母の一周忌 | ☆SATOEMA萬画倶楽部☆

母の一周忌

昨年の4月8日

 

認知症を患っていた母が亡くなりました。

 

 

ここ数日、なぜか朝6時頃に目覚めてしまい

 

起きるでもなく寝るでもなく布団の中ですごし

 

忘れていた母との思い出の記憶が甦りました。

 

 

サトルが3歳くらいの頃

 

それは、雨の日でした。

 

母が姉を小学校に送りに行き

 

サトルは家で一人ぼっちになりました。

 

急に寂しさがこみ上げ

 

母の大きなサンダルを履き

 

雨の中、一人で外へ飛び出しました。

 

当時は信号も整備されておらず

 

交通量の多い大きな道路を一人で渡り

 

偶然、母と出会い帰ってきた記憶があります。

 

あとで母から、「会えなかったと思ったらゾッとした。」と言われ

 

とても怒られました。

 

あの時、母と会えなかったら

 

サトルはどうなっていたのでしょうね?

 

 

きっと、そんな奇跡の繰り返しが積み重なり

 

今もこうして元気で過ごせると思うと

 

家族のありがたみが身に染みます。

 

 

専業主婦で、一見、平凡で幸せそうにみえた母でしたが

 

それは見栄っ張りの嘘で固められたものでした。

 

旦那は浮気をし、借金を残して失踪しました。

 

競売で家も失いました。

 

 

夜逃げさせたトラックの中で泣いている母を見て

 

「家なんかまた建ててやる!」と約束しました。

 

 

母は「掃除のおばさん」となり

 

50代の人生を自力で働いて生きていました。

 

母が定年退職の時にようやく家を建てることが出来

 

母を迎えることが出来ました。

 

「こんな夢のような出来事があったんだね。」と

 

母が喜んでる顔を見て

 

ようやく親孝行できたのかなと思いました。

 

 

サトルには、とても厳しい母でした。

 

他人の前でサトルを褒めることはなく

 

何でも一番にならない限り、サトルを褒めることはありませんでした。

 

当時は、そんな母が嫌いでした。

 

だけど、今振り返ると、「一番を目指す気持ち」を常に持っていたからこそ

 

現在の自分の地位があるんだと思うと感謝の言葉しかありません。

 

 

 

そんな母が認知症となり壊れていく姿を見るのは辛かったです。

 

まだ、してあげたいことがたくさんあったのに・・・

 

「その時」が、こんなに早く来るとは思いませんでした。

 

 

 

母が亡くなる直前までは

 

我が家は、家庭崩壊するのではないかと思うくらい

 

色々な出来事が起きていました。

 

日常に介護がつきまとい、自由にならない日々に加え

 

町内会の常会長までまわってきて

 

娘は急に結婚すると言いだし

 

このまま、自分がどこかに消えたらどんなに楽なんだろうと思ったり

 

自分の不甲斐なさに床を叩いて泣き叫んだり

 

精神状態が不安定に陥りました。

 

 

 

4月8日という日は忘れない。

 

48=幸せな日だからです。

 

不謹慎なことかもしれませんが

 

今振り返ると・・・

 

その日、みんなが幸せになったんだと思いました。

 

母は辛い病気から解放され

 

我が家は介護から解放され

 

娘は年内に結婚式を挙げることができました。

 

 

 

家庭崩壊の不安に駆られた1年前・・・

 

今はとても平穏で幸せな日々を過ごしています。

 

町内会の常会長の仕事も嫁とタッグを組んで無事に終え

 

娘はなんだかんだで毎週帰ってきます。

 

サトルは、母の別宅をマンガ館に改造し趣味に没頭しています。

 

嫁も子育てを終えて自由になり

 

好きなアーティストのLIVEを見に全国へ出かけています。

 

この幸せは、母が最後にくれたプレゼントだと思っています。

 

 

 

日常の大切さ

 

家族の大切さ

 

それを忘れかけていた我が家に

 

母が取り戻してくれたのではないかと思っています。

 

 

 

今になってようやく

 

母の人生を想うことができます。

 

福島県の田舎で育ち

 

小学生の頃から好きな人がいて

 

今は、地元で有名なコケシ職人になっています。

 

福島のダンスパーティーで出会った人と結婚し

 

長女を産み東京に転勤となり

 

その東京でサトルを産み、名古屋に転勤してきました。

 

サトルが小学3年くらいの時から旦那の浮気が始まり

 

家庭がどんどん崩壊していきました。

 

ある日のこと、母が嬉しそうにトンカツをあげてサトルに言いました。

 

「パパとママは仲直りしたから、今日はみんなでトンカツを食べましょう。」

 

だけど、いつまで経っても父親は帰ってこず

 

その日を境に更に家庭は崩壊していきました。

 

父親は子供に嫌われ、子育ても放棄し

 

母は子育てのプレッシャーもあったんだと思います。

 

姉は高校を出ると、進路について母とケンカし、家出をし

 

サトルも就職して家を出ました。

 

それでも父親は浮気を辞めず借金を増やすばかり

 

母は、さぞ不安だったんだと思います。

 

それでも頑張れたのは

 

初恋の人だったコケシ職人のおじさんと交流があったり

 

文通友達がいたからかなと思います。

 

 

 

晩年は、我が家にも娘が産まれ

 

同じ年に偶然、家出した姉も娘を産んで

 

お正月と夏休みには、姉と娘も帰省し

 

二人の孫と過ごした日々は幸せだったと思います。

 

そう思うと、最後は幸せに逝ったのかなと思います。

 

それでも、認知症になってしまったのは

 

忘れたい現実があったのかなと想像しますし

 

人は永遠ではないということも思い知らされました。

 

 

母が亡くなる1年前に、母は旦那の死を知りました。

 

亡くなってから2ヶ月後に税金の滞納で知りました。

 

おそらく、葬儀などは浮気相手の女性が執り行ったのでしょう。

 

認知症の母に伝えても理解できなかったのか?涙も流しませんでした。

 

それが、母が亡くなる直前に旦那の死を思いだし

 

急に泣き出したのは印象的でした。

 

やっぱり、お互いに好きだから結婚し、

 

自分も産まれたんだなと痛感しました。

 

そう思うと、サトルのずっと抱えていた

 

父親への憎しみも消えました。

 

 

 

お金もほとんど残さず、相続で揉めることもなく

 

1年前は、ひっそりと家族葬を行いました。

 

お墓も、家族で樹木葬を購入し4人入れるようにしました。

 

1周忌もちょうどお彼岸のタイミングなので

 

そこで合同で執り行いました。

 

お金はかけずに気持ちで行えってことを母は思って

 

お金は残さなかったのかもしれませんね。

 

 

 

4月8日は、母の命日であるとともに

 

「家族の幸せの日」だと思っています。

 

サトルのような崩壊した家庭は辛いです。

 

今は何とも思いませんが、子供の頃はかなりこたえました。

 

やはり、家族は幸せが一番。

 

でも、家族の幸せなカタチはそれぞれあると思います。

 

離れていても心の底で繋がっていられる関係であれば

 

誰かが天国に行っても、きっと繋がっていられると思います。

 

そんな家族でいたいものですね。