もう1年半位外食していない気がします。 いや、完全に1年半くらい、外食していません。 当然、いままで2か月に1回位日本に帰国していたのですが、それも無し。 という事で、食べ物ネタがゼロなのです。
日本に帰国出来なくて、もうすぐ2年になります。 日本は実質鎖国状態ですね。 期待していたビジネスでの3日間の待機も、現実はかなりシビアに管理されないとだめらしいので12月の帰国は延期しました。 2020年1月に帰国したのが最後で、2020年3月以降は、外食をしていません。 (1回だけ、ハンバーガーショップの外で食べましたが)
2016年3月17日
今回の日本帰国中、2月27日がメイの結婚式だったので、その前日より下関に行ってきました。 メイの母(私の姉)が結婚式の前日は春帆楼でフグをご馳走意してくれると言うので楽しみにしていました。
春帆楼のお座敷。
関門海峡が望める絶景のお部屋でした。
下関ではふぐとは言わずふくと言うそうすが、正にふく尽くしですね!
先ずは、ビールで乾杯です。 私の前の席が翌日結婚するメイです。 メイはおかあさんに似てお酒が強いのです!
ふく薄造り。 細っそい葱を数本乗せてふくを3-4枚巻いて、ポン酢で食べます。 春帆楼のポン酢と紅葉おろしは絶品です。 このお皿で3人前。
ふく真丈。
ビールからお酒にチェンジ。
ふく唐揚げ。 骨付きで骨の周りのコラーゲンタップリです。
ふく白子焼き。 昆布に包んで焼いてあります。 ふくの白子自体が素晴らしく美味しいのですが、包んである昆布がまた美味しい! (昆布は食べないそうですが)
ふくひれ酒にチェンジ! メイは、翌日結婚式なのにガンガン呑んでいます。
ふくちり鍋。 鍋は1個で部屋の端で全員分を作っていました。
ふくチリ鍋の残りで雑炊。
デザート。
憧れの下関、春帆楼本店でふくコースを頂いて大満足でした。 これで、いつ死んでも悔いはありません。
(途中、飲み過ぎて写真の撮り忘れもあります。)
春帆楼 下関本店(しゅんぱんろう)
http://tabelog.com/yamaguchi/A3502/A350201/35000585/
ふぐ解禁、ふぐ料理公許第一号店
明治20年(1887)の暮れ、当時初代内閣総理大臣を務めていた伊藤博文公が春帆楼に宿泊した折、海は大時化でまったく漁がなく、困り果てたみちは打ち首覚悟で禁制だったふぐを御膳に出しました。
豊臣秀吉以来の河豚禁食令は当時まで引き継がれ、ふぐ中毒が増加するなか、法律にも「河豚食ふ者は拘置科料に処す」と定められていました。しかし禁令は表向きで、下関の庶民は昔からふぐを食していました。
若き日、高杉晋作らと食べてその味を知っていた伊藤公は、初めてのような顔をして「こりゃあ美味い」と賞賛。翌明治21年(1888)には、当時の山口県令(知事)原保太郎に命じて禁を解かせ、春帆楼はふぐ料理公許第一号として広く知られるようになりました。