NHKスペシャル 飯館村・悲劇の100日 | ナンでもカンでも好奇心!(tomamのブログ)

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硬軟取り混ぜた種々雑多なネタについて書いてみようかと思います。
全くまとまりがないと思うけど、それが自分らしさということで。。。

昨晩、こちらのJSTVで、NHKスペシャル「飯館村・悲劇の100日」が放送されました。

飯館村は、日本の原風景と言っていいような、本当にのどかな村。
この村が放射能に汚染されて「計画的避難区域」に指定されているとは信じがたいことですが、それが放射能の恐ろしさですね。

番組では、色々な住民の置かれている現実を、静かなタッチで淡々と追っていました。


村の神社の前で、毎年、村人が集まって豊作祈願する。今年は大分少なくなった。
来年からは、もう集まることもできなくなるか。
ずっとずっとこの村で暮らしてきたのに、何も悪いことはしていないのに。

避難が決まった幼い兄弟が、事故以来外出を許されなかったふるさとの野山を、もう最後だからと犬と一緒に散歩する。その犬は避難先には連れて行けない。

4世代で一緒に住む大家族だったのに、おおばあさんを置いていけないからと祖父母との3人を残し、父母と子どもだけが避難して、家族がばらばらになる。

農家を継ぐつもりだった若い人が、耕作できなくなって雑草が生い茂ってきている自分の家の畑を絶望的に歩く。

放射能汚染のせいで農業ができなくなった人が、食べていくためにやむなく、工事関係の新しい仕事に就く。
仕事先は東電の火力発電所。こういう仕事しか見つからない。

きれいな水で有機農業を行って地道にブランド開発してきた農家が、放射能汚染によって長年の努力が全くの水の泡となった。

事故の前に作っておいた「しみ大根」も売ることできなくなり、何も悪いことはしていないのに悔しいと嘆く農家の主婦。


大学教授か何かが、自宅の放射能汚染を10分の1にできる方法があるから確かめさせてくれと、自治会長宅で実験を行う。結果、1/2にしかならない。
そして説明。「ひとつの谷を放射能汚染物質の廃棄場として使わせてくれれば、みんなが帰ってこれる。」


一番心にしみたのは、長年自宅の真横で8頭の牛を飼って繁殖させ、子牛を売ってきた酪農家のおじさん。
最も可愛がっている牛には、自分の名前の一字を付けるほどで、家族のように世話してきた。
日焼け(雪焼け?)した丸い顔に、いつも穏やかな微笑みをたたえながら、とつとつと喋る。

しかし放射能汚染で避難が決まり、もう牛を飼い続けることはできない。
東電の説明会で、いつになったら帰って来れるのか質問するが、東電は「申し訳ない。答えられない。」の一点張り。

その後、牛の一部を「預ける」ことも諦め、全て手放すことを決断する。
「東電がああいう発言をするということは、10年くらいは帰ってこれないんだろうな」と。

手放す牛を乗せるトラックが迎えに来る。
おじさんの最も愛した牛だけは、何かを感じ取るのか、逃げて乗ろうとしない。

ようやくのせたとき、牛を連れて行く業者さんが「ほんとうにいい牛だ。もったいない。」とおじさんに告げる。
トラックが立ち去るのを見送りながら、いつも微笑んでいたおじさんは大泣きしてしまう。
全部、終わった、と。


日本人、特に飯館村のような田舎の人たちは、なぜいつも優しく微笑んでいるのでしょう。
本当は怒りと悲しみに満ちているはずなのに、少なくともカメラの前では、なかなかそれを表にださない。

そして、政府の決めたとおりに、諦めて従順にその決定に従う。
まじめに穏やかに生きてこられたそのままに。


こういう個々の方々の人生がずたずたにされたことを思うと、原発事故は本当にとんでもない人災だと改めて強く感じました。(これを淡々と映像にして放送したNHKは、すばらしいです。)


まずは最低限のこととして、この方々にしっかりとした金銭的補償を行うことが必要です。
その上で、お金では償えない、家族、友人、ペット、土地、仕事との別れ、そして生きがいを失うことのケアをどうしたらいいのか、答えはなかなかないでしょう。

それでも東電・政府は、この問題にきちんと向き合わねばなりません。
我々には何ができるのでしょうか・・・・。