前回の続きの話です。
「38人の子供」は、その後に、たくさんの子孫を増やしたそうです。
その後の話は、とても複雑なので、全部は書けません。
いろいろな出来事があったようですが、ここでは、思いっきり単純化して書きますね。
この一族の直系である、長男と長女の子孫は、「大丹生・皇」になり、「天皇家」になった話をしましたが、ある時期に、この子孫の一人が、「初代天照(アマテル)」を名乗ったそうです。
この頃から、「天皇」という称号が生まれたそうです。
念のために書いておきますが、この天皇は、古事記などに登場する、「アマテラス」とは別人で、意味も違うそうです。
「古事記」は、後の天皇などが、かなり歴史を湾曲して書いているそうです。
しかし、私が、いろいろ調べたところでは、まったく関係ないわけでもなく、こういう名前が似ている人物やグループなどは、同じ魂の仲間だと思っています。
さて、「初代天照(アマテル)」の時代から、何百万年も経った後、新しい時代が始まったそうです。
その時代は、それまでの平和な時代ではなく、動乱の時代になったようです。
きっかけは、大和地方に、「神武天皇」がやってきたのが、始まりだったようです。
この天皇のグループは、権力志向だったようです。
「神武天皇」は、のシュメール文明の神様では、「アヌ王」の生まれ変わりだと、私は思っています。
ここでは、「38人の子供」の子孫を、仮に、「天照派」と呼ぶことにします。
このグループは、「平和」が何よりも大切だと思っていて、「自由」や「知恵」、それから、「愛」のグループだったと思います。
シュメール文明の神様では、「エンキ(イザナギ)」が、「自由」と「知恵」の神様です。
その妹で妻でもあった神様が、「ニンフルサグ(イザナミ)」で、「愛」の神様です。
この二人は、愛や徳によって、人々を包み込むような世の中を目指したようです。
そして、後から、日本の歴史に登場した神様が、「アヌ王」で、「平等」を大切だと思っている神様だったようです。
なんと、「エンキ(イザナギ)」と「ニンフルサグ(イザナミ)」の父親でもあったのです。
さらに、「力」の崇拝者でもあったようです。
権力によって、人々を、平等に統治するという考え方ですね。
この神様は、「エンリル(モーセ)」の魂も、混じっていたような気がします。
もう一人の息子ですね。
これらの推測は、私個人の感覚的なもので、科学的な根拠があるわけではありありません。
わかりやすくまとめると、この頃からは、シュメール文明の時代の親子喧嘩や兄弟喧嘩が、再来したような出来事が、日本の土地で、再現されたようなのです。
〇「天照族」=「エンキ(イザナギ)」と「ニンフルサグ(イザナミ)」
「自由」、「知恵」、「愛」のグループ
〇「神武派」=「アヌ王(神武天皇)と「エンリル(モーセ)」
「平等」、「力」のグループ
私は、以前にも書いたように、どのグループがいいとか、悪いとかの判断は、やらないほうがいいというスタンスです。
国政というのは、世の中の状況によって、穏やかに統治したほうがいいこともあれば、多少は荒っぽく、人々を弾圧しなくては、治まらない時もあるからです。
この二つのグループを、さらに、わかりやすく表現すると、
〇「天照派」=「理想主義」
〇「神武派」=「現実主義」
こうなると思います。
現在の日本でも、これは、引き継がれていて、目まぐしく変化する国際情勢の中で、常に、「理想」と「現実」の問題で、政治は論争されますね。
具体的には、「平和憲法」と「自衛隊」の問題なのです。
これも、いろいろな見方ができるので、
「どの意見が正しいか?」
というのは、とても難しい問題なのです。
私が面白いと思ったのは、前述したように、「天照派」は、古事記の「天照大神」とは、直接は関係ないと思いますが、やはり、性格が似ているのです。
つまり、このグループは、
「絶対に戦わない」
という共通の姿勢があるのです。
古事記には、「アマテラス」が、弟の「スサノヲ」の乱暴ぶりに腹を立てる場面がありますが、その怒り方が、ユニークなのです。
ご存知のように、天岩戸に隠れるのです。
要するに、「引きこもった」ということです。
本来の日本人の怒りの表現は、これなのです。
たとえば、江戸時代なども、「鎖国」をやっていますが、あれは、当時の日本人たちが、西洋人たちが、「大航海時代」などと言って、世界中を植民地化して、残酷で酷い行いをしているのを見て、怒ったのだと思います。
「あんな野蛮な人たちとは、お付き合いできません」
こう思って、国内に引きこもったのが、あの時代だったのだと思います。
おそらく、現代の日本でも、「ニート」や「引きこもり」をやっている若者は、世の中に対して、怒っているのだと思います。
生粋の日本人の怒りの表現は、「引きこもる」のです。(笑)
それに対して、「神武派」は、怒ると、相手を殺したり、殴ったり、怒鳴ったり、場合によっては、戦争をしたりします。
怒りの表現の仕方が、ストレートで、わかりやすいのです。
この視点から見ると、現在の日本人にも、「天照派」と「神武派」の二つのタイプの日本人がいるような気がします。
現代の日本の社会では、やはり、「天皇家」は、「天照派」だと思います。
そして、「内閣」に代表されるような政治家たちは、「神武派」が多いような気がします。
私は、完全に、「天照派」ですね。
あなたは、どのタイプですか?(笑)
それから、また悠久の時が流れました。
そして、ある時代に、日本の歴史に、とても重要な人物が登場したのです。
それが、「泰澄大師」だったのです。
重大な歴史の秘密、つまり、
「人祖は、イザナギとイザナミであり、38人の子供が、その子孫である」
これを知った「泰澄大師」は、当時の権力者たちに、わからないように、仏像の中に秘密を隠したそうです。
さらに、後に世に出た、「空海」は、密教として暗号のようにして伝えたそうです。
堂々と公にすれば、「神武派」に、命を狙われるおそれがあったからです。
ここでもう少し、「泰澄大師」の話をしておきますね。
「空海」は有名ですが、「泰澄大師」は、あまり知られていないようです。
私も、今回の旅で、初めて知りました。
北陸地方では、有名な方らしいですね。
調べてみました。
第二十五代の「武烈天皇」は、若くして天皇になったそうですが、皇后を娶る前に、崩御されたそうです。
それで、子供がいなかったので、
「次の天皇は、誰にしようか?」
と、当時の権力者たちが、会議をした時に、前回話したように、天皇を補佐するグループである、「丹生家・十八家」の一族だった、福井県の「越丹生家」から、「継体天皇」を迎えたそうです。
「継体天皇」は、その頃、一番の勢力だった、「神武派」のグループが、あまり好きではなかったらしく、「神武派」が幅を効かす都には、一度も行かなかったそうです。
日本人の始祖である、「イザナギ」と「イザナミ」、それから、「38人の子供」の子孫は、あれから、長い年月が経っても、やはり、ある程度の力は、持っていたようです。
天皇を迎える程の力のある「丹生家」が、北陸に存在していたということです。
「38人の子供」の痕跡は、「越前」には、たくさん残っています。
その最たるものが、前回紹介した、福井市の「三十八
これは、720万年前の歴史が、町名となって残っているという、凄い町なのです。
そして、この「三十八
神童と言われた大師は、14歳の時、夢のお告げで、「越知山」に登り、難行苦行の末、21歳の時、仏の教えを悟ったそうです。
実は、彼は、本当は、「越丹生家」の出身だったそうです。
しかし、その前の時代から、純粋な日本人の始祖になる、「丹生家」への弾圧が、「神武派」のグループから始まっていたので、「秦澄大師」は、自分の出身を隠していたと言われています。
表向きは、
「高句麗からの亡命帰化人の子」
ということになっていたそうです。
彼の名声は、都まで響き、西暦では、702年、「文武天皇」の時代、朝廷は、彼を、「鎮護国家法師」に任じたそうです。
その後、36歳の時、2人の弟子である、「臥(ふせり)行者」、それから、「浄定(きよさだ)行者」と共に、「霊峰白山」を開いたそうです。
白山で、修験道の修行を行い、白山の神を祀って、それまで、素朴な山岳信仰だった白山信仰に、仏教的な意味付けをしたようです。
それにも、隠れた意味があったそうですが、その後、仏教界、政界の有力者らと、密接な関係を持ち、白山信仰を、中央にまで広めたそうです。
奈良時代から白山信仰は、貴族の間で盛んになったようです。
722年、「元正天皇」の病気を、祈祷により平癒させたとして、「神融禅師」の号をもらったそうです。
737年には、全国に疱瘡が流行し、勅命により祈願を行い、疫病を終息させ、天皇から、大和尚位を授けられ「秦澄」の尊号を賜ったそうです。
以上が、この人物のプロフィールなのですが、ざっと読んだだけでも、何やら凄い人物だったことがわかりますね。
今回の旅では、どうしても、この人物が気になり、「泰澄大師」のお墓があるといわれているお寺を訪ねました。
場所は、福井県の鯖江駅から、車で30分くらいの所でした。
着きました。
場所は、福井県丹生郡越前町です。
やはり、「丹生」がつきますね。
「大谷寺(おおたんじ)」読むそうです。
これは、「丹」が、後に、「谷」になったそうです。
そいえば、沖縄県の地名にも、「読谷(よみたん)」や「北谷(ちゃたん)」がありますね。
これも、もともとは、「丹」の意味だったようです。
「大谷寺」は、宇宙考古学的には、
「星から来た丹の寺」
という意味ですね。
そして、「丹」の文字は、「エンキ(イザナギ)」のシンボルでもあります。
そうです。
「プロビデンスの目」の象形文字です。
気が付いていましたか?
お寺の案内が書かれていました。
入口の前には、蓮がありました。
いよいよ、門をくぐります。
猫ちゃんがいました。
拝殿で参拝しました。
参拝していると、住職さんの奥様が現れて、中に入れてくださり、いろいろなお話を聴かせてくださいました。
とても勉強になりました。
建物の中には、いろいろな仏像も置かれていました。
記念撮影しました。
真ん中が、「秦澄大師」で、両脇が、お弟子さんだそうです。
以前の記事にも書きましたが、大切なことなので、再度書きますね。
宇宙には、生命を創る元のエネルギーのようなものがあり、それは、「丹(に)」と呼ばれているそうです。
太陽で創られ、「植物」と「動物」と「人間」の三つの生命の元になっているそうです。
そして、宇宙空間にあり、目に見ない、「障壁賀」という、宇宙の子宮のような所があり、ここに、「生(しょう)」と呼ばれる別のエネルギーのようなものが、充満しているそうなのですが、ここで、二つが合体するそうです。
そして、「丹生(にしょう)」というエネルギーが、生まれるそうです。
このお寺の中には、なんと、上記の宇宙における、「植物」と「動物」と「人間」の三つの生命の元を表現している仏像が、置かれているのです。
本当は、実物が見たかったのですが、普段は、非公開だそうです。
頻度は、わかりませんが、定期的に、御開帳しているのだそうです。
その秘仏の写真が飾ってあったので、その写真を紹介しますね。
最初のものは、「十一面観世音菩薩」で、「太陽の真光」であり、「人間」を表現しているそうです。
そして、「人間」とは、具体的には、「人祖」である、「イザナギ」と「イザナミ」の二人のことなのだそうです。
次のものは、「聖観世音菩薩」で、「芒種のエネルギー」であり、「植物」を現しているそうです。
最後のものは、「阿弥陀如来」で、「丹」であり、「動物」を現しているそうです。
宇宙における、「人間」と「植物」と「動物」の生命の根源を、「泰澄大師」は、深く理解していたそうです。
そして、その深い意味を、当時の権力者たちに、気づかれないように、そっと、この秘仏たちの形の中に、紛れ込ませて、後世に伝えたようなのです。
凄いですね~!
お寺の裏庭のあたりに、「泰澄大師」のお墓があるというので、そこにも、行きました。
鳥居がありました。
ありました。
「泰澄大師」のお墓の前で、
「長い間、お疲れ様でした。現代では、私も、この真実の歴史を広げるためのお手伝いをさせていただきます。よろしくお願いします」
と言って、手を合わせました。
日本の古代史を探る旅は、最終日は、奈良県の吉野で、終了したのですが、吉野の地でも、いろいろな秘密が、私を待っていました。
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