去年書いた記事の続きなんですが

 

長野のレタス農家から帰った後も

仕事は決まらず、

 

気持ちはどんどん落ち込むし

お金はなくなっていくし

突破口が見いだせない中、

 

バイトニュース(雑誌)で見た

「お刺身の盛り付け」バイトに応募しました。

 

1993年の年末でした。

 

普段のパートさんがお正月休みを取るので

その代わりの「短期バイト」だったと思います。

 

大根のツマが

大袋に大量に入っているんです。

(30年前の話)

 

お刺身は大切なものなので

パートのおばちゃんが担当して

私たち短期バイトは

大根ツマと大葉だけを触ることができました。
 

ひたすら、

大根ツマを「の」の字に置いていき

その上に大葉を添えていく。

 

一週間とはいえ

深夜のバイト。

夜11時から朝5時まで

昼夜逆転の生活を耐えます。

 

大みそかも変わらず

真夜中に大阪南港に出勤して

1月1日の朝の始発で帰る。

 

家に帰ってTVをつけると

「明けましておめでとうございます」ってやってて

それをぼんやり眺めながら寝る。

 

・・・

 

一人暮らしで

無職の期間が長くなると

気持ちもどんどん暗くなって

ヤバい。

 

29歳だったけど

こんな状態じゃ結婚はおろか彼氏もできない

恋愛するような精神状態じゃない

なんとか就職しなきゃと思って

就職情報誌を毎週見て、

これ面白いかも?って応募したある会社。

 

東広島市まで面接に行きました。

 

そこで社長にもお会いしました。

 

なぜかその社長に気に入ってもらえて

 

(たぶん私の学歴を見て、国立大卒の子が来てくれた!って喜んでくださったようなんですが)

 

私はあの時

社長に拾ってもらえなかったら

どうなっていたかわかりません。おねがい

 

正社員にしていただけて

本当にありがとうございました。

 

 

 

 

入社が決まってからは

近畿圏のSHOPに出て

打って変わっての忙しい毎日でしたが

やっと普通の人並みの生活に戻れたのです。

 

それに100円ショップは私に合っていました。

もともと接客は好きだったし

同年代の同僚も多かったし、

初期の「ショップ展開」事業に関われて良かったです。

 

 

 

一年後、東広島に研修に行った時も

社長に優しいお言葉をかけていただき、

ありがとうございました。

 

奥様(副社長)からいただいたお言葉も

心に残っています。

 

大創産業の正社員は2年で辞めてしまったんだけど、

川崎時代でもパートで働くことができて、

全く知らない関東圏でパート仲間もでき

その後もお世話になりました。

 

一時期のご縁ではあったのですが

あれがなかったら、と思うと

不思議な

私にとって大きな転機でした。

 

矢野社長、

ありがとうございました。

ご冥福をお祈りいたします。