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悟り と 音程
悟り と 音程
悟りとは、「あなたの思い込み」と「現実」の差取りです。
差をとることをサトリと言います。
もちろんその先にある、ありとあらゆる思い込みの差をとった悟りの到達点みたいなものはありますが、それは初歩の初歩が出来ないと、その総体もないので、ここではそのうちの一歩を紹介します。
これは、ボイストレーナー達の歌ですが、どれも個性があります。
が、音程を外している人は一人も居ない、のです。
そして素人は、音程についての悟りが無いので、
ドとレが同じ音の高さ、ドとシも同じ音の高さ、となって、
その差がなく、一緒くたになっている、のです。
これを無明と言うのです。
無明とは、間違った認識のとこ、です。
認識と言うと、認識が間違っているようですが、そうではなく、現実を聞いてない、同じように聞いてしまっている、のです。
ボイストレーナーという音楽の「菩薩」は、ちゃんと現実の音を聞き分けられる、のです。
つまり、現実(の音)をありのままに受け取れている、のです。
一方、素人は聞いているようで、聞いてない、のです。
ドも、レも、シも、ふんふんふーんって感じ、なのです。
これを明らかになって無い無明と言うのです。
これだと「人と正確なコミュニケーションが出来ない」のです。
独りよがりの独善になるのです。
昨今は、よく「コミュ障」なるものが言われていて、それは対人関係にのみフォーカスされていますが、それは大きな間違いで、
そもそも自分自身が外界とのコミュニケーションが上手くいってない、のです。
今回の話で言うと、正しく聞き取れてない、のです。
正しく聞き取れてないのに、自分は正しいと思っている、のです。
シドレで言うと、シのところをレと聞き取って、それを自分は正しいと思って、人に伝える、ということをしている、のです。
なのに当人は、最後の人に伝えるというところだけが、「コミュ障」だと思っている、のです。
耳が悪いのに、口が悪いと思っている、のです。
聞き取りから間違っているのに、そこは正しいと思っている、のです。
そんな自分は正しくて、でも伝えるのが苦手だからコミュ障、だと思っている、のです。
で、ほとんど唯一のこのブログだけが、
そんな、あなたは間違っている、と教えているのに、当人は「そんなことない!」「お前に何がわかる!」と、こちらの人格を否定してくる、のです。
こちらは人格を否定している訳ではないのに、あちらは人格を否定してくる、のです。
ズボンのチャックが開いているのを指摘したら、「お前が馬鹿」と言われる感じ、なのです。
英語で言うと、ホースとホース(馬)が一緒になってる、間違ってる、と言ってるだけなのに、
何が違うんだ、ホースとホースで一緒だろとキレる日本人みたいなこと、なのです。
これ、私が間違ってると決めつけているのではなく、橋と端ぐらい
現実(の音)が違う、のです。
現実ではなく、自分の思い込み(記憶)から引っ張って判断する癖がついているから、そうなる、のです。
つまり、現実をありのままに観ていない、のです。
現実に息はしてるけど、現実に生きてない、のです。
自分の思い込みの世界に生きている、のです。
ほら、こうしてみると現代人全員ではないですか。
確かに、ボイストレーナーは音に関しては差がわかるでしょう。
でも、他のことではどうでしょうか。
料理で言うと、塩ひとつまみ、と、塩ふたつまみの差は大きい、のです。
でも、一緒になっていませんか。
すると、本当に美味しい料理は出来ない、のです。
コーヒー好きにとって、砂糖ひとつまみ、とふたつまみの差は大きいのと同じ、なのです。
もし、コーヒー菩薩なるものが存在したら、豆の種類や産地まで、差を感じられる、のです。
この人間の先達者のことを「菩薩」と言うのです。
たぶん、ボクシングの井上尚弥選手のパンチを正確に分けたら、100種類以上のパンチがある、のです。
前にパンチを打つにも、上に1センチ、右に1センチと、1センチ刻みで打ち分けることが出来る、のです。
一方で、並の選手は、思考停止して、ただ闇雲に前にパンチしているだけ、なのです。
すると、いくらやっても、何年経っても、完成には至らない、のです。
だから私は「もしかして知らないだけかも」と思い、それとなく指摘するのですが、
皆、自分は正しい、自分はやってる、として、
聞く耳を持たない、のです。
で、仮に、上のボクシングの選手が、何の花も咲かずに引退したら、
それは自分でそうした、のです。
でも、当人は認めない、のです。
音楽で言うと、音程を無視した単なる叫びなのですから、そうなる、のです。
英語で言うと、馬のホースと言うところを、水を通すホースと言っているのですから、普通に気狂いなのです。
今回の選挙の政見放送を見ても、そうなのです。
とりあえず、無料の通信教育で良いので、大学の政治経済の授業を履修した人でないと立候補は認めない、とかにしないと、世界のことがよくわかってない独りよがりの気狂いばかりになる、のです。
言い方を変えると、金さえあれば何でも(選挙も)出来るぜ、なのです。
馬鹿に刃物なのです。
で、仮に、立候補者が、何の相手にもされずに落選したら、
それは自分でそうした、のです。
でも、当人は認めない、のです。
翻って、あなたの仕事や、家事でも、そうなのです。
「雑でイイヤ」という雑念が心に巣喰って、人の話を聞かない、のです。
ボイストレーナーが、ドとレは違うと言っても、「いや、そんなの大差ない」とか、「自分にとっては同じ」とか、
独自理論を展開して、我流で適当にやろうとして、話を聞かない、のです。
ほら、コミュ障って、耳から始まっている、のです。
なのに当人は、口下手とか、何を話して良いのか解らないとか、そういう話にしている、のです。
このドアが耳、母親が他人、というだけで、
人が、ドとレは違うと思うんだけど、と言っても、
うるせぇ!
なのです。
うっせぇ、うっせぇ、うっせぇわ、なのです。
しかも、
一般人が
そうなのです。
ヤンキーがキレるのではなく、一般人がキレている、のです。
で、そんな人のカラオケを客商売に置き換えると、
上手く行く訳がない
のです。
そして、それは、
自分がそうした
のです。
でも、当人は認めない、のです。
これを暗闇や盲目に重ねて、無明の闇と言うのです。
あなたがジャイアンだとすると、自分の夢は、自分が気持ち良くなるように歌う、か、聞く人が気持ち良くなるように歌う、か、なのです。
で、後者だったら、菩薩から学ぶべきことは山ほどある、のです。
もちろん、前者だったら自分勝手にするのですから周りからも「勝手にすれば」と思われ上手くいかない(良くもならない)し、後者なら徐々に良くなる、のです。
自分が徐々に良くなるなら結果(現実)も徐々に良くなる、のです。
そして日本人がどちらかと言うと…なのです。
もちろん、自分が良くなった先にしか、未来や夢や成功はない、のです。