神社の今の形を作ったと言われる帰化人、『秦氏』


養蚕を日本に持ち込み、日本のクニづくりに貢献したと言われる一族。


八幡神社と関係が深いとされているが、それを調べる前に、


まさか!


な所にたどり着いたポーン





秦氏の氏寺である『広隆寺』


私が仏像の中でも一番大好きな弥勒菩薩(実物には会えていませんが…)が有名ですが、なんと、


『牛祭り』なる謎のお祭りがあるとか!!!


怪しいお面をかぶった神様が牛に乗って…とありますね。

今はお供が、四天王と書かれていますが、昔は鬼の面をかぶっていた模様。


神様が牛に乗ってと言えば、東北の奇祭。


今では、スサノオが牛に乗って…になっていますが。

ここで、鬼は出てきませんが、東北は『なまはげ』で有名ですよね。




出雲との繋がりを指摘した東北の祭り。


しかし、ここで、秦氏が出てくるとは!滝汗






普通、祭りを行うのは神社であり、お寺でこのような祭りは珍しいとのこと。


そして、広隆寺は、聖徳太子を祀る。

聖徳太子と言えば、キリストを思いおこさせる、厩戸の皇子!!!!

秦氏が、その伝説を作ったのだとしたら、ユダヤの末裔という説を裏付けるではないか?

弥勒菩薩と言えば、56億7000万年後の『救世主』である。

弥勒菩薩とキリストを重ねていたとも思える!




わ~あせる

なんか、どんどん広がりを見せてきた!







さて、一旦落ち着いて、神社との繋がりを調べてみました。



秦氏は数万人とも言われる人たちが帰化したらしく、当時の天皇がそれを手助けしたらしい。


日本が学ぶことも多かったとみられる。


秦氏を厚遇したことから、当時の応神天皇が神として祀られて八幡神社が作られたとか…。




そして、また、この『応神天皇』が歴史の中ではかなりのクセモノ!!!



実在したかどうかが疑われている。



この時代、渡来人も秦氏だけではなく、かなり権力争いも激化していたとみられる…もやもや




謎が謎を呼び、すっかり迷子ですが、ヤミツキの私です。