ボクのヰタ・セクスアリス | ☆SATOEMA萬画倶楽部☆

ボクのヰタ・セクスアリス

 

「オトノナな石ノ森」という単行本があります!

 

 

こちらが、なかなか面白くて、今、読んでるのですが

 

ちょうど、「囚われたヒロイン」を描いていたら

 

SMの話になったので、この作品をご紹介しましょう!!

 

 

「ボクのヰタ・セクスアリス」

 

 

SEXというか、人間の心・本能などについて

 

真剣に考えられたマンガだと思います。

 

 

「チャタレー夫人の恋人」などを書いた小説家デーヴィッド・ハーバート・ローレンスの

 

言葉などを冒頭に使いながら、石森流のアプローチが始まります。

 

 

主人公は、少年の頃の石森先生の分身ですね。

 

 

先生は、昔アシスタントだったイノウエという男と再会します。

 

彼が、マンガの世界からいなくなったのは

 

「読者からの投書だけが人気のバロメータという

単純極まりない作品評価

 

それによって作品が完結していようがいまいが

無慈悲に連載を中止するやり方

 

作家も読者も作品の表面的な部分でしか理解しえない薄っぺらさ

 

あの世界にはホンモノは何一つない」

 

このような理由があったのですね。

 

 

そして・・・

 

サディズムについて、こう言います。

 

「企業の利益追求は、公害という残酷さになっていますし

 

サラリーマンたちの昇進争い

 

アイドルたちのスターの座の奪い合い

 

週刊誌の暴露記事

 

女優を痛めつけるためのでっち上げ記事・・・」

 

すべてが、人間の本能であり・・・サディズムだと。

 

 

人が人を攻撃し

 

人が人が殺し

 

人が人を陥れる

 

それは悪いことであると知りながら

 

なぜ、なくならないのか?

 

それは、人間の本能だから。

 

人は良いことは教えられても守らないが

 

悪いことは、誰も教えなくても、すぐに覚える。

 

 

物事の本質を見ずに、表面だけを見て判断するから

 

人は、薄っぺらな判断をし、あとで後悔する。

 

人は、自分の中にある悪=本能を認めない。

 

人間は、正義という薄皮を被った、悪=本能の塊だということを自覚しなければならない。

 

それを見て見ぬふりをして、偽善に生きるからこそ、間違えるのだ!!

 

 

 

イノウエは

 

どの世界にいても、SMは起きているのだと言う。

 

そして、現代社会を虚無の世界だという。

 

虚無の世界で生きていくよりは

 

人間の本能にしたがった生き方のほうが楽だと考えたのだ。

 

 

人は、自分勝手でわがままな生き物だ。

 

そして、生きてるものすべては「自己愛」により生きている。

 

キレイごとなんて存在しない。

 

 

自己犠牲すら自己愛の変形であり

 

ギリシア神話のナルキッソスは、自己愛で死んだ。

 

世の中は、自己愛は我がままだと否定し

 

自己犠牲を、最も美しく、正義であると教える。

 

 

たしかに、それらは、すべて正しくもあるが

 

人の本能とは矛盾している。

 

最後は、三島由紀夫の自殺シーンで終わるのですが・・・。

 

 

色々と考えさせられる作品でした。

 

世の中のものすべてに答えなんかないんですよね。

 

それでも、何が答えかを考える過程が大事なんだと思います。

 

世の中、「善」・「悪」の二元論で、単純に表現されていますが

 

その裏には、その人間が生まれてから現在に至るまでの

 

様々なシチュエーションがあって

 

その結果、「善」「悪」が逆転することだってあり得ます。

 

なので、私は、ネットニュースなどを見て

 

良い・悪いは、簡単に言わないように心がけています。

 

なんか、とても、薄っぺらなことを言ってる自分が嫌になるんですよね・・・。

 

 

でわでわ!!