南郷村虻の宮にある鹿島神社に抱いた素朴な疑問(前記事「虻がアブとアフ」参照)から、鹿島神宮の伝説を調べるつもりで出会った本に『常陸の伝説』(第一法規 藤田稔 編著 1976)がある。茨城県の伝説を、民俗的に分類することで「常陸国」の地域的な特色が現れるのではないか、との意図でつくられた。その意図を反映して適切な伝説の分類と要約が、採話地、地図などの必要な情報と共にまとめられている。伝説は、地域との関係の中に置くことで生きた伝説たり得ると、あらためて感じさせてくれる。
今回は鹿島神宮と虻の宮の縁で出会えた、この『常陸の伝説』と採話地の地名に寄り道です。
『常陸国の伝説』は、著者の意図以上に、私にとっては古代常陸の採鉱民、製鉄民の足跡を地図上に示してくれる。私の拙い地名探偵は、常に先学の残してくれた著作や資料と、その熱量に導かれて歩んでいて、中でも採鉱、産鉄民の伝説は主食となっている。霞ケ浦を挟んで鹿島神宮(常陸)、香取神宮(下総)を有するこの地域は、拙稿で採鉱民との関りを推定している南会津の古代信仰にも影響していると思われる。常陸から北関東そして南会津へと、伝説と地名の繋がりを見ておくことは無駄ではないだろう。伊南郷一の宮は香取神社、伊北郷一の宮は鹿島神社なのだから。
流通が未発達だった古代においては鉄器も地産地消していたらしく、関東、東北でも多くの製鉄遺跡がある(七世紀中頃、前橋市粕川の三ヶ尻西遺跡が東日本最古)。製鉄が中国山地に集約されるのは中世以降で、茨城県から北上した福島県の太平洋沿岸でも大規模な製鉄遺跡が発見されている(平安時代)
羽口付き炉壁 八世紀中葉 (白河市まほろん・ふくしま鉄ものがたり展示から)
伝説の地域性を強く意識した『常陸の伝説』の、表紙と裏表紙の見返しには、郡を実線で、市町村の境界を破線で示した茨城県の地図が印刷されている。採られた伝説の題名の下の()内に市町村、大字、小字が記載されていて(全部ではない)採話地が確認できる。地図を開いておいて突き合わせる手数を省ける手軽さは、思った以上に便利だ。しかし結果的には、その地図をコピーして書き込みながら読むことになってしまった・・・。
目次は「民俗的な分類」の大項目と小項目に分類され、次の項目がある。
・自然的伝説(山・原、石・岩、水、植物、大蛇、片目魚、巨人)()内が小項目以下同。
・社会的伝説(坂・橋、古跡、千軒の村、長者伝説、)
・歴史的人物伝説(日本武尊、坂上田村麻呂、弘法大師、平将門、源義家、親鸞、水戸光圀、高僧たち)
・信仰的伝説(神祠・神、漂着神・海上出現仏、寺堂・仏、カッパ・竜・天狗、禁忌)
大項目ごとに著者の簡略な解説、伝説名と採話地、類話の煩雑を避け、代表的な伝説をいくつか採っての要約、他は採話地を列挙しているので地名と地点がわかる。整理された伝説群を追う心地よさの内に、自然に伝説群が持つ傾向が現れる。郷土の歴史や民俗を立体的に示して後世に繋ごうとする意志を感じさせる。淡々と進む構成の奥にある、文字には表れない多くの地道な努力を想う。
『常陸の伝説』表紙と見開き
その中で異様?に思えたのは社会的伝説の項目に含まれる「千軒の村」の項目が独立していることだ。18話も挙げられている。重複を避けて類話は三箇所を挙げるにとどめその採話地を挙げている。このさじ加減が絶妙だ(見習わねば)。
他の研究者(佐藤次男氏)の研究からとして、「千軒の村」伝説には長者没落譚が伴う話が多いこと、没落理由として、洪水・津波・激浪・大風などの自然災害が多いことが紹介されている。
「それは、(千軒の村伝説が)海辺の村落や河口の港町に付随することが多いためらしい。」としている。後世交通事情と流通規模の拡大に伴い、千軒村は交通の要衝にもできるようになり、地名に残るものだけでも全国に300以上あるらしいから(「千軒地名」で検索してみてください)。その要因もあって、千軒村伝説のすべてに鉱山が関係するわけではないのは当然だが、逆に千軒村伝説は大鉱山が必ずと言って良いほど持っている伝説でもある。鉱山と盛衰を共にしての大繁栄と突然の消滅が運命づけられた幻の村だ(浦島太郎やかぐや姫、竜宮城や鬼ヶ島などの世界を思わせる)。人口、人流、物流、文化、遊興などのすべての規模が、定住して先祖からの土地を守り続ける農民にとっては異世界そのもので、そのために採鉱民は差別的な扱いを受けることも多かった。「伝説」は「神話」などと同じで、文献のような価値はないとされるし、考古学で見出される遺物が伝説の証拠になることもないが、常々それはおかしいと思っている。神話による日本創生から始まる『記・紀』は、当時最高の知識人により、周到に計算されて書かれていることがその道の専門家によって年々解き明かされている。各地に残された伝説にも、古代人が伝説として残した時代の姿が見出されていくことを願う。伝説の一つ一つは、点描画の一つの点に過ぎなくても、特定の地域を面でとらえ、多くの点を見出していくことによって、何が描かれようとしていたのかを理解していきたい。
先走るのはこのくらいにして、「千軒の村」をまとめた解説に長者伝説のことがあったので、次にはそこを見てみた。純粋な「長者伝説」は6話、それとは別に、「歴史的人物伝説」の源義家のところに8話の「長者伝説」があり、併せて14話が採られている。やはり採鉱、製鉄民の伝説につきものの、「朝日さす 夕日輝く木の下に 黄金千杯 漆千杯・・・」という朝日長者伝説は、『山の散歩道』で集落担当者だった祖父も拾っている。
地名解説に「キョウヅカ(経塚)・・・御経千巻、黄金千枚、炭千俵、荒鍬千枚を埋めて柱状の岩片で屋根をしたものであり、この岩片を持ち去るとタタリがあると言われていた。」(『山の散歩道』台板橋)とある。この場所は戦後まで南郷村で操業した大宮鉱山選鉱場の跡にある。祖父の解説により、自分の生まれた場所に鉱山と長者伝説が結びついていたケースのあったことを知った。当然ながら伝説は大宮鉱山が操業する遥か前からのものなので、伝説の時代に、ここで採鉱が行われていたことの根拠になるものだ。
常陸の義家伝説の長者はほとんど(8話中7話)が、行軍中の義家を豪勢にもてなすことで、その財力を危険視されて滅ぼされてしまうという話。長者がおごり高ぶっていたことが消滅の因という類話だが、義家伝説の長者は要求された通りにもてなしたのに、理不尽に皆殺しにされ、家は焼かれ、娘は身投げに追い込まれるなど、まるで義家の「征服伝説」の様相を呈している。純粋な長者伝説の方は6話中2話が滅亡、2話は繁盛、2話は「椀貸し伝説」に分類されるべきものと思われる、その2話を除くと計12話中9話で滅びる(消滅)長者伝説となっている。「千軒の村」と同じで消滅は宿命のようだ。消滅の理由を義家に託した語りごとが人気を得たのか。しかし人気を得るには、聞き手がさもありなんと思えることが重要なので、義家の奥州征伐と凄惨な武力行使はこの地域にとって印象的なものだったものかも知れない。おなじ東征伝説でも、この地に残る倭武天皇(ヤマトタケル)伝説(風土記17話・全部で60話以上)ほど英雄的、友好的(地名起源説話)、ロマン的(オトタチバナヒメ伝説)ではないようだ。
もう一つ採鉱民伝説と目される「片目の魚」が5話挙げられている。神の魚として崇められたり、恐れられたりしているが、著者は「片目の魚が実際にいたわけではない。神に供えるための神聖な魚・・・」として、従来の民俗学的な解説を付している。しかし『青銅の神の足跡』(谷川健一1979)は、片目はタタラ製鉄の村下(ムラゲ=親方)が、炉内の温度を炎で見極めることによる職業病であることを解き明かし、鍛冶・鋳物師の神であるアメノマヒトツ(天目一箇)が世界共通の鍛冶神の姿で、一つ目小僧や、唐傘お化けも零落した「一つ目の神」であることを示した。精錬の際の蒸気を吸い込むことによる別の職業病や、鉱毒の含まれた水を引き込む水田の稲を食べると、障害を持った子が生まれるなどの禁忌にも触れている。そこから類推すれば、上流に鉱毒が流れ出る沢や河川に住む魚が片目になる。という経験的な観察はあったものと思われる。先天的に両目が見えない個体は生存できず、成長できた個体が結果として片目なことは有りうる。前述の大宮鉱山跡地を流れる大石沢が家の横を流れていたが、選鉱場より下流には閉山後も数十年は岩魚が生息しなかった。私が成人する頃に、岩魚が戻ったという知らせを聞いて嬉しかったことを憶えている。
片目伝説の一つには、鎌倉権五郎を祀る権五郎神社の縁起になっているものもある。鎌倉権五郎は御霊(五郎)神社の祭神で、敵の矢で片目を射抜かれても戦い、敵を射返したという伝説と共に製鉄神としても祀られていた。鎌倉権五郎はその名の通り鎌倉が本貫の地だが、鎌倉の稲村ケ崎の浜には、現在でも砂鉄が多く流れ出る。極楽寺川の過去の写真に段丘崖を縞模様にしている砂鉄層が写されていた。(権五郎を祀る御霊神社については谷有二氏の著作など参照)
ここの「鎌倉権五郎」は、「片目の魚」と同様、その池の水で目を洗うと眼病が平癒するという信仰にもなっている。前記事「小塩の焼け焦げやくっ様」で採鉱民かと考えた、伊南村小塩「上の家」の星宮も眼病の神として信心され、前記事「コウクボの山姥」で紹介した、南郷村鴇巣の肝煎だった山内家の聖牛権現は、その牛が背に乗せてきた聖徳太子はどこへやら、牛だけが山内家の清浄池(ミタラシイケ)に留まり、池の水は眼病に効くと信仰された。これも山内氏の持つ採鉱民伝説だと考えている。(聖徳太子は付会か)
他にも「石・岩」や「弘法大師」・「巨人伝説」などには十分に採鉱民との関連が考えられるが、広範囲になって論旨が煩雑になるので、偏りが顕著な「千軒の村」・「長者伝説」・「片目の魚」の採話地を掘ってみる。
見返しの地図をコピーした市町村の白地図に、「千軒」「長者」「片目」の採話地、18+12+5=35をマーキングしてみると、3伝説群は多くが海岸と霞ケ浦周辺の地域に集中していて、内陸には少ない。さらに採話地の地名も興味を引くものがある。以下気になるところを一覧に挙げてみると、
{千軒の村} 長良千軒、赤塚千軒・黒塚千軒、赤浜千軒、稲村千軒
{長者伝説} 金砂郷村、緒川村国長、玉造町(2)、桜町金田
{片目の魚} 稲敷郡牛久町、稲敷郡釜井
という具合になる。現行地名についてはいつから使われているかが確認不足で、桜町などは合併などを経た新しい地名の可能性も大いにある。寄り道の妄想としてお許し願いたい。
製鉄する際の砂鉄の呼び名に、刀剣などに向く玉鋼を作るマサツチ(真砂土)と、主に鋳物にされるアコメ(赤目)がある。「赤塚・赤浜」は、村名にアコメとの関連を、赤と黒の対比には銅(アカガネ)と鉄(クロガネ)を想定した。「稲」にはイネ(鋳土)・カネ(鍛土)という解読を示した、吉野裕氏の『風土記世界と鉄王神話』での仮説を当てはめ、(前記事「宮床の田舎不動尊」など参照)、「長(ナガ)」には畑井拡氏の『物部氏の伝承』などに展開される、南方系海人族(蛇神信仰)のnaga(蛇)や、それを援用してのナガスネヒコ、オキナガ族などのナガを思ってみた。ナガスネヒコは神武東征で滅ぼされる先住吉野の王であり、新世代の製鉄技術を持って乗り込んで来た神武にとって代わられた。オキナガタラシヒメは八幡神社祭神の神功皇后で、三韓征伐の武神だが、宇佐八幡神は鍛冶の翁の姿を借りて現れた神であり、鶴岡八幡宮の鎌倉奉斎は鍛冶の翁の色も濃い気がする。「金砂」「玉造」「金田」「釜井」は文字通り。最後のカマイは「釜鋳」が考えられる。この三種の伝説以外にも、「義家伝説」の那珂町菅谷の地名起源伝説は、菅谷がスガ(砂鉄)でもあり、踏鞴の復元で有名な島根県の菅谷タタラの菅谷と同名となっている。
始めたらきりのない牽強付会の誹りは承知で、産鉄とのつながりが想定できる地名を拾ってみた。「桜町」はサクが、蹴裂き伝説に現れるサク(佐久、佐久間など)との繋がりを思ったが、まだ確認不足の段階。これらはどこにでもある地名だが、古代の製鉄は、ある時代には後代の鍛冶・鋳物師屋と同じくらいどこにでもあった、という手ごたえを感じているので不思議には思わない。
「牛」はわが妄想の中では、たたら製鉄によってできる鉄(鉧)塊であり、伏した牛のような形をしている。鉱滓が出土した(真弓常忠『古代の鉄と神々』)日光二荒山神社中宮祠にあるモニュメント「牛石」(前記事「怖いから天神様」参照)が、そこに置かれる理由、また軽井沢銀山で繁栄し、福満虚空蔵菩薩で有名な柳津町円蔵寺の守護「赤べこ」が赤い牛である理由などを考えていくとそこへ行き着く。先に挙げた鴇巣村山内氏の聖牛権現もその一つだ。「義家伝説」中の出島村の地名起源伝説にも牛込、牛渡がある。
面白いことに「歴史的人物伝説」の『常陸国風土記』の日本武尊に関する伝説17話の冒頭解説に伝説分布地図があり、その中の黒点で印された風土記説話の推定地が、先の自分でマーキングした地図とよく似ている。そこに古くから村が発展していた地域なら伝説も偏って当然なのだが、藤田氏も偏りは気になっていて「県の東寄りの地域に密である。推定される古代駅路と対比してみるとその周辺に多く、河川の流域にも多い。」として駅路、水路による伝播を指摘している。
『常陸国風土記』の日本武尊伝説分布図(『常陸の伝説』)
赤=「千軒」、青=「長者」、☆=「片目」、橙=「義家長者」の伝説分布図
もちろん伝説の伝播はそのようにしても行われただろうが、村がいくつも発達したことで、村を結ぶ駅路や水路が必要とされたと考えれば、風土記に残された伝説のいくつかが村人によって持ち込まれていたとしても、地図のマーキングは同じ分布を示す。律令制下で駅路や水路が整う前から、村は存在し村人は稼業をこなしていなければならない。どこから始まったのかを知るのは難しいが、その稼業が鹿島・香取神宮に象徴される採鉱産鉄の可能性は高いし、神宮所在地が始まりの村でもおかしくない。富国強兵が叫ばれた明治時代中頃にも、霞ケ浦の河口になる銚子市で砂鉄が採取されていた。弥生時代や古墳時代には、それが手つかずに数十万年かそれ以上も堆積していたことを思えば、なかなか楽しい想像ができる。
製鉄原料は海砂鉄から川砂鉄、そして山砂鉄へと良質な鉄を求めて変化していくが、砂鉄と同じくらい炭の供給は重要だった。砂鉄だけがあっても木炭が無ければ精錬はできず、鉄を求める人々は同時に山も求めざるを得ない。海浜や河口に蓄積された豊富な砂鉄で産鉄のできた時代には、鉄の利器を作り出す者たちは農民にとって神だった。木炭を求めて内陸に行くにつれて、水量や水質などに変更をきたす産鉄の業は、水利問題で農民とは折り合いが悪くなっていく。山砂鉄を求めて奥山に向かう頃には、世に鉄器は行き渡り、産鉄業に含まれていた鍛冶屋・鋳物師は里人の暮らしに溶け込んで、産鉄民は人ではないものと認識される。産鉄が神の御業だった時代は浜砂鉄、人の生業になった頃は川砂鉄、やがて鉄産地が集約されていき、消滅した産鉄の業は妖怪や天狗のものになっていく。などと、ざっくり(すぎる)見当をつけて安心したい気持ちもある。
羽口と鉄滓(まほろん展示)
ところで、『常陸国風土記』は倭武の天皇(ヤマトタケルノスメラミコト)と表記するのはなぜだろう。『記紀』では天皇ではなく、多くの征服の旅の最後、東征の帰りに疲れ果てて伊勢で没し、魂は白鳥となって空へ飛び立つが、常陸には『記紀』とは違った日本武尊天皇伝説があった可能性がありそうでもあり、探偵心がうずいてくる。『常陸国風土記』に登場する香島の神が気になる。
鹿島・香取の神はタケミカヅチ・フノミタマで、拙稿妄想中に度々お招きする高天原の大スターだが、もとの姿は雷と鉄剣と思って間違いではない(イメージは複数だが)。その神々が、それこそ神代の時代からこの地域に祀られているのは、この地域を古代製鉄民が拠点としていたからと思わないわけにはいかない。カシマ・カトリの「カ」を鍛冶、鉄(カネ)の「カ」と読んでいる。
出雲に降り立ってスサノヲからオオクニヌシ、タケミナカタへと続く国を征服し(譲らせ)、タケミナカタを諏訪へと追いやり、自身は霞ケ浦に鎮座しつつ古代の重要な港をその剣の元に支配していく。スサノヲもヤマタノオロチという古代採鉱民を征服し、その尾からツムカリの太刀(草薙剣)を手に入れる(服属させる)ので、この時点で少なくとも三世代の産鉄族が現れている。怪物にされたヤマタノオロチは産鉄民の第一世代、スサノヲがはぐれ者(追放された)の天孫で第二世代、タケミカヅチが正統派天孫で第三世代という構図で、さらにスサノヲの子孫であるオオクニヌシがしつこく求婚した越のヌナカワヒメも、産鉄族の被征服者に数えればもっと増える。後の神武天皇とニギハヤヒの関係にも同じ主題が繰り返される。『常陸国風土記』で「倭武の天皇」と記されるヤマトタケルも、はぐれ者天孫の系譜に置かれた何世代目かの産鉄民だったか。
スサノヲが「我が御心清々し」と言ったから、スカ(須賀)の浜、という地名起源説話になっているが、スカが砂鉄であり、須賀の宮(産鉄の宮)を建てて歌う、「八雲立つ出雲八重垣妻籠みに・・・」の「八雲」が「スカ」(砂鉄)で操業するタタラの煙であることは多くの論者が指摘する。出雲には荒神谷遺跡から銅剣358本がきれいに並べて埋納された状態で発掘され、加茂岩倉遺跡からは39個の銅鐸が発掘され、出雲は弥生時代の青銅器の大産地だった。これは前述のどの神の世代に当たるのか、それらの神以前に、スサノヲによってヤマタノオロチから救われ、スサノヲの妻となるクシイナダヒメとその両親アシナヅチとテナヅチを、青銅器時代の産鉄民と位置づけて第一世代の前に置くのか、奇稲田姫がイナ(鋳土)の姫ならそれも成り立つ。(ひとまずおしまい)





