2019 Planes of Fame 航空博物館 16 | tom2のブログ

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Planes of Fame 航空博物館 エアーショー 2019 5月
 
 
結局、エアーショー当日は、都合が付かず、飛行シーンの写真は無しとなりました。  残念です。
 
 
写真の下の解説はウィキペディアよりコピペです。
 
 
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ハインケル He 162(Heinkel He 162)は第二次世界大戦末期にナチス・ドイツハインケル社で開発製造された単発単座ジェット戦闘機。
 
 
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愛称は「フォルクスイェーガー(Volksjäger)」。ドイツ語で「国民戦闘機」を意味し、これはドイツ航空省(RLM)により同機に付けられた制式名称である。この名称は一般市民による製造と搭乗をも想定した戦闘機開発計画から同機が生まれたことにちなむ(同様の用語に国民突撃隊がある)。また、同機は開発計画の中では「ザラマンダー(Salamander、火トカゲ(サラマンダー)の意)」のコードネームで呼ばれ、さらにハインケルからは「シュパッツ(Spatz、スズメの意)」とも呼ばれた。
 
 
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初期のジェット戦闘機の中では最も速く飛ぶことができ、戦局の悪化からアルミニウム不足をきたしたため、機体合板で代用できる部分は代用したこと、外見的には単発ジェットエンジンを背負式に装着していることが主な特徴である。
 
 
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設計案が採用されればそれを大量生産する権利を得られるため、当時のドイツ国内の航空機メーカーはこの開発計画に一様に興味を示した。そんな中で最終的に選ばれたのがハインケル社の提出した戦闘機案であった。
 
 
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同社では仕様が発表される前から既に社内プロジェクトP.1073として軽ジェット戦闘機の開発を進めており、基本設計は完了してテストモデルの製作や風洞実験も行われていたのである。他社の提出した案にはハインケルの案に比べて優れているところがあったものの、各種テストと課題解決が進展していたハインケル案には大きく分があり、設計案提出の3週間後にはそれが当然のごとく採用される運びとなった[3]。連合軍の情報を撹乱する目的で、航空省はその設計に8-162という番号をつけた。
 
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これはメッサーシュミット社が以前に開発していたBf 162で使用された番号であり、本来ならばHe 500という型番になるところであった。
 
 
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ハインケルの設計案は、小型で流線型の胴体にBMW 003が背負われるかたちで装着されているのが特徴で、垂直尾翼はジェットエンジンからの排気を避けるために2枚に分かれており、主翼は緩い上反角を持っていた。コックピットには射出座席を装備し、前車輪を持つ三車輪降着装置を採用していた。機体製作は驚くべき速さで進められ、合板用の接着剤を作っていた工場が爆撃されたにも関わらず、設計案が採択された9月25日から約2ヶ月後に当たる12月6日には試作機の初飛行が行われた。
 
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12月6日、試作機He162 V1の初飛行は特に致命的な問題なく行われたものの、840km/hの高速度で飛行した時に接着液が大気の断熱圧縮による熱で溶け出して前脚のカバーを固着させ、やむなく強行着陸するというトラブルがあった。また、ピッチ方向の安定性が悪い上に横滑りするという問題も出た。しかし時間的余裕がなかったため、優先度が低いと考えられたこれらの問題の解決は特に図られることがなかったのである。そしてナチスの幹部が見守る中で行われた12月10日の2回目の飛行ではこの急ぎすぎた対処が裏目に出てしまった。その飛行の際、接着剤の不良で今度はエルロンが固着後剥離し、それが運悪く回復不能な下降機動と横転を招いたためにパイロットの脱出を許さないまま墜落してしまう。
 
 
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強度や接着剤に問題があることが調査の結果分かったが、やはりスケジュール的にそれらを改修する余裕がなく、結局それまでの設計でテストが続けられることになった。そのような経緯もあって12月22日から行われた試作2号機のテストでは速度が500km/hまでに制限された。テストを続ける内に1号機では見過ごされた安定性の問題が実は深刻であったことがわかり、ダッチロールに陥る傾向さえあったのである。ダッチロールについては上反角を緩くすることで対処可能であったが、数週間の内に生産に入るためには設計を見直している時間はなかった。結局、機首にバラストを仕込み重心を前方に移動させてピッチ方向の安定性を良くしたり、尾翼面積をわずかに増加させて全体的な安定性を高めたりするといった後付け的な改修を行うことしかできなかったのであった。
 
 
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1945年1月16日には、翼の強度を高めた2機の先行量産型が初飛行を行った。この派生型では主翼端に下向きのアルミニウム製小翼を取り付けて、ダッチロールを引き起こす上反角効果の相殺を狙った。この2機はHe 162A-1と呼ばれる対爆撃機タイプで30mm口径のMK 108機関砲を2丁装備していたが、その反動が大きすぎて扱いが困難であった。そこで20mm口径のMG 151/20機関砲を2丁装備したA-2が本格量産されることとなった。その一方で各部を再設計して強度増大を計ったA-3型の開発も同時に進められていた。
様々な小改修の結果、当初の2,000kgという予定重量には収まりきれず最終的に2800kgになってしまったが、それでも当時のジェット機としては高速度を誇り、海面高度で890km/h、6,000mでは905km/hもの速度を記録した。