先日発売の『週刊現代(4/23号)』を読んでいたら、
「迫害され続けた 京都大学の原発研究者たち(熊取6人組)」
という記事がありましたので、紹介します。
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原発を推進してきた学者たちが「想定外」という言葉を繰り返すのとは対照的に、今日の福島第一原発のような大事故がいつか起きると警告を発し続けてきた学者グループがいる。
彼らはこれまで「異端の研究者」と見られ、テレビや新聞でもほとんど紹介されることがなかった。それどころか、学会では長く冷や飯を喰わされ、研究費や昇進でも明らかな差別を受けてきた。
遅きに失した感は否めないが、今回の事故で、そんな彼らにようやく注目が集まりつつある。原発関係者たちは、推進、批判の立場を超え、彼らのことを「熊取(くまとり)6人組」と呼んだ。
熊取」とは、京都大学原子炉実験所の所在地である大阪府泉南郡熊取町に由来する。
「熊取6人組」は・・・、
今も同実験所に在籍しているのは、今中哲二氏 助教 (60歳)と小出裕章氏 助教 (61歳)。
'01年から'03年に定年退職したのは、海老澤徹氏 (72歳、助教授)、小林圭二氏 (71歳、講師)、川野真治氏 (69歳、助教授)。
そして、1994年に亡くなった 故 瀬尾健氏 (享年53、助手)。
原発研究者の世界は「原発ムラ」などと呼ばれ、基本的に原発推進者ばかりである。電力会社は研究者たちに共同研究や寄付講座といった名目で、資金援助する。その見返りに研究者たちは電力会社の意を汲んで原発の安全性を吹聴する。
原発を所管する経済産業省と文部科学省は、電力会社に許認可を与える代わりに、電力会社や数多ある原発・電力関連の財団法人などに天下りを送り込む。さらに研究者たちは国の原子力関連委員を務め、官僚たちとともに原子力政策を推進していく。
経産省OBが語る。
「京大の原子炉実験所も基本的には原発推進派の人物が多い。ただ、京大は『熊取6人組』のように、反原発の立場から原発を研究する人も受け入れている。原発ムラの中心にいる東大には反原発の現役研究者は皆無です。」
こうした原発ムラにあって、真正面から異を唱え、原発の危険性を叫び続けてきたのが「熊取6人組」なのである。反原発の立場で研究を続けていくことは楽なことではない。彼らのうちの誰一人、教授になっていないという事実が、学内での微妙な立場を物語っている。
(小出氏の発言)
「3月12日に枝野官房長官が『1号機の水位が下がった』と言い、重大な事態だという認識を示した。ところが、その後のNHKで東大の関村教授が出てきて、『原子炉は停止した。冷却されているので安全は確保できる』というようなことをおっしゃった。唖然としましたよ。」
「原子力安全委員会は何をしているのか。委員長の斑目さんはすっかり後ろに引っ込んでしまった。彼には無理だったということでしょう。」
「推進派はこれまで主張してきたことをどう思っているのか、表明してほしい。何人か謝罪した人もいるみたいだけど、原子力委員会の近藤俊介委員長みたいに、謝罪もせず逃れようとする人もいる。みっともないね。」
「うまくいっても、安全と言える状態になるまでは最短で年単位。数ヶ月では無理でしょう。」
原発ムラからの圧力は彼らのような研究者だけでなく、メディアにも加えられるという。たとえば、'08年10月、大阪の毎日放送が「6人組」を追ったドキュメンタリー番組を放送した。その後の騒動について、民放労連の関係者が言う。
「番組放送後、関西電力からは『反対派の意見ばかり取り上げるのは公正ではない』という申し入れがあり、局側は『番組の最後で推進派の教授と討論する場面を入れている』と反論したそうですが、関電は納得しなかったのでしょう。その後、しばらくCMを出さなかったと聞いています。」
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まさにこの毎日放送のドキュメンタリー番組がYouTubeにあるのを、ブルンさんのブログで知りました。
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小出裕章氏は、もともと、原子力技術にあこがれてこの道に入り、研究を進めるうちに安全性に疑問を抱くようになって、原発反対派になったようです。しかし、このような四面楚歌の状態で、昇進からも見放され、よくその立場を貫いてこられたものだと尊敬します。
購読している『週刊金曜日』にもたびたび記事を書かれていましたが、福島第一原発の事故までは原発容認派だった自分は「こういう立場の方は、肩書きから見放されているのだなぁ」くらいにしか考えていませんでした。。。