可愛いの語源は可哀想
可愛いの語源は可哀想
何でも笑いにする日本。
で、今や「ぴえん🥺」からの「ぴえん🥺デブ」ですが、何でも笑いにすれば良いと言うものではない、のです。
で、こんなの多勢に無勢でどうしようもなく、ただ冷ややかに見るしかないのですが、
可愛いの語源は可哀想
にあります。
で、可哀想が可愛いに繋がるので、
少し前は、病みメイクが流行り、今は「ちいかわ」「オパンチュウサギ」と言う訳です。
が、それが良いとか、そんな自分は良いとか言って、年とるとどうなると思いますか?
昔で言うと、無職じゃなくてフリーターとか、それが良いみたいな風潮がありましたが、それで年とってどうなったと思いますか?
それと「令和の一般男性」やら、メンヘラはソックリなのです。
確かに、若い時には大して問題になりませんが、それは、無職をフリーターと言ってた時と同じ、なのです。
若ければデブでも面白いよね、なのです。
オパンチュウサギのように、可愛い(可哀想)なのです。
(今痩せないと後で痩せても腹の皮を切る手術が必要です(つまり笑えません))
で、年齢と共に「可愛い」がなくなり「可哀想」だけが残る、のです。
可愛いを売りにしていたアイドルだって100%そうなる、のです。
お笑い芸人の99%は年とっても貧困アルバイトなのです。
オパンチュウサギのように、同情も誘えない、のです。
もちろん、笑えない、のです。
で、笑えないはもともと笑えなかった、のです。
それを笑いにすることで現実から目を背けている、のです。
これで言うと、この時点で、もう十分に笑えないし、
周りも笑ってる場合ではない、のです。
なんか、学校に行かないヤンキーやDQN が、ゲラゲラ笑ってる感じ。
ろくに運動しない男女が、ニヤニヤ笑ってる感じ。
ホームレスが、何も出来ない子猫を可愛がることで、自分の現実から目を背けるような感じ、なのです。
自己憐憫と、その投影と、それが可愛いみたいなのを楽しんでいる、のです。
でも、たとえばそれを親、兄妹がしていると想像してみたください。
笑えないし、笑えないのが正解、なのです。
(若い時なら笑えますが中年、高齢女性ともなると)