今なお、およそ一万人の行方不明者がいる南三陸町。
なぜ、特にこの町で、突出した数の犠牲者が出てしまったのか?
ここは昨年にも、津波被害にあっている。
2010年2月28日、チリでの大地震による津波が太平洋沿岸を襲った。
津波被害の宮城・南三陸町、住民らが片付け (2010年3月1日)
http://www.news24.jp/articles/2010/03/01/07154483.html
昨日、テレビで、このときに住民にインタビューしている映像が流れていた。
「防潮堤ができてよかった、これで被害が最小限に食い止められた、安心だ」と。
また、この高さ10mの防潮堤について、誇らしげに書かれているブログも見つけた。
http://hiderinn.de-blog.jp/satouringyo/2009/01/post_1.html
今回の津波は、やすやすとこの防潮堤を超えてしまった。
津波に何度も襲われてきた町。
「地震が起きたらとにかく急いで高台へ上がれ」という経験則は、きっと伝承され身についていたはず。
住民が待ち望んだ防潮堤ができたこと、またそれが昨年の津波による被害をある程度防いでくれたことが、かえって住民の方々が津波を甘く見ることにつながり、その結果、他の町と比べてとてつもなく甚大な被害者を出すことになってしまったということはないだろうか?
そうだとすれば、何とも悔やんでも悔やみきれない出来事です。
※追記: 21:40頃のNHKの報道で、過去の最大の津波の高さは5m(?) だったので、それにしたがって防災計画が立てられていたが、それをはるかに上回る規模の津波が来た、と説明されていました。
亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。