みなさんこんにちは!昨日の練馬区の雷雨は凄かったです。ほぼ数秒おきの落雷でピカピカと光る夕食時でした。幸い帰宅時間には雷雨になって居なかったので、ビショビショに濡れなくて済みました。さて、本文のお話に戻りましょう。関東大学リーグ戦グループの台湾遠征で、台湾代表を破って凱旋帰国した直後、法政大学体育会ラグビー部に激震が走りました。お楽しみ下さい!
【法政大学ラグビー部に激震】
約 1 週間の台湾遠征から帰国すると、法政大学ラグビー部に激震が走った。
3 月末に行われた、OB 総会において大学選手権出場を、リーグ戦を制しながらも、二年連続で帝京に破れて逃した責任を問われ、石井監督が更迭されてしまったのである。バック
スとして石井監督に鍛えられてきた私は、急に訪れた師の退陣に大きな衝撃を受けた。
変わって監督に就任したのが、早法時代の立役者の一人で、全日本の CTB、桜とシダの会メンバーの島崎文治先輩だった。島崎さんは、マツダ OB で、当時 40 才。まだ引退して数年しか経ってない、バリバリのラガーである。
島崎監督は、まず我々に説いたのは、勉学と部活の両立。今までの慣習だと留年した選手は、公式戦初出場から四年未満だったら、五年生、六年生でも出場させる場合もあったが、この年から一切の留年選手の出場をやめた。
また、石井監督とは違い、サラリーマン監督のため、仕事の関係で練習に来られない場合もあると言うことで、自主性を重んじた部の活動を推奨した。スパルタから、自主性へ。
法政大学は大きな変革期を迎えたのだ。
【島崎新体制】
島崎新体制でスタートを切った、法政大学は豊富なコーチ陣を迎えスタートした。
島崎監督の後輩にあたる、武村秀夫バックスコーチ(早法時代のFB・四谷笹寺住職・1992 年法政大学監督)、中村コーチ(明治生命)など、バックス出身のコーチが多かった。
コーチは多いのだが、皆さん昼間自分の仕事を持っている。島崎監督は、会社から特別な許可をもらって、早めに退社して、仕事の都合がつけば、5時からの練習に間に合うように出てきてくれていたが、出席率は100%ではなかった。そういう場合は、他のコーチ陣が必ず出てくるような体制が連携されて取られていた。
島崎監督は、良くアタック・デフェンスの練習に自ら参加するなど、積極的に体を使って技術を教えるタイプのコーチングをしてくれていたが、さすが元ジャパン。島崎監督のハンドリングは超一流だった。なにより、手の大きさが身長の割りに大きく、ラグビーボールを片手で持っても自由に扱える。ダミーパスなど、完全にボールが手から離れたと思ったのに、まだ持っていたとか、とにかく手にボールが吸い付いたような扱いが出来る。後は、法政伝統のハリーパス。目にも留まらぬ早さでパスを回す。我々は眼を見張ったものだ。そんな良い手本を目の前にして、我々バック陣も更なる技術向上を目指していった。
5年目の選手は退部するという、部の新方針に従って、前年度キャプテンの早坂さん、時崎さんの両CTBは引退となり、新しいセンター陣を構築する必要があった。
島崎監督から、リーグ戦グループ代表でセンターを勤めた私に、今年度はセンターにもう一度戻って欲しいと言い渡されて、約1年半ぶりにセンタープレーヤー専門に戻ることになった。バックスの立ち位置から、変則的なフォーメーションなどを、島崎さん独特の理
論に基づいて叩き込まれ、自主性を重んじた、法政ラグビーがスタートした。
↓↓↓↓ 応援クリックをお願いいたします!青いリンクをクリックして下さい! 定期的な読者の皆さん、ラグビー好きな方に、本連載を是非紹介してもらえればと思います! 今後ともご愛読よろしくお願いいたします!
https://blog.with2.net/link/?1969265 人気ブログランキング 『ラグビー』
つづく!