寺田寅彦 『天災と国防』 | ナンでもカンでも好奇心!(tomamのブログ)

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硬軟取り混ぜた種々雑多なネタについて書いてみようかと思います。
全くまとまりがないと思うけど、それが自分らしさということで。。。

日本を出るにあたって何か持って行く本を物色した本屋で、こんな本を見つけました。

天災と国防 (講談社学術文庫)/寺田 寅彦

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寺田寅彦と言えば、私が原発事故関連で頻繁に引用する言葉、

「ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしい」
(「小爆発二件」(昭和10年11月))

を書いた、戦前の東京帝国大学理科大学の物理学者で随筆家(明治11年11月28日生、昭和10年12月31日没)です。

これはその寺田寅彦の論考やエッセイを集めた本で、2011年6月9日 第一刷発行です。
もちろん、今回の地震・津波そして原発事故を受けての発行ですね。

調べると他にも、

・天災と日本人 寺田寅彦随筆選 (角川ソフィア文庫) 寺田 寅彦、 山折 哲雄 (文庫 - 2011/7/23)
・地震雑感/津浪と人間 - 寺田寅彦随筆選集 (中公文庫) 寺田 寅彦、 千葉 俊二 (文庫 - 2011/7/23)

と、合計3冊の寺田寅彦の随筆の文庫本が、震災後に発行されています。

大正から昭和初期に書かれた寺田寅彦の随筆、しかも特に進歩の著しい科学技術に関係する著作が、今回の震災・原発事故を受けてまた改めて出版され、読み直されているというのは、すごいことですね。


さて、私が行った本屋では3冊のうち2冊が置かれていましたが、私が講談社学術文庫のものを選んだのは、解説が畑村洋太郎先生だったから。

私のブログの『津波被害と「失敗学」』という記事 http://ameblo.jp/tomamx/entry-10829320049.htmlでも紹介しましたが、失敗学を提唱された東大名誉教授で、今年5月から政府の東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会委員長を務めておられます。

畑村先生の解説が38ページにもわたっていて、これだけでも読み応えがあります。



では、寺田寅彦の随筆集から、いくつか興味深い文を抜き出してみます。


「天災と国防」(昭和9年11月)

・悪い年回りはむしろいつかは回って来るのが自然の鉄則であると覚悟を決めて、良い年回りの間に十分の用意をしておかなければならないということは、実に明白すぎるほど明白なことであるが、またこれほど万人がきれいに忘れがちなこともまれである。(中略)少なくとも一国の為政の枢機に参与する人々だけは、この健忘症に対する診療を常々怠らないようにしてもらいたいと思う次第である。

・地震津波台風のごとき西欧文明諸国の多くの国々にも全然無いとは言われないまでも、頻繁にわが国のように劇甚な災禍を及ぼすことははなはだまれであると言ってもよい。わが国のようにこういう災禍の頻繁であるということは一面から見ればわが国の国民性の上に良い影響を及ぼしていることも否定し難いことであって、数千年来の災禍の試練によって日本国民特有のいろいろな国民性のすぐれた諸相が作り上げられたことも事実である。


「災難雑考」(昭和10年7月)

・多くの場合に、責任者に対するとがめ立て、それに対する責任者の一応の弁解、ないしは引責というだけでその問題が完全に落着したような気がして、いちばんたいせつな物的調査による後難の軽減という眼目が忘れられるのが通例のようである。これではまるで責任というものの概念がどこかへ迷子になってしまうようである。

・自分が近年で実に胸のすくほど愉快に思ったことが一つある。それは、日本航空輸送会社の旅客飛行機白鳩号というのが九州の上空で悪天候のために針路を失して山中に迷い込み、どうしたわけか、機体が空中で分解してばらばらになって山中に墜落した事件について、その事故を徹底的に調査する委員会ができて、おおぜいの学者が集まってあらゆる方面から詳細な研究を遂行し、その結果として、このだれ一人目撃者の存しない空中事故の始終の経過が実によく手にとるようにありありと推測されるようになって来て、事故の第一原因がほとんど的確に突き留められるようになり、従って将来、同様の原因から再び同様な事故を起こすことのないような端的な改良をすべての機体に加えることができるようになったことである。

 (中略)

しかし、幸いなことには墜落現場における機体の破片の散乱した位置が詳しく忠実に記録されていて、その上にまたそれら破片の現品がたんねんに当時のままの姿で収集され、そのまま手つかずに保存されていたので、Y教授はそれを全部取り寄せてまずそのばらばらの骨片から機の骸骨をすっかり組み立てるという仕事にかかった。


(→9.11米国同時多発テロ事件では、当時のジュリアーニNY市長が、崩壊したワールドトレードセンターの瓦礫をすぐに撤去して、さっさと海外のリサイクル業者に送ってしまいました。
 
 また、日航ジャンボ機墜落事件では、事故原因とされる問題の圧力隔壁は「隔壁は遺体収容作業時に、遺体確認と運び出しの邪魔になるとして切断され、再度調査委員が発見現場を訪れた時は、亀裂と放射状の骨組みにそって細かく切り刻まれたうえ、積み重ねられていた」(『天空の星たちへ』より)

 これらが意図的だったかどうかはさておいても、昭和初期のこの科学的態度よりも退行していることだけは確かです。)


「地震雑感」(大正13年5月)

・もし、百年に一回あるかなしの非常の場合に備えるために、特別の大きな施設を平時に用意するという事が、寿命の短い個人や為政者にとって無意味だと云う人があらば、それは全く別の問題になる。そしてこれは実に容易ならぬ問題である。この問題に対する国民や為政家の態度はまたその国家の将来を決定するすべての重大なる問題に対するその態度を窺わしむる目標である。


「流言蜚語(ひご)」(大正13年9月)

・流言蜚語の伝播の状況は、前述の燃焼の伝播の状況と、形式の上から見て幾分か類似した点がある。
 最初の火花に相当する流言の「源」がなければ、流言蜚語は成立しないことは勿論であるが、もしもそれを次から次へと受け取り次ぐべき媒質が存在しなければ「伝播」は起こらない。従っていわゆる流言が流言として成立し得ないで、その場限りに立ち消えになってしまう事も明白である。

(→そして科学的常識で判断することの大切さを説いています。しかも、「常識の判断はあてにならない事が多い。」とも。
 今回の原発事故で、インターネットやメールで必要以上に危機感をあおるデマがあっという間に広がって問題になりました。伝播の速さが飛躍的に大きくなったからこそ、個人の科学的判断の大切さはより重要になっていると考えます。)


「津波と人間」(昭和8年5月)

・昭和8(1933)年3月3日の早朝に、東北日本の太平洋岸に津浪が襲来して、沿岸の小都市村落を片端から薙ぎ倒し洗い流し、そうして多数の人命と多額の財物を奪い去った。明治29(1896)年6月15日の同地方に起ったいわゆる「三陸大津波」とほぼ同様な自然現象が、約満37年後の今日再び繰返されたのである。
 同じような現象は、歴史に残っているだけでも、過去において何遍となく繰返されている。歴史に記録されていないものがおそらくはそれ以上に多数にあったであろうと思われる。現在の地震学上から判断される限り、同じ事は未来においても何度となく繰返されるであろうということである。
 こんなに度々繰返される自然現象ならば、当該地方の住民は、とうの昔に何かしら相当な対策を考えてこれに備え、災害を未然に防ぐことが出来ていてもよさそうに思われる。これは、この際誰しもそう思うことであろうが、それが実際はなかなかそうならないというのがこの人間界の人間的自然現象であるように見える。



かなり長く引用しましたが、いかがでしょうか?
もっともっと重要な示唆に富む文章を見つけることができます。

大正から昭和初めにこういうことを書いていた方がいたことに驚くとともに、日本人はこの時代から、どれだけ先人の知恵に学び、どれだけ成長しているのだろうかと思わずにいられません。