ICRPはなぜ信頼できるのか ~市民のための環境学ガイドより | ナンでもカンでも好奇心!(tomamのブログ)

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硬軟取り混ぜた種々雑多なネタについて書いてみようかと思います。
全くまとまりがないと思うけど、それが自分らしさということで。。。

いつもお馴染み、安井至先生のサイト「市民のための環境学ガイド」の最新記事の紹介です。

今回は「ICRPはなぜ信頼できるのか?」です。
http://www.yasuienv.net/ICRP-ECRR.htm

大変重要な記事と思いますので、引用・要約しながら紹介させていただきます。

(要約開始)

 ICRPの平常時に関する勧告は過大評価であり過ぎるのに、それを現時点の福島県のような状態でも守るべきだと考え、不安を抱く人が多くなりすぎる。
 一方で、ICRPの非常事態に対する勧告は、受け入れる人が少ないという問題があります。

 なぜICRPの非常事態の勧告を信じるのかにお答えするには、かなり長い説明が必要になります。

……と始まって、本当に長い、でもきちんとした説明が展開されます。



広島・長崎の放射線影響の調査

 放射線のリスク評価の基礎となるデータは、結局のところ、広島・長崎のデータしかない。チェルノブイリのデータは、被曝量の推定が不十分なためである。

 広島・長崎では、寿命調査はざっと10万人、遺伝学調査は5万人を対象に調査されている。

そこでのポイントは、

・白血病は10万人中70~80例で、「悪性腫瘍の中で最も確率の高い結末」
 (tomam注:通常の白血病(各種あわせて)の発症確率は、10万人中10人くらいのようです。
  http://www009.upp.so-net.ne.jp/cml/aboutleukemia/aboutleukemia03.htm

・遺伝的影響(=生殖細胞を経由しての次世代への影響)は見つからなかった。


ICRPの設立

 ICRP(International Commission on Radiological Protection)の歴史は古く、現在の前身は1928年に国際放射線医学会を契機に「園際エックス線ラジウム防護委員会(IXRP)」として生まれ、1950年に現在の姿になる。

 非営利の団体で、基本的には学者の集合体。特定の国や集団の利益のためではなく、真に人類の福祉の立場から科学的に考えようとする機関。しかも、相当安全サイドに立った判断をすることで信頼されている。

 今回の福島第一の事態で、ICRPの勧告を御用学者の集団だから信頼できないという評価を下す人、すなわち、内田樹氏の言ういわゆる情報難民もいるが、このICRPという団体の判断は、相当に安全サイドに立っていることは、きちんと調査をすれば分かることである。



がんとしきい値

 DNAのもつ塩基配列という遺伝情報に傷があることががんの最初の段階であり、したがって、次に問題となったことが放射線の影響による発がんであった。

 実は、DNAが傷を受けることは日常茶飯事である。

 大気中の酸素は、実は、有機物でできている生命にとって、有害物である。酸素呼吸のために、すべての細胞で、1日で5万から50万ほどの塩基配列が壊されている。これでも生命が維持でき、それなりに発がんを抑えこむことが可能という不思議な状況が毎日起きているのが、哺乳類というものである。なかでも、哺乳類、中でもヒトは、非常に高度な防御システムを持っている。

 どうやら、それでもなんとか生存できるように、情報に冗長性を持たせており、また傷の修復能力もあり、そして、免疫システムによる最終ラインの防御機能を備えているのが、哺乳類であり、特に、ヒトという生物である。


 しきい値仮説は、ヒトがDNAの傷の修復能力があることに根拠をもっている。すなわち、「DNAの傷の修復する能力があるので、多少の傷なら直る。これがしきい値が存在する理由である」


 一方で、しきい値は無いと仮定したとき、塩基配列の傷の数は、発生した活性酸素の数と比例していると考えるべきだろう。活性酸素発生数は、紫外線や放射線の量と比例しているだろう。これがもっとも簡単な仮説である。

 このような単純化した仮定を組み合わせ、「比例」=Linearと「しきい値なし」=Non-Threshold、すなわちLNT仮説というものが作られた。

 「少しでも損傷があれば、必ず発がんにつながる可能性がある」、これがLNT仮説の表現の1つであり、非常に安全サイドの評価をするように作られた仮説であって、放射線防護・管理で、わずかな被害がでないように100%配慮されたものだとも言える。


 ICRPは、1965年勧告で次のように述べている。

 「われわれは、しきい値が存在しないという仮定、および、完全に線形であるという仮定は正しくないかもしれないことを知っているが、この仮定によって放射線のリスクを過小評価をすることになる恐れはないことで満足している」。

 すなわち、ICRPはLNT仮説が過大評価であることを認識している。


ICRPはさらに安全サイドの勧告へ

 ICRPは、安全サイドの評価を行うことを使命としている組織である。そのため、勧告がでるたびに、さらなる安全側へと動いてきた。

 1977年勧告では、発がんによる死亡リスクは、1Svあたり125/10000としていたが、1990年勧告では、500/10000と4倍にした。

 1990年勧告では、「何年もの期間にわたり放射線を被曝した場合、約500mSv以下の線量では、重篤な影響は起こりそうもない」。

 2007年勧告は、
 「吸収線量が約100mSvの線量域まででは、臨床的に意味のある機能障害を示すとは判断されない」。


 この最後の文章が現時点でも有効な見解です。そして、非常事態における一つの基準になっています。非常事態であれば、そして、その非常事態が速やかに終わるのであれば、最初の1年は100mSvまでの被曝を受けても、その後の被曝をある程度に抑えることができれば、臨床的に意味のある機能障害を示すことはないという見解になります。

 しかし、今回の福島のように、1年間で被曝が終わって、それ以後はほぼゼロになるという状況ではないとし、今年1年の被曝量は20mSv程度で抑えることが望ましいかもしれない。そこで、これが日本国政府の統一見解として出されました。


ECRRについて

 自然科学というものは、「XXXが無い」ということは証明することができません。証明できることは、「○○○はある」ということだけです。

 大部分の科学者は、「現時点で検出できないことは、無いことである」、という判断を下すことにしてきたのです。上記のICRPの「判断されない」という表現が、それです。

 ところが、このような態度を取らない科学者が居ます。反ICRPのスタンスを取る科学者もその一例です。場合によっては、自称科学者かもしれませんが。

 ICRPの委員などの一流の科学者は、自然科学の限界を充分に分かっていますから、自らとは違った判断をする科学者達に反論しないのです。なぜ反論しないのか。それは、いわゆる神学論争になって、不毛の議論をするだけに終わるからです。

 現時点で、日本においてECRR流の主張を繰り返している学者は、自らがICRPのような一流の組織の一員になれないもので、反ICRP的発言によって、自己主張をしているのです。それを採用して同様の主張をしているジャーナリスト的な人々(学者?)も多いのです。


 ところが、「このICRPは各国御用達の御用学者だ」という判断をする人達が居ます。しかし、それは間違いでしょう。原発推進派にとっては、ICRPはむしろ目の上のタンコブ的な存在だったと思います。放射線のリスクについて、どんどんと厳しいものを勧告してきたからです。原発推進派は、迷惑だと思うと同時に、ICRPの基準に従っていれば、責任回避ができると思っていたかもしれませんが。

 これに対して、このICRPの勧告、特に、非常事態における勧告を別の意味で迷惑だと思っている人々がいます。それは、反原発団体です。反原発団体にとっては、放射線は有害であればあるほど都合が良いのです。

 今回の事態でも、福島の人々が放射線を過度に恐れ、過剰な対応をし、結果的に安住の地を失うと同時に、精神的に不安定になればなるほど、反原発の勢いは増すと考えているのです。反原発という自らの主張のためには、福島に神経症などの被害者ができるだけ多くなることが、都合が良いのです。自分勝手な態度だとしか言えません。

 放射線のリスクを正しく理解できないような一見科学風のデータを作ることを使命と考えている一群の学者がいて、ECRRを構成しています。その母体は、ドイツではシュレーダー政権にも参加していた緑の党です。ECRRは、European Committee on Radiation Riskですが、欧州評議会、欧州議会、あるいは、国際連合などの機関とは全く無関係な私的機関です。

 ECRRは、主として、放射線によって健康被害が出た、として裁判に訴えている原告の支援をしています。

 ECRRが市民団体であることは事実です。単なる市民団体が、各国政府やWHOなどの国連機関が黙って従うほどの権威のあるICRPよりも信用できる、という判断ができるのはなぜでしょうか。不思議です。

 そのECRRも、100mSv以下の被曝については、ICRPとほぼ同様の考え方をしています。要するに、「100mSv以下の被曝は、臨床的に意味のある機能障害を示すとは判断されない」ことには同意しています。しかし、外部被曝よりも遥かに多い内部被曝が同時に起きるため、ずっと多くの放射線に被曝することが実状だ、という独特の解釈によって、被害が出たという主張をしているのです。

 今回の福島の場合には、新聞報道(例えば、朝日新聞9月13日)がなされているように、浪江町2483人、飯舘村625人、川俣町山木屋地区213人など4~19歳2600人を含む合計3373人について、内部被曝量をホールボディーカウンターで検査した結果によれば、浪江町の7歳男児と5歳女児が2mSv、浪江町の5~7歳児5人が1mSv、他はすべて1mSv以下でした。

 このような報告を読めば、内部被曝に対して、福島では、チェルノブイリとは全く違う適正な対応が取られつつあると考えて良いでしょう。

 この新聞記事を事実として信じることができる人は、過度に神経質になって神経症を病むようなこともなく、その子どもの発育も適正なものになるでしょう。

 この記事を国家謀略説で理解する人々の解釈を鵜呑みにすれば、単に、不幸になるだけでしょう。

(要約終わり)


以上、かなり要約・省略しました。(それでも長いですが。)ぜひ元記事をお読みください。
しかし、ECRRはこてんぱんですね。


私自身は、今回の福島の事故でもう原子力発電は終わりに向かっていると思っています。今後、日本では新しい原発は作られないだろうし、作るべきではないと考えます。危険な原発、老朽化した原発から(電力不足にはならないように)停止させていき、最終的にはゼロにすべきです。
そして、再生可能エネルギーによる発電の比率を上げていくよう、政策を転換すべきと考えています。

一方で、放射線被曝の危険性は、正しい科学的データに基づいて判断されるべきです。
正しくない情報のデマで、福島の人たちの精神を乱すべきではありません。
間違った情報で差別を助長してはなりません。

福島で最も怖れるべきは、ガンではなく不安による精神疾患であるとの強い意見もあります。


結論はいつもいつも同じですが、「正しく怖がりましょう」。