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以前授業で話をしていたらしく、受講生の方が韓国旅行の折、
平和市場(東大門市場)近くにあるプレートを見てきてくれました。
奥がナレ橋、手前がポドゥル橋方面(この橋にチョン・テイルの銅像があります)。

*平和市場の縫製工場で働くチョン・テイルは劣悪な労働条件の改善を訴え続けていましたが
 1970年11月「俺たちは機械じゃない!」と、抗議の焼身自殺をしました。


私は2005年に行って、上の写真を撮って以来行っていませんが、
テイルがいる「 ポドゥル橋」と
向こうに見えてる「ナレ橋」の間の北側の歩道に(清渓川北岸)、
訳者4名の名前を刻んだプレートが埋まっています。
日本での訳本出版の記念に埋めたものです。
(埋めたのは勝手に埋めたのではなく^^、清渓川プロムナードができる時にチョン・テイルの関係団体の方から、記念に埋めませんかとお誘いをいただいたためです。)


4人で分担して訳したのですが、
私は1~5章中、「4章と5章」を担当しています。


「先生の名前見てきましたよ~」という話になったので、
昨日久しぶりに本を引っ張り出してちょっと読んでみたんですが、
私が訳した部分からでも皆様に読んでいただけたら嬉しいなと思います。^^
(教室に貸出本及び、新本(2000円でOK)あるので言って下さい。)

今読むと、この表現こう変えたらいいのに~って所がすぐに出てきますが
当時何回も何回も読み返して、原文に忠実なままで、わかりやすく
校正を重ねた文なので、それなりに愛着はありますね。


「チョン・テイル評伝」
 1章は 生い立ち
 2章は 平和市場で働きだした頃
 3章は その中での矛盾(10代の貧しい女工のことなど)
 4章は その後の闘い、葛藤
 5章は「俺たちは機械ではない!」と言って焼身自殺するまで(1970年11月)

 
4章から読んでも、内容はわかると思います。
テイルはかなり哲学的なことも日記に書いています。
純粋な理想家でとても優しい人柄でした。
だから幼い女の子たちが虐げられているのを見て見ぬふりができなかったんです。
本人は当時それなりに「中間管理職」になっていたはずですから。
「こんなんオカシイやんか!!」っていう力ですね。
労働運動というより、人間の心の物語です。
労働運動はそもそも最初はそこから出発していると思います。


訳者あとがき・編集部後記も是非お読みください。
この本は一度1978年に日本語訳されていますが既に絶版になっていました。
なので私たちが再び2002年~3年にかけて訳をして、出版社を探し、出版にこぎつけました。
本ってこういう風に、自分たちの働きかけで出版できるものなんだなーと思いました。
Hさんの動きがやっぱりすごかったですね。

訳者あとがきは代表のHさんが書いたものです。
Hさんは45歳の頃韓国に一年間語学留学し、
帰国してから精力的に韓国語の仕事を探しておられた方です。その頃(2001年頃)知り合いました。
活動的で人脈も広く、Hさんのおかげで私も共訳の一端を担うことができたと思います。


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『チョン・テイル評伝』チョ・ヨンネ著

(1978年 日本たいまつ社『炎よ、わたしをつつめ』の題で日本語版)
           …当時の軍事独裁政権下では出版できなかったため、先に日本で出版

⇒(1983年 トルベゲ社『전태일 평전』조영래 )…言論弾圧に抗いながらも作者名を伏せて出版
⇒(1991年 トルベゲ社 韓国の民主化宣言後、作者名を明らかにして改訂版出版)

⇒(2003年 日本で改訂版翻訳 つげ書房新社『全泰壹評伝』)  …これにかかわりました。