これは一人の朝鮮人(1899年生まれ)の自伝的小説です。

『鴨緑江は流れる』 압록강은 흐른다

この本が韓国で有名なのは、ドイツのベストセラー本だからです。(1946年ドイツ語で出版)
54年にイギリス、56年にアメリカで翻訳出版。

著者は이 미륵 (李弥勒)さん。
日本語版はドイツ語からの翻訳で平井敏明さん訳(2010年)です。


内容に何年という記述はありませんが、著者がほぼ1900年生まれなので、

朝鮮時代末期(大韓帝国)の状況~日帝時代を、李弥勒さんの体験を通して垣間見ることができます。

朝鮮末期は酷かったと俗に聞きますが、著者が当時子供だったからか

幼い頃の記述はもっぱら牧歌的でのどかな風景です。 

裕福な両班(貴族)の息子だったようで、友達と野山を遊び回ったり、悪さして大人に怒られた話

書堂(寺小屋)で漢文を学ぶ話、その後、ヨーロッパ文明を学ばなければならないと

近代教育を受けるために学校に入る話。

≪生徒たちはそこで漢文や書・詩に関するものでなく、西洋もしくはヨーロッパとよばれる地球上の全く新しい地域から持ち込まれた新しい学問を習うというのだ。p,82≫

その頃になると日本人が登場します。街で日本の商人たちを見るようになる。

≪大通りを東門までずっと歩くと、そこには日本の店が何軒かあった。私の国では日本人のことを倭奴(ウェノム)といって文化や礼節のない人たちだとしていたが、それ以外は私は何も知らなかった。しかしヨンマ(物知りの友達の名前)によれば、日本人はヨーロッパから数々のことを学んで国の改革を行い、今や日本を文化国家の一つに数え上げることが出来るというのだ。p,108≫

そうしてある日、日本の軍人が家々に押し入って何かの検査をするようになる。

≪たくさんの日本兵が街中を徘徊してあちこちの民家に押し入っていたからだ。日本人は敵としてではなく、むしろ私たち朝鮮人の友人としてやってきていると訊いていたが、とてもそんなふうに思えない光景だった。≫

しばらくしてこんな会話が交わされます。

≪国王が退位なさったって。≫
≪どうして退位なさらなくちゃいけないの?≫
≪それはわからない≫
≪さらによからぬ事態になるのでしょうか?≫
≪父は私を見つめたまま、黙りこんでいた。≫
≪王家全体が民を護っていくだけの力はもはや維持できなってしまったのだと
父は最後に考えるところを語った。こうなった以上は、新たな国王が現れてふたたび
統べる日が到来するのをひたすら待つしかないというのだ。≫ p.121~122

その後、城壁や建物が壊され、道路建設のため先祖代々の墓が破壊されます。
たぶんこの頃が1910年日韓併合以降の時期になるのでしょう。

しかし田舎では特に変わった様子はありませんでした。
≪農家では男も女も新しい王家が登場しさえすれば、昔のようなよい時代が戻って来ると信じていた。
p.140≫

著者自身の生活も一見平穏で、学校で勉強する日々が続きます。
お金持ちだから可能だったのかもしれません。

成績は優秀で、今のソウル大医学部に進学。
面接試験で(日本人面接官に)言われます。

≪退出する時に試験官はまた微笑んでこう言った。
「私の国」というのは、朝鮮だけじゃなくて大日本帝国全土のことだろ。
だから、君が「私の国の人たち」というときには、朝鮮人だけじゃなく
大日本帝国の人々すべてであると肝に銘じなければいけないぞ。≫

大日本帝国は才能のある朝鮮人も大切に育てようとしていたのがわかります。
でもそれは自分たちの体制を維持するための、
自分たちの言うことを良く聞いてくれそうな人は分け隔てなく育てよう--
という方針だったのでしょう。日本統治時代ってそうなんですよね。
体制批判さえしなければ押さえつけは案外緩い。
能力があり、かつ従順な人はそれなりに上を目指して生きていけるのです。

ソウル医科専門学校で充実した勉学が始まります。

ある日、朝鮮人学生の集まりがあると知らされます。
日本政府に何かを要求するらしい。
自分たちは官製学校で優遇されて勉強してはいるが、
朝鮮人学生なのだから参加すべきだろう。
そうして行った集会が1919年3月1日のパゴダ公園だったのでした。(今の鐘路タプコル公園)

のちに「3・1独立運動」と名付けられるこの集まりは大規模な
全国的な抵抗運動となるのでした。

この日一緒に出かけた著者の友達は行方不明、著者は家に帰れたものの
その後も運動にかかわることになったようです。
死者負傷者逮捕者を多く出したこの一連の出来事により
著者も指名手配をされたため、鴨緑江を越えて北へ逃げることになります。

過去にもヨーロッパへ行こうと漠然と家出したことのある著者は
上海を経て、ドイツに向かいます。

この本はドイツに到着して終わりです。(その後が知りたいけど・・・)


これは1948年に書かれた手記です。
1919年の3.1運動が大きなうねりを伴う出来事だったことを改めて感じると同時に
それまで勉強ばかりしていて運動には無縁だった学生さんも朝鮮人としての純粋な使命感となりゆきで
国を追われることになり、(運動に参加したことを後悔したという記述もあります)
ドイツで生きてきた。そうして二度と韓国に戻れなかった人生。1950年に死去。ドイツ語で本を出し
今も韓国人の中で生きている。日本語にも翻訳されて私が読む。
そのような「人の運命」について、考えさせられます。


(川西図書館で借りました。皆様もよかったらどうぞ。)


韓国ではとても有名なのでドラマ化もされました。youtubeにあります。
https://www.youtube.com/watch?v=wz_Co6PFcS8(韓国語)

韓国では何度も翻訳出版されています。(韓国語)表紙の絵だけ見てもいくつあるの?と思うほど。
http://book.naver.com/search/search.nhn?query=%EC%95%95%EB%A1%9D%EA%B0%95%EC%9D%80+%ED%9D%90%EB%A5%B8%EB%8B%A4

naver知識百科(李弥勒先生の写真)
http://terms.naver.com/entry.nhn?docId=333736&cid=41708&categoryId=41737

ちなみに
李弥勒さんは1899年生まれ
先日、本を読んだ李方子(梨本宮方子)さんは1901年生まれ
私の祖父は1900年生まれです。(1945年大和紡績フィリピン工場駐在中おそらく死亡ー日本に戻れず)
昭和天皇は1901年生まれ。
昭和天皇の孫にあたる方と私は同世代です。時代がこのように続いています。