たしかに、私が朝鮮・韓国語の世界に入った1980年代は、
朴慶植『朝鮮人強制連行の記録(1965)がバイブルのような存在として君臨していたと思います。
80年代の雰囲気・・・あれはそういうことだったのだなあとわかりました。
朴慶植『朝鮮人強制連行の記録(1965)がバイブルのような存在として君臨していたと思います。
80年代の雰囲気・・・あれはそういうことだったのだなあとわかりました。
学者先生がこのようにきっぱりと、在日は「強制連行」ではない
「強制連行という言葉には懐疑的だ」
と、本にしてくれるのは良いことだと思います。
「強制連行という言葉には懐疑的だ」
と、本にしてくれるのは良いことだと思います。
太平洋戦争による国民徴用令(日本本土1939年~ 朝鮮1944年~)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%B0%91%E5%BE%B4%E7%94%A8%E4%BB%A4
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%B0%91%E5%BE%B4%E7%94%A8%E4%BB%A4
日本国民全体が徴用されていた時代なので、
朝鮮人だけを「強制連行」という言葉で表現するのはおかしいと思います。
中には酷い労働環境や、意に沿わない徴用もあったでしょう。
もしかしたら日本人より軽んじて扱われた可能性もあります。
「このままでは殺されると思って逃げた」っていう手記もありますし。
朝鮮人だけを「強制連行」という言葉で表現するのはおかしいと思います。
中には酷い労働環境や、意に沿わない徴用もあったでしょう。
もしかしたら日本人より軽んじて扱われた可能性もあります。
「このままでは殺されると思って逃げた」っていう手記もありますし。
それは想像できますが、「強制連行」という言葉が一人歩きし。
クローズアップされて広がって行った過程が、この本を読んでわかりました。
クローズアップされて広がって行った過程が、この本を読んでわかりました。
80年代は今と違って、日本の戦争犯罪・過去を反省しようという雰囲気が満ちていました。
いくつかの成果はあったと信じますが、それが度を越していたのかもしれません。
いくつかの成果はあったと信じますが、それが度を越していたのかもしれません。
『在日・強制連行の神話』(2004) 文春文庫 鄭大均
p、112 「動員」や「徴用」の過酷さを語る記述がなかったというわけではない。 引用≪もっともひどいのは労務の徴用である。戦争が次第に苛烈になるに従って、朝鮮にも志願兵制度が敷かれる一方、労務徴用者の割り当てが相当厳しくなってきた。…トラックを回して何気なくそれに乗せ、北海道や九州の炭鉱へ送り込み…という乱暴なことをした。 但し総督がそれまで強硬せよと命じたわけではないが、上司の鼻息を窺がう朝鮮出身の末端の官吏や公吏がやってのけたのである(1950年)≫朝鮮総督政策顧問鎌田澤一郎「朝鮮新話」
鄭先生によると、この引用文の最後の文章は、省略されて紹介されることが多かったそうです。
(…言い逃れを書いてる可能性はあるけど…)
ともあれ、このトラック云々の記述が引用に引用を重ね、「強制連行」のイメージになったのでしょう。
(…言い逃れを書いてる可能性はあるけど…)
ともあれ、このトラック云々の記述が引用に引用を重ね、「強制連行」のイメージになったのでしょう。
ただ、
太平洋戦争のために内地の日本のみならず、
当時日本国民であった朝鮮からも徴用をしたことは
当然といえば当然。
戦争末期には内地(日本)に若い男性はいなくなっていたそうですから。
太平洋戦争のために内地の日本のみならず、
当時日本国民であった朝鮮からも徴用をしたことは
当然といえば当然。
戦争末期には内地(日本)に若い男性はいなくなっていたそうですから。
それを「強制連行」のイメージ
野山でいきなりトラックに乗せられて誘拐されるように引っ張られてきて…というイメージが
どんどん拡大して、「在日は強制連行されたきた人(の子孫)」と一般化していうのは、
作り上げられた神話だ ーという内容です。
野山でいきなりトラックに乗せられて誘拐されるように引っ張られてきて…というイメージが
どんどん拡大して、「在日は強制連行されたきた人(の子孫)」と一般化していうのは、
作り上げられた神話だ ーという内容です。
一つずつ過去の記録や手記などを元に解明し、斬新な主張を打ち立てる鄭大均先生。
お父様が韓国人一世、お母様が日本人で
韓国人の血を引かれているから堂々と言える部分があるのではないかと思います。
韓国人の血を引かれているから堂々と言える部分があるのではないかと思います。
日本人はちょっと遠慮してしまってましたから。80年代には…。
p、61 ~「強制連行」という言葉の使用には懐疑的である。なぜか。 今日「強制連行」と呼ばれる歴史事象は、戦時期の朝鮮人に対する朝鮮から日本国土、樺太、南方地域への「労務動員」を指して使われるのが一般的であるが、それをして「強制連行」と呼ぶのは、日本の加害者性や朝鮮人の被害者性を誇張しすぎていると思うからである。当時の朝鮮半島は日本帝国の一部であり、エスニック朝鮮人も日本国民の一部を構成していたのだということ、戦時期の日本にはぶらぶら遊んでいるような青壮年は基本的にはいなかったのだということを想起されたい。~こう言ってもらえるのは本当にありがたいですねえ。
ところでこの本の後半に、姜尚中氏に対する批判があるんですが、
(鄭先生は姜尚中氏を批判する専門の本も出されているんですが)
若い在日に悪影響を及ぼす、被害の強調ばかりで許せないという感じなんですが、
う~ん、この部分については過激すぎるんじゃないかなという気がします。
考え方が違うだけなのにこの書かれようは・・・。
調べてみると姜尚中氏が鄭大均より2歳年下です。
雑誌のインタビューでもなく、一冊の本として批判本を出すとは
かなりの思い入れですよね。そんな鄭大均先生について私はもっと知りたいです^^。
なので今度はそっちの本も読んでみようと思います。
(鄭先生は姜尚中氏を批判する専門の本も出されているんですが)
若い在日に悪影響を及ぼす、被害の強調ばかりで許せないという感じなんですが、
う~ん、この部分については過激すぎるんじゃないかなという気がします。
考え方が違うだけなのにこの書かれようは・・・。
調べてみると姜尚中氏が鄭大均より2歳年下です。
雑誌のインタビューでもなく、一冊の本として批判本を出すとは
かなりの思い入れですよね。そんな鄭大均先生について私はもっと知りたいです^^。
なので今度はそっちの本も読んでみようと思います。
あとね、これは私の意見なんですが
韓国人は太平洋戦争下で日本人も徴用されたとか、いっぱい死んだって
あまり知らないんですよ。知る必要がないと思ってるのもあるでしょう。
日本の被害は、広島と長崎の原爆くらいだと思ってる。
韓国人は太平洋戦争下で日本人も徴用されたとか、いっぱい死んだって
あまり知らないんですよ。知る必要がないと思ってるのもあるでしょう。
日本の被害は、広島と長崎の原爆くらいだと思ってる。
全国数百か所で空襲があり焼け野原になり、多くの市民が犠牲になってます。
私の母の実家なら和歌山大空襲が1945年7月ですが、母は当時10歳でしたが
今でも空襲を思い出すと言ってヒュ~ヒュ~と音のする花火は見に行きたくないと言います。
私の母の実家なら和歌山大空襲が1945年7月ですが、母は当時10歳でしたが
今でも空襲を思い出すと言ってヒュ~ヒュ~と音のする花火は見に行きたくないと言います。
(本土空襲 ウィキ)これ見たらあまりの数の多さに驚きます(涙)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9C%AC%E5%9C%9F%E7%A9%BA%E8%A5%B2
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9C%AC%E5%9C%9F%E7%A9%BA%E8%A5%B2
そういう日本の悲しみについて知らないから
自分たちばかりが「強制連行」で「地獄を見た」って騒ぎ立てるのかなって
ちょっと思います(本人ではなく子孫たちが)。
自分たちばかりが「強制連行」で「地獄を見た」って騒ぎ立てるのかなって
ちょっと思います(本人ではなく子孫たちが)。
NYで映画の広告に出した炭鉱労働者の写真が日本人だとわかって慌てるってありえないし。