や甥まで含めると男系男子が多数存在しその維持に問題が存在しなかった。
(引用終わり)
これらと対照的なのが、サウジアラビアの王室であるサウド家です。1880年生まれの初代国王から、一夫多妻制によりねずみ算的に子孫が増え、わずか100年強の間に、現在は直系の子孫だけで1万人を超えると言われています。
(引用開始)
初代アブドゥルアズィーズ国王は、数は不確定ながら50人~200人の親であるといわれ、王位継承権を持つと考えられる王子は36人いる。存命の第2世代の有力者は1920年代生まれの高齢であるが、末子は1947年誕生である。第3世代となる初代国王の孫の世代の王位継承までの道のりについては不安定要素を孕んでいる。
第3世代となる初代国王の孫の世代は男子だけでも254人が公式に確認されており、2009年現在では第6世代までが誕生している。一夫多妻制により鼠算式に王族が増えていった結果、第6世代まで含めたサウード王家の総数は一万人を超えるとも言われており、単純に総人口で割ると国民2700人前後に1人の割合で王族が居ることになる。
(引用終わり)
やはり、確実に王族を絶やさないためには一夫多妻制がいいのでしょうね。。。
それにしてもサウド家はすご過ぎ(笑)。
さて、秋篠宮悠仁親王がお生まれになったのが2006年9月。その少し前、皇室に全く男子が生まれなかったことから女性天皇を認めるかどうかの議論が激しかった時期がありました。
その頃に書かれた「世に倦む日日」(昨日パブロン中毒さんにこのブログの筆者は田中宏和氏だと教えていただいたばかりですが、たまたま今日もヒット)の記事を見つけ、大変に感銘を受けたので最後に紹介させていただきます。
私の「伝統が途切れるのは惜しいなぁ」などという下らない文章と比較して、その格調の高さ・見識の深さに恐れ入るばかりです。
http://critic2.exblog.jp/2036545/
(引用開始)
前置きが長くなったが、今度の有識者会議の答申が国民に幅広く支持されている背景には、間違いなく美智子皇后の存在と人徳の大きさがあるだろう。美智子皇后への崇敬の念が女系天皇支持の世論を支えている。敢えて右翼の「観点」に立った物言いで脅かしてやるならば、今度の歴史的決定によって皇統は美智子朝に変わるのである。美智子朝が開闢するのだ。天皇制は時代に合わせて融通無碍に変身を遂げてきた。節目で大胆に変身を遂げてきたからこそ二千年の命脈を保ち得てきた。現在の国民は偉大な皇后陛下を尊敬し支持していて、美智子皇后の血で系統が続くことを希望しているのである。他の宮家の血筋ではなく、美智子皇后の直系の子孫が皇室を繁栄させてくれることを望んでいるのだ。美智子皇后は戦後日本の象徴である。
彼女はどこまでも優秀で、美しく聡明で、仕事のできる女性であり、良妻賢母の鏡であり、日本女性の憧れの存在であった。現在もそうである。浩宮徳仁をあのような立派な皇太子に育て上げたのは美智子皇后の渾身の教育による。国民はそれを知っている。ダイアナも彼女を心から尊敬し頼っていた。彼女のカリスマに勝てる人物は日本にいない。右翼が何千人束になって秤の右に乗っても、左に一人で乗った美智子皇后の重さにはかなわないだろう。右翼のナショナリスティックな万世一系の虚構のロマンよりも、美智子皇后の才気と人徳と民主主義思想に国民は心を寄せているのである。天皇制の中には上代からの母系制の便(よすが)と縁(ゆかり)がある。それは日本古来の伝統である。中国の皇帝制のコンプリートな男系主義とは違う。日本国憲法の象徴天皇制の中で、美智子皇后が皇室の母系的種子を再び発芽させ、大きく開花させたと言える。東京国際女子マラソンが始まったとき、舗道に出て小旗を振り声援を送っていた姿を思い出す。
ジェンダーでデモクラティックな美智子皇后のカリスマが新しい日本の伝統を作るのである。
(引用終わり)
長くなりすぎたし、今日の本題とはずれるのでリンク先の紹介にとどめますが、「世に倦む日日」では、こんな記事も書かれていましたので、ご参考に。
皇太子は意を決して離婚の決断を - AERAの皇室特集記事から