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空と色、そして風の記憶

ALSのこと最近知りました。そして58歳でALS患者の仲間入りです。
これまでの人生を感謝し、今日を精一杯に生きて行こうと思います。
生きているということは、生かされていること、そう思う今日この頃です。

四ヶ月のご無沙汰です

パソコンの操作ができなくなり早4ヶ月になりました。

注文してあった「伝の心」がやっと届きました。

さて再開です・・・と思ったのですが疲れます。

頑張ります!

見なけりゃよかった 【 東映まんが 西遊記 

制作 : 1960

監督: 薮下泰司
手塚治虫



この映画の思い出は以前《風の記憶 [106] 夏休み夜は映画大会》で書いたが、改めて観てみると……やっぱりそこには時の流れの、どうしようもないギャプが存在しているようだ。正直言って見なければよかった。少年の、それもぼくが6歳の頃の美しい古き良き思い出として閉じ込めておいたほうが良かったのだ。

教訓 古き、美しき思い出はそのままに


2012/11/17 15:37



615]組織再編とバブル崩壊

1991(平成3)ぼくはいつのまにか37歳になっていた。この年、長男が小学校二年、長女が幼稚園、そして5月に次男が生まれることになる。ハートスタッフ社に入り足かけ3年になろうとしていた。ゼロからの出発であったがぼくの課は30人程に膨らんできた。そしてこの年会社全体の組織の再編が行われた。それまでハートスタッフ社は一般派遣がメインでぼくの課もそうした派遣の組織の一つだった。それを派遣部門とシステム部門の二つに大きく分離したのだ。このシステム部門をシステム本部とし、その下に第1システム部から第3システム部の三部門に分かれた。第1システム部はぼくの課がそのまま格上げされ、主にUNIXの開発部隊。そして第2システム部が前年入社した津山が組織したビジネスシステム部門、そして第3システム部が上杉部長が直接観ていたオペレータの部隊だった。人事はシステム本部長に上杉部長が昇格し、第1システム部と第2システム部の部長は山崎部長が両方を兼務し、それぞれぼくと津山が部長代理に昇格した。案の定ぼくと津山を競争させるのが明々白々で山崎部長は「ぼくはただの飾り部長だから、きみが実権と責任を持ちやりなさい」とこれだけで、課長時代とそんな変わらなかった。ただぼくは賺さず自分の部を二つの課に分けた。一つを開発課とし、もう一方をサービス&サポート課としてこの課の課長に武野君を昇格させた。


こんな再編で始まった年だったが、実はこの年、日本にとっても大変な年の幕開けになってしまったのだ。まず1月に湾岸戦争が勃発した。すると2月ぐらいから景気が雪崩のごとく悪化し始めた。いわゆるバブル崩壊である。これはすさまじかった。日本の国から80兆ぐらいの金が一瞬のうちに消え去ったのだから…天国から地獄へと真っ逆さまである。

日本国中、経済が火の海になってしまったのだ。とたんに仕事が無くなっていく。

ぼくは意を決して新規営業に徹することにした。大手ソフトウェア会社に片っ端から電話でアポをとり一日に回れるだけ回る。相手も暇なので会ってくれることは会ってくれるのだが、商談まで行かない。当然と言えば当然の話なのだ。今までの得意先のFC社やF社に行っても皆渋い顔しており、継続の案件の話しは皆無だった。そのうちぼくのような零細でも飛び込み営業が日に何回となく訪ねてくるようになった。

どうしたというのだろうか?本当に日本も暴動が起きるのではないかとも考えてしまった。

バブル時に不動産投資をしていた会社は悲惨だった。実はハートスタッフ社も例外ではなかったみたいだ。ただその頃のぼくには詳しいことは解らなかった。

正にぼくにとって1991年という年は湾岸戦争とバブル崩壊がセットになって記憶に残っているのだ。この年を境に日本は長い出口の見えないトンネルへと入っていくのだった。




2012/12/6 森の病院は何処へ

今回の入院は様々なことがあった。病院の新システムと病棟再編成による看護師の人事異動、それに伴う患者への対応が変わってしまった。正直看護師の30%が最悪。この最悪の中身については言わないが放っておくと大変なものです。

お陰で2週間ストレスとの戦いだった。治験へのモチベーションが急降下(>_<)

次は17日からか…………………………??

過去の森の病院は何処へ。

今観るとまるで古典 【 恐竜グワンジ (The Valley of Gwangi)


日本公開:19697

この映画、こんなに新しい映画だとは思わなかった。ぼくの記憶では小6あたりに観たものだとばかり思っていたのだ。それが何と高1の頃だったとは‥‥_(._.)_

友達と二人で東銀座の東劇に見に行ったことと、暗いスクーリンにグワンジのアップの顔ぐらいしか覚えていなかった。こうして改めて観てみると、いくらこの当時とはいえ、その特撮のチープなことに驚かされる。なにせぼくらはあのジュラシックパークがある意味原点になっているところがあるからだ。しかし、この映画をよく見るとジュラシックパークのエッセンスが全て盛り込まれていることにもまた事実なのだ。そうやって観てみるとやはりこちらが原点なのかもしれない。(^_^)/~

2012/11/17土




[614] バブル期の終焉

1990年平成2年 ぼくは埼玉に家を購入し、仕事もゼロからの出発ながら周囲の人達に支えられ何とかやれていた。しかし世の中は大変な時代へと流れていることに気がつかなかった。ぼくは200%仕事に傾けていた。この頃になるとぼくも自分の課がいかに会社の戦略に合致しているか、そして収益についても相当な神経を使っていた。ぼくには失う物はなかった。

そんな中またしてもぼくにとって面倒くさい事が起こった。明智専務の前職の知人の和歌山(20)という人物が入社してきたのだ。この人はぼくの直属の上司の山崎とも同じ会社だった。つまり明智専務と山崎部長と新しく入ってきた和歌山という人は前職が同じ会社だったのだ。その会社とは大手商社(21)で同じ組合員だったらしい。明智専務は課長にもなれなかったらしく、また和歌山という人は情報システム部の部長をしていた。山崎部長を含めて前職ではほぼ先が見えてしまった人々で、このハートスタッフ社でサラリーマン人生最後の仕上げを狙っている人々だった。と言っても山崎部長はちょっと変わっており、出世欲は無く自分の行動規範を全て白河社長に殉じていた。

和歌山は入るなり、「これからはUNIXだ!」と息巻きはじめた。ぼくは何て今頃トンチンカンなこと言っているのだろうと思っていた。ぼくがBS社時代UNIXを導入するために奔走していたことを考えると5年遅れの発言だったからだ。ただ日本のビジネスシーンに普及し始めたのがその頃だったので、また明智専務の知人ということもあり適当に合わせていた。この人はかなり独善的な人で、こんな人を上司に持っていた前職の部下達の心中が察せられた。現にたまたまこの人の元部下という人と話す機会があったが、かなり強い口調でボロクソに罵っていた。現実にこの人はハートスタッフ社を去るまでに会社の為になったことは無かった。それよりその独善家としてやりたい放題させたものだから、後年ぼくは彼の後始末をさせられることになってしまう。

この和歌山という人物のおかげで会社はトータル、相当な損害を被ったと思う。

ぼくはあまり人を憎んだり嫌ったりしないが、ぼくの人生の中でこの人は二度と会いたくない人の一人だ。思い出すだけで今でもむしずが走る。

この和歌山なる人物は後年、子会社化でそこの社長になるまで、ぼくのやることにいちいち言いがかりをつけたり、会議でも文句をつけ喧嘩を売っていた。実に大人げない人で迷惑ばかりかかさられた。この風の記憶の中でもこれから度々登場するかもしれない。


それにしてもこの年の年末不気味なことに出くわした。夜遅く家に帰る途中人気のすくなくなった駅のホームを歩いているとどこからともなく男の声が鳴り響いてきた。

「オーイ、オーイ、大変だぞー!来年は不景気が襲ってくるぞー」ホームを見回したが誰もいない。するとまた何処かで「大変だぞー!来年は不景気が襲ってくるぞー」と叫んでいる。どこかの酔っぱらいだと思い家路を急いだがまさか本当に翌年そうなるとはその時は思ってもいなかった。ぼくはお客の接待で体がくたくたになっていた。




2012/12/2 免許証と妻の言葉

昨日は妻が来てくれた。目を覚ますと妻の顔があった。

いつものように身の回りの細かいことを頼み、外を散歩。森の空気はもう冬だ。胸いっぱいに吸い込む。冷たい空気が体に染みわたる。しばらくして病棟に戻り頭を洗い髭を剃って貰う。かなりリフレッシュ!(^_^)v

何やら免許証の更新通知が来たらしい。もう更新は無理と言った瞬間に涙が溢れた。ぼくにとって免許証は特別だ。20代で普通1種と中型自動二輪。幻とかしたヤマハバイク。50歳で取得した大型二輪。56歳で取得したタクシー免許証。

体の一部を完全にもぎ取られる気分だ。

それからしばらく考え込んでしまった。女房がぽつり一言

「お父さん、心まで病んじゃだめ!」

その言葉にはっと目が覚めた。

冬はこれからが本番です。

45年前に既に現在を予測していたか? 【2001年宇宙の旅

2001: A Space Odyssey 


監督・脚本:スタンリー・キューブリック/アーサーCクラーク

日本公開:19684


実はこの映画、観るのが少々気が引けていた。何故なら当時《ロミオ&ジュリエット》との2本立てで上映され、あまりにもオリビアハッセーが中学生のぼくには魅力的だったので、あんな訳のわかんない映画なんてと記憶の彼方に消えていたのですが‥とはいっても歴史に残る名作ということで、取りあえず観てみることにしました。

そして驚いたことは《ロミオ&ジュリエット》より記憶に残っているということでした。(^_-)どうしてなんだろう?‥‥‥記憶の不思議なところですね。

45年前に2001年後を夢見た映画ですが…実際には10年以上過ぎた現在でも、あんな宇宙旅行は実現されていません。ただ宇宙食なんかは映画より良さそう。PANAM社製の宇宙旅客機で働いているキャビンアテンダントの衣裳が面白いすね。しかしなんと言ってもこの映画の主演はHAL9000というコンピュータです。lBMのアルファベットの上一文字を綴ってHALとしたのか、本当はlBM9000にしたかったんでしょうねー(*^_^*)ハードSFにしてはお茶目です。

ところろで映画ではこのHAL9000に支配されそうになるというストーリー展開ですが、一般的には2012年になった現在でもそこまで行ってないよ!この頃の人間って、本気でこんなこと考えていたのかなー?……なんて声が聞こえてきそうですが、ちょっと待って下さい。本当にそうでしょうか‥‥‥?!

確かに人工知能の分野は難攻不落のようですが、その他の分野でははっきり言ってこの時代の想像を遙かに超えているものが沢山あります。まあ、その件については割愛しますが、要はHAL9000のような人工知能はともかくも現代人我々はコンピュータに支配されているような気がしてなりません。携帯電話もその一例、電車内で乗客全員が携帯電話をいじっている光景はもう異常いや異様な光景と言わざるをえません。

ぼくがコンピュータに携わった1970年代はまだ個人が仕事にコンピュータを使う時代ではなかった。ワープロも無い、EXCELも無い、パソコン、携帯電話、ノートパソコンなんて未来の夢のツールだった!!本当の話です。m(_ _)m

ですから例えばある銀行では本店支店間のデータの移動に新幹線を使い人力でやっていました。今で言う携帯電話でランチの写真をコピペして「どう、このランチ美味しかったよ。来週一緒に行かない?」なんていうぐらいのデータ量ですよ。信じられない話しですが本当の話です。現にぼくはこのデータ移送システムを作った本人ですから。

つまり、現代社会はコンピュータに事実上支配されているかのようです。コンピュータとそれを動かす電気というエネルギー、‥‥現実です。コンピュータが作動しなかったら社会システムが破壊し、経済に甚大な影響を及ぼし、その結果人間が死に至ることさえも十分にあり得る話しなのです。特にあまり話題にならないのが生産性の話しです。昔と今では生産性がどれ程上がったのでしょうか…?いわずもがなです。考えるだけで気が遠くなります。ではいったいそれは何を意味するのでしょうか。つまりそれは、そのまま若年層の雇用減少を直撃してしまうのです。!つまり若者や未熟練者の仕事をみんなコンピュータがやってくれてしまうのです。昔なら新人の仕事を今はみんな自分でやってしまいます。果たしてこんな社会を僕たちは目指してきたのでしょうか? コンピュータにより便利になった社会‥‥でもその裏で職にあふれた人々が、または低所得層が生きていることも事実です。

「しょうがないなー最近の若いやつは! 算数の計算もろくにできないのか!」と新人の作った資料を見てぼやいていた課長の姿を今は見ることはできません。

この映画には昔のSF映画と馬鹿にしてはいられないものが隠されているようで、チョッピリ怖くなるのでした。



[613] はじめての海外(2

・メキシコへちょっと散歩

1週間のうち一日だけ自由日があったので、ツアーメンバーでメキシコに行ってみようということになった。気のあった5~6人で出かけた。サンディエゴ市街からタクシーに乗り国境まで30分程度だったか?ルート○号線を走ってゆく。途中並走トラックの運転手と冗談のジェスチャーで遊びながら走った。国境に着きパスポートを見せメキシコ側に入ると様相は一変する。赤茶けた土地に如何にもばい菌が居そうな汚い川がながれ、汚い橋が架かっておりアメリカ側から入ってきた者はこの橋を渡ってメキシコのティファナという街に入る。このティファナという所は美人で有名な所で、所謂ティファナ美人と言われている。ぼくもそれは知っていたので早くティファナ美人に会ってみたかったのだが、その前に5~6歳の子供たちが空き缶を持って観光客めがけて一斉に集まってくるのだ。そして口々に「マニー、マニー」と言って観光客に空き缶を差し出し、お金をせがむのだ。メンバーの一人がお金をあげてはいけないよと皆に言った。ぼくはこの落差にショックを覚えた。国境をひとつ越えただけでこうも違うものかと…貧乏な国の実態を垣間見た気がした。戦後の日本も同じだったのだろう。

さて、そんなカルチャーショックを味わいながら僕たち一行はティファナの街に入っていった。土産物屋が並んだ町並みを歩くと各店の人がしきりに観光客に日本語で声をかけてくるのだ。その呼び声は物を売るというよりただ覚えている日本語を連発するだけのもので、「タナカカクエイ!」とか「トウキヨウ」とかを髭を蓄えたメキシカンが笑顔で話しかけるのだ。僕たちも笑顔で応える。

ぼくたちは、あるレストランで食事をしてコロナビールを飲んだ。それから近くのテキーラの専門店でテキーラを物色した。瓶の中に芋虫みたいのが入っているテキーラがあったのを覚えている。

その日の帰りは国境にある駅から鉄道で帰った。駅のホームで地元のおばちゃんと片言でお喋りをしたのが楽しかった。はじめて海外へきた実感が持てた一日だった。


・最終日のカルチャーショック

さて夢のような1週間もあっという間に過ぎ、シンポジウムも最終日を迎えた。ぼくは『グループウエア』のブースに出席した。何やらこれからはグループウエアなるものが出てくるということを真剣に議論していた。実はそれから数年後に本当にグループウエアが一世風靡したことを考えると、やはりアメリカという国は日本より10年は進んでいることを思い知らされた。また最後の質疑応答に入ると聴講者の70%程が一斉に手を上げる。チェァマンが困っていた。そして

長い質疑応答タイムが終わるとチェァマンが大声で皆に向かって言った。

「みなさーん、お疲れさま、1週間もあっという間に過ぎました。今日は最終日です。後は今夜のパーティーだけです。さあー皆さんタキシードに着替えましょー!」すると会場から一斉に歓声が沸き起こった。ぼくは何があったんだろうと思っていた。

その最終日のパーティーは夕食込みでホテルの大ホールで行われる。我々日本人も一応ネクタイ着用を求められ、定刻にホールに出かけた。外はまだ明るくホールへと続く道の両脇のパームツリーが風に揺れていた。そしてホールについたぼくはそこで大きなカルチャーショックを味わうのだった。

まず、あの時チェァマンが言っていたとうり、男は全員タキシード、女性は全員ナイトドレスなのだ。さっきまでTシャツGパン姿の男女が何てことだろう!しかもホール車寄せにリムジンで乗り付けてくるのだ。何という騒ぎかたなのだろうか。皆キャーキャー言っている。話しによると男も女もこのパーティーのために貸衣装らしい。彼らはパーティーという場を社交場として捉えている。気負ってもいないし、実にフランクで自然だ。

その夜はとにかく派手に演出されており、アカデミー賞授与式のパロデーで進行した。

様々な賞が用意されており、それぞれプレゼンターが受賞者いや受賞社を呼びあげる方式、呼び上げられるとそこの会社のテーブルが盛りあがり、大音量の音楽と共にステージに呼ばれる。そしてトロフィーやらの賞をプレゼンターから授かる。そのプレゼンターが若き日のビルゲイツやスティーブジョブズなのだ。


最終日のパーティーでぼくは日米のカルチャーの違いを嫌と言うほど味わされた。

彼らの動的な感性、仕事・勉強・遊び、全てに対する集中力、これには参った。

こうしてぼくの初めての海外は幕を閉じた。

それにしてもサンディエゴは未だにぼくの中では夢のカルフォルニアなのだ。



2012/11/24 修行の合間にて

今日は久しぶりに妻が病院に来てくれた。

家から遠いので電車とバスを乗り継いで来たのだ。(^_^)v

正直とても嬉しかった。通常修行の身ではあるが、何か甘えるだけ甘えた。

頭を洗ってもらい、外への散歩。売店での買い物。……等々

冷たい空気が紅葉に染められた森の木々、そしてもう冬の空と一緒に体にしみ込んでいく。思い切り深呼吸! 

修行の合間の一時の幸せ‥‥ありがとう。(^_^)