山中伸弥 京都大学教授というと、iPS細胞を生成する技術を開発したとして、ノーベル賞に最も近い日本人の一人と言われています。残念ながら今年は逃しましたが。
そんな山中教授のことを、NHKの「セカイでニホンGO」という番組で紹介していました。
(多分、こちらで見ているJSTVという海外の放送では1週遅れ。)
番組自体は、「科学立国ニホンの未来」というタイトルで、小惑星探査機「はやぶさ」と世界最速のスーパーコンピュータ「京」とともに山中教授が紹介されるというものでした。
http://www.nhk.or.jp/nihongo/archive/index.html
(引用開始)
科学立国ニホンの未来
様々な角度からニホンの可能性を考えるバラエティーの今夜のお題は「科学」。 iPS細胞(人工多能性幹細胞)を世界で初めて開発した山中伸弥教授を擁する京都大学は、この8月基本技術に関する特許をアメリカで取得。既にヨーロッパなど世界各国で特許を取っており、 この分野で世界的な主導権を握り再生医療の新たな可能性を開いている。山中教授に番組独自の角度でインタビュー。世界的科学者の素顔を明らかにし、その発想のヒント、独自の研究へとつながった思考法の秘密などに迫り、これからの「科学立国ニホン」の可能性を探る。また昨年夏話題をさらった小惑星探査機「はやぶさ」や、今年6月世界最速と認定されたスーパーコンピューター「京」開発物語なども新たな視点から紹介。子どもの「理科離れ」が叫ばれ久しい中、 実は多くの希望の芽も誕生しつつあり、特に医療分野で目覚ましい展開を遂げつつあるセカイに誇るニホンの科学の今、これからを展望。
(引用終わり)
番組ではiPS細胞そのものよりも、山中教授の経歴の方を中心に紹介。
・大学時代(神戸大学→大阪市立大学)には、柔道とラグビーで10回も骨折した。
→自分の実力以上の無謀な技をかけたりしたため。
・整形外科医としての腕は悪く、手術が遅くて麻酔が切れそうになったことも。
周囲から「ジャマナカ」とまで呼ばれ、2年で挫折。→研究者の道へ。
・米国に渡り、iPS細胞の研究を開始。
アメリカ人は平気で寄り道したり、興味を持ったほうに乗り換えたりするのを見て気が楽に。
・日本に戻るが、仕事は研究用のネズミの世話。環境のひどさに絶望。
(番組では触れなかったが、Wikipediaによるとこれは大阪市立大学で、ノイローゼ・うつ病状態だったと。)
・公募で採用された奈良先端科学技術大学に移る。
誰もが無謀と考え、何十年もかかると思われたiPS細胞の開発に取り組み、わずか数年で成功。
→京都大学に移籍。
現在は、京都大学iPS細胞研究所長。数百人のスタッフを抱える。
今まで知りませんでしたが、ずいぶん遠回りされていたのですね。
京大医学部を卒業して、ずっと研究を続けてきた方だと勝手に思い込んでいました。
1962年9月生まれということは、私と同学年です。
浮き沈みあり、波乱万丈の人生の末に、ノーベル賞最有力候補と言われるほどの研究成果を出されたたのですね。(→その間、自分は何をしてきたのだろうか、と思わずにはいられません。)
大学教授からお笑い芸人まで一緒に議論するという番組の趣向自体はちょっとどうかなと思いますが、このような視点はなかなかいいですね。