テレビを見てはいけない理由。
そもそも世の中は、巨大な「言語空間」で成り立っている。
苫米地博士が、よく出す例は、
人が赤信号で止まるのはなぜか?ということ。
赤信号で止まるのは、道路交通法に「赤信号では止まれ」と記載されているからだ。
法律に、「言語」で記載されているからだ。
(言語で記載されていない法律は、おそらくありえないので、変な表現かもしれないけれど)
人々の行動の根底には、言語が存在する。
そして、例えば、物質の世界にあっても、
例えば「物理学」という、数式(これも言語)で表すことができる。
そもそもニュートンが目指したのは、神が作った物理世界の根底にある
神の言葉を読み解くことだった。
つまり、あなたが意識する、しないに関わらず、
この世は、とても巨大な言語空間で成り立っているということだ。
そして、この言語空間を読み解くためには、
言語空間の臨場感を上げる必要がある。
臨場感とは、これが現実だと感じられるくらいのリアル性のこと。
好きな映画を見て泣けるのは、その映画に圧倒的な臨場感を感じている証拠だ。
この言語空間の臨場感が、現代人の精神的な自由にとって必須だ。
つまり、人は自由になるためには、どうしても圧倒的な言語空間に慣れ親しむ必要があるのだ。
そして、圧倒的な言語空間に慣れ親しむためには、ある程度の訓練が必要になる。
意識的に言語空間に慣れ親しむ訓練が必要なのだ。
ところが、テレビは、そのコンテンツを受け取るために、
そもそもそういった訓練を必要としない。
今のままの状態で、ただその内容を視聴すればいいようにできている。
あなたの持つ、本来の可能性が発現することを阻害するようにはたらきかけてくる。
少なくとも、テレビを見る時は、この事に注意する必要がある。