[619]佐伯ひとみの退社
バブル崩壊後の不況も手伝い、ぼくは仕事の確保に全力を尽くした。山崎部長がいつしか居酒屋で言った言葉どうり一生懸命やっていれば誰かが見ていてくれる。そのとうり仕事はほぼ埋まっていた。しかし社員を守るといったことが逆目にでることもある。
その頃になると最初のプロジェクトも収束し、その実績を評価され同じ客の『宇都宮工場』のシステムに着手していた。殆ど同じシステムで横展開プロジェクトとよんでいた。
このプロジェクトマネージャーには佐伯ひとみを抜擢して以下数名を配置した。プロジェクト工程も終盤にさしかかる頃、ある事件が起きた。佐伯の元で働いていた水口というものが突然出社しなくなったのだ。終盤ということなので当然宇都宮で作業していた。佐伯から一報を受けぼくは急いで宇都宮に飛んだ。そして佐伯に会い事情を聞いたがそこで意外な話しがでてきた。つまり佐伯が退社したいと言い出したのだ。ぼくは愕然とした。
佐伯は出社拒否していた水口のことは、ある程度問題にはしていたがそんなに気にはしておらず、むしろ水口の作業分も佐伯がやってしまっていた。だから工程は遅れていないという。そして一通り話し終えると言った。
「ところで、実は折り入ってお話があります」と、やや声を落としながら話し出した。
佐伯の言うところに寄ると、佐伯はある原因不明の病気に掛かっており、その治療に専念したいとのことだった。話しを聞き終えぼくは相当ショックでしばし彼女を見られなかった。
それから2ヶ月程してプロジェクトも無事終了したが、佐伯は会社に来なくなった。
そしてある日彼女から会社に電話が掛かってきた。病院に入院するという。正式に退職をお願いしたいと電話の向こうで泣いていた。そして彼女の父親に変わった。ぼくは少し慌てて彼女の様態を心配したが父親からは申し訳ないと詫びている。本人は仕事を続けたがっているがと父親として当然の弁解をしていた。何でも彼女の母親と同じ病気らしいのだ。ただ母親は彼女が小学校の時にその病気が元で亡くなってしまったらしい。
この件以来ぼくはこのハートスタッフ社入社以来初めて寂寥感を感じていた。丸三年が過ぎようとしていた。ぼくの部はゼロから始まり30人を超えていた。その部のスターティングメンバーであり、実質ぼくの右腕であった佐伯の退職は組織としてもダメージだった。
前年に中途採用したBS社時代の谷本は津本部長の片腕の井口との共同プロジェクトにぼくの部から参加していたがぼくが期待していたリーダーシップは発揮せずにいた。
その年の秋にぼくは部長代理から部長に昇格した。
正直、ぼくは嬉しくはなかった。それより組織だけしっかりしているように見えるが砂上の楼閣にならないようにどうするのか、それがその頃のぼくの一番の悩みだった。